居場所のはなし
前回、YouTubeの動画をお知らせしました。
フランス映画のようだった、という感想をいただいたのですが、まさに!それくらいの感覚があって、10人見てくれたら1人が共鳴するくらいの表現ができたら心地いいなと思っていたので、うまく伝わっている!と嬉しくなったのでした。
動画の中で、人はなぜ居場所を求めるのか?という話題があり、動画の中では結論までいかなかったので、その後の考察です。
マズローの5段階欲求という、心理学の理論があります。
人の欲求には段階があって、下から順番に満たしていくものであるという考えです。
これでみると、いまの日本の社会の多数の人たちは、衣食住が安定しているので、その次の段階「所属と愛」を欲しているのかなあと。
「帰属欲求」とも言いますが、社会や集団に所属したり適合したり、そこでの人間関係からつながりを感じたい、という欲求です。
まさに、居場所が欲しいと言えます。
その段階を大切に思っている人たちが、居場所つくりをしているのかもしれません。
ただ学校や会社に属していたとしても、その欲求が満たされるわけではありません。
自分が尊重されている、受け入れられていると感じられる場であることが重要です。
ここが満たされていない人が多い印象で、場があるだけでなく、そこが信頼できる、安心できる場であるように運営されていくことが後回しになっているのかもしれません。
場に適応するために、ありのままの自分の感覚にふたをして、場の正解を選択し演じることで、そこに居られるようにする、でもそれでは欲求は満たされず、また別の居場所を探し求める・・・
「ここは、こういう場です」と、そこに集う人たちの振る舞いをコントロールするような設定がされているとき、その場は、そこを創った人のための居場所であって、集う人たちは登場人物のひとりとして扱われる。
たとえば、子育てとか、ひとり親とかを支援している場に行くと、目に見えない設定がされていて、目の前のわたしを見るまえに、いろんなフィルターに通されている気がする。
そういうのを敏感にキャッチして、無意識に演じてしまう自分がいやで、派手な髪にしているのかもしれない。
なんの話だっけ?