続編・もう、あの笑顔でガハハと迎えてくれないと思うと…。
愛すべき悪友(敢えてそう呼びたいです)が急逝して、2週間と数日が経ちました。
もう、あのバーに行っても悪友はいない…、そんな静かな喪失感に支配されています(写真、友人提供)。
室内楽定期演奏会での難儀・辛苦を、そして、日常の喜怒哀楽を随分と聞いてもらいました。
「役には立たなくても、吐き出して楽になるのなら、洗面器になるのは吝かではございません!」
悪友はそんな気持ちだったでしょう。
自分の仕事場から、徒歩での僅かな距離にそういう人物がいたことは有難い恵みでした。
楽にしていただいたのは私だけではないでしょう。
このバーに集う淋しがりやたちは、カウンター越しに悪友と言葉を交わし、心に新鮮な風を通したはずです。
悪用との会話は、となりの席の淋しがりやに伝搬し、そうして、知り合いが生まれ、それから結婚したカップルが何組もいるのです。
悪友は、いつのまにか、そのようなコミュニティを築いていたのでした。
悪友が亡くなったのは9・30夜から、10・1の明け方とのこと。
私にはとても不思議な2日でした。
10・1の朝(まだ悪友の死は発見されていない)、生徒のレッスンがあり、チェロのケースを開けると弦が切れていたのです。
友人によれば、きっと悪友がお別れの挨拶に来たのだと。
それも、悪友は、わざわざ、弦を繋げて再生できる場所を選んでくれたのです(ガット弦は可なのです)。
そして、前日の9・30。
私は広島へ、バッハの亡き妻へのオマージュ(当夜の演奏者、寺神戸亮さんはそう解釈しています。私も。)である無伴奏ヴァイオリンのための演奏会、全6曲の第2夜を聴きに出掛けました。
これを聴いていた時、悪友はすでに昇天していたのかもしれません。
悪友へのレクイエムを広島へ聴きに行った?
この曲集は曲を重ねるにつれ、絶望、希望、弔い、訣別への昇華され、終曲では天国的な明るさに満ち、亡くなった妻の回想、空の上の妻の様子を描いたようです
悪友は睡眠中に没し、苦しまなかったと聞きました。
それだけが幸いです。
それゆえに、棺の中の彼はいつもの笑顔で、先のバッハの終曲の明るさと重なります。
5弦チェロ版ですが、その曲集の終曲です。
J.S.バッハ パルティータ 第3番 ホ長調 BWV1006
【献奏会①】
11月20日、四十九日法要のために、濱崎さんのお姉さんご家族の方々が直方に来られます。
濱崎さんと親しかった方、もしお時間がありましたら、ご参加の上、お姉さんに濱崎さんとの思い出を話していただけましたら幸いです。
演奏は4曲、20分くらいの予定です。
1曲のみ、濱崎さんが好きだった曲を、お姉さんのご主人、坂本格一さん(ピアノ)とセッションをします。
【献奏会②】
故人のシートにはウィスキー、日本酒、柿の種を。
【献奏会③】
その献奏会では、彼の姪御さんが1曲、奏でてくださいました。
これほどの供養はありますまい。
濱崎さんの笑顔が思い浮かびます。
心に染み入る繊細な音色…。
クラシック音楽のサクソフォーンを体感したのは、久方ぶり。
姪御さんは大分県立芸術文化短期大学専攻科で勉強中。
献奏会の後、お姉さん家族、私たち濱崎さんの友人とで、濱崎さんを語りました。
こちらではお酒が染み入ります。
心があたたかくなる時間でした。