両親の婚礼写真
この写真、数年ほど前より、所在が不明だったのですが、店舗を整理・断捨離していたら、思わぬところから…。
亡き姉が昭和32年(1957年)生まれですから、その1~2年ほど前でしょうか?
その数年前に、隣の宮若市(旧・宮田町)で父は駄菓子や雑玩具のお店を興しました。
卸売業も行い、商品を自転車に積んで、直方へ。
駅近辺の得意先を回り、いつかこの中心市街地にお店を持ちたいと願った父。まずはそこから、北へ2kmほど離れたところにお店を移しました。
そのころに母を見染め、結婚まで持ち込んだようです。
母にとっては大きな賭けだったはずです。
しかし、経済成長著しい当時の日本では、庶民の多くが上昇する希望を持ち、母は夫婦でそれを実現することに乗ったのでしょう。
当時、直方市という小都市で、洋装の婚礼はとても珍しかったはずです。
応えてくれた母を喜ばせてあげたいと、父は大見栄を切ったのか?
それにしても、若い母はべっぴんさんで、そして、ウエディング・ドレスが良く似合います。
昨日、久しぶりにこの写真の場所に行ってきました。
《直方谷尾美術館》から歩いて数分の場所にある《直方歳時館》という施設です。
元々は、直方の炭鉱事業主、堀三太郎氏の屋敷でしたが、市に寄贈され、公民館となり、ここで多くの方が婚礼を挙げたそうです(婚礼の会場は、2番目の画像の部屋ではなかったようで…。)。
《直方歳時館》の詳しくはこちらを。
伺ったのは15時過ぎ。
もし、他に利用者・見学者がいなければ、チェロを練習させてもらおうと持参しました。
縁側に腰かけ、庭を眺めながらの練習。
偶然ですが、踏み台から縁側までの高さがちょうど古楽奏法に合ってくれました。
4オクターヴのスケール3種、重音、課題のデュポールの練習曲第9番などの日常基礎練習が、いつもよりよく響き、そして、はかどります。
このような素敵な場所なので、バッハの第1番の前奏曲、《鳥の歌》を。
直方歳時館の皆様、贅沢な時間をありがとうございました。
ここ2週間ばかり、心身ともにとても疲れていましたが、新鮮な空気が心に通りました。
【御礼、姉の写真】
昨日投稿しました両親の婚礼写真を見てくださり、そして、たくさんの「いいね!」をありがとうございます。
圧迫骨折を繰り返した母は、昨春より、自宅での生活が難しくなり、施設に入所しました。
コロナ禍ゆえに、母と会えるのは病院診察の付き添いの際に限られています。
先週のその日に、婚礼の写真を含む見つかったいくつかの写真を母に見せました。
すると、その中のもう一つの写真とともに複写を請われたのです。
もう一つの写真とは、亡き姉の幼子の時の写真です。
姉が38歳で夭折したことは、母の人生で一番辛いできごとで、「心底哀しいと涙さえ出ない…」と1年以上も嘆き暮れていました。
晩年の姉は、キルティング・パッチワークを、未開の日本(1980年代後半)に広めようと、闘病の身でありながら、奮闘していました。
母は心配しながらも、とても誇りに感じていました。
聡明な姉に比べて、愚息な私。
子供のころは肩身の狭い思いでした。
5年ほど前のこと。
リハビリのために施設に長期入所している母を見舞いに行きました。
すると、食堂のテーブルで母が数人の人に何かを見せびらかせているのです。
それは数日前に母に持って行った、室内楽定期演奏会の新聞掲載記事でした。
母への報告ためだけであり、そのようなことをするために持ってきたんぢゃないのに…。
先輩女子にそのことを話すと、「親というのは、いくつになっても子供のがんばりが嬉しいものなの!それくらい、わかってあげない!」ときつく諭されました。
母子二人きり。
母を大切にしていかねばと自戒する日々です。