イーハトーヴォの風
「日本人なら○○のことを知らない人はいない」というものは、結構あるようで意外に少ない。特に、その文学作品の1行を言えば、次の1行が出てくるような作品なら、とりわけ“スーパー国民的”であると言っても構わないのではないでしょうか。宮沢賢治の「雨ニモマケズ」は、まさにそんな作品だと思うのです。
先週、花巻にある宮沢賢治記念館に行ってきました。わたしはそれほど宮沢賢治に詳しいわけでも、たくさん作品を読んでいるわけでもないのだけれど、高校の国語教師だった父が、幼いわたしを散歩に連れ出した時に、賢治の詩をわたしに聞かせるのが常で、さらに父が詩の暗誦の後に作品の解説と感想も続けて語っていたため、わたしも賢治について多少なりとも特別な思いや感情を持つに至ったのだと思います。
不勉強と言われることを承知で書きますが、わたしは、この“スーパー国民的”詩の「雨ニモマケズ」が、実は作品として書かれたわけではなく、メモ帳に静かに書き残されていただけのものだった、と今回初めて知りました。そして、そのことに、いたく感動しているのです。
広く引用されることが多い「雨ニモマケズ」は、例えばわたしが毎月研修・コンサルティングをしているクライアント企業さんの役員面談室にも飾られています。賢治の人間観が溢れる思想を顕したこの詩は、彼の残した作品の中でも最も多くの日本人に愛されているものでしょう。それが、生前に未発表だっただけではなく、原稿用紙にも書かれてもおらず、彼の死後、弟さんによって整理されたトランクの中から出てきた手帳に走り書きのように記されただけのものだった、というのです。実際、その手帳は公開されていて、そのレブリカが売られているのですが、それを見る限り、これを他人に見せる気は微塵もないといったような書き残され方でした。
思い込みとはすごいものだと、改めて感じます。この事実を知るまで、40年以上もわたしは、この詩を賢治が多くの人に知ってもらいたい思想として、堂々と発表したものだ、と信じ込んでいました。よく居酒屋のお手洗いなどに、“ちょっといい言葉”とかが書かれていたりします。それを見た人たちが元気になったり、ハッとするような言葉が書かれているじゃないですか。ああいった類の、もう少し高尚なバージョンで、読んだ人が「なるほど、そういう生き方はいいな、素晴らしいな」と思ってもらえたら・・・という、そんな思いで書いて発表したものなのだろう、と思っていたのです。書道家や著述家が、自分の言葉がどこかに残されるのを望んでいるように、そして、現代のわたし達がする“ブログを書く”という行為でさえ、世の人々に示したい考え方だったりを記しているわけで、この偉大な思想家・作家・詩人もそうだったに違いない、と思っていたのです。
実際は、彼が生前出版した短編集・詩集はたった1冊ずつ(同人誌などは除く)しかなく、私たちが小学校・中学校の国語で習う、彼の作品のほとんどは彼の死後、弟さんの尽力により整理・維持され、他の詩人・作家らにより世に出されたものだということなのです。そうか、賢治もゴッホのように不出世のまま、この世を去ったんだ・・・あ、でも、宮沢家は花巻きってのお金持ちだったそうで、そこが違うところですね。賢治は浮世絵やレコードのコレクションをしていて、非常に多くのレコードを買ったことでポリドールの社長から感謝状までもらっていたというのですから、すごいですよね。
さて、賢治が自分のために書いたメモ書きの詩「雨ニモマケズ」は、その日付から病の床で書いたことがわかっているのですが、その日が明治天皇の誕生日であったことから、改まって書いた“ありたい姿”であったのだろうと思われています。締めの文章が、「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」となっていることからも、それを読み取ることができます。
わたし達が、誰に見せるためでも、誰に評価されるためでもなく、または、どのような報酬をもらうとわかっているものでもないことをするとき、それはそのひとの心の粋からなされているもの。その時、その思いや考えに対する“信仰”が育っているのだ、とわたしは思うのです。それゆえに、これが私たちの心に語りかけてくるのではないでしょうか。
賢治は農学校を退職後、農業の実践と芸術のための会を興し「世界全体が幸福にならないと個人の幸福はありえない」「新たな時代は世界が一の意識になり生物になる方向にある」と記していました。
今日も人生の扉を開いて出会ってくださり、ありがとうございます。
生きている間全てを知ることは出来なくても、信じたことを真に生きるチャンスがある。