信じるに値する何かとは確定すること
信じるに値する何かとは確定することです。
確定すると時空が歪むのかもわかりません。
常識では起こりえないことが起こるのかもわかりません。
でもそれは客観的でないために人に見せることはできません。
確定した人にしか起こりえないことです。
これがAという人が治療した時とBという人が治療した時の決定的な差です。
つまり方法論ではない何かがそこにはあるということです。
それでは方法論は必要ないか?
と問われれば方法論は必要です。
方法論が必要でなくなるために方法論が必要ということが言えます。
治療も下工、中工、上工の差があるように段階を踏んで存在するというのを書いたと思います。
下工の良いところは説明できるところです。
でもそこで留まってはいけない。
気を取り込んで中工に行き、最後に物質を捨てる。
これができないと意味がない。
まさにスパイラル(守破離)
説明できる世界だけにとどまると必ずそこに不確定なものが存在することになります。
そしてそれを無視し続けるのか、認めないという傲慢な世界に留まります。
仏教の世界では六道輪廻という言葉があります。
ん?
なにそれ?
って思うかもわかりません。
地獄界は舌抜かれるの?
とか釜ゆでにされるの?
なんて話しをする訳ではありませんよ。
あれは人間の思考の様を絵に描いて模しただけのことです。
もっと深い意味があると思ってます。
物質世界だけに留まる世界を三悪道(地獄、餓鬼、畜生)といいます。
物質世界から少し出た世界を三善道(修羅、人、天)とも言われています。
三悪道と三善道を合わせて六道輪廻というようです。
詳しいことは学者ではないので間違っていたら訂正してください。
そして四聖と言う世界があります。(声門、縁覚、菩薩、仏)
です。
これは人の意識の世界をあらわしただけの話しであって、単なる区分けではありません。
物質の世界も物質を少し超えた世界も物質を全く超えてしまった世界も
全てが必要。
これで世界です。なに一つ欠けては世界がバラバラになっていく。
一部をとらえて良い悪いというのではなく三悪道、三善道、四聖全てが世界であって、全てが必要。
ということです。
区分けをして四聖だけが偉いなんて思っている人は地獄です。
全てで一つです。
物質がなければどんな意識も具体化できません。
意識は物質に投影します。
言葉に惑わされないで下さい。
地獄も仏、仏も地獄です。
高い意識を喜んでいる人は物質のありがたみがわからない。
でも物質だけの世界で留まっている人は意識の世界を全く認めようとしない。
または知らない。
そのどちらでもないという状態が必要。
そのどちらも必要になる生き方が重要。