自慢の親友 Dr.K
先月末より、喉が不調。
夜になるとひどくなり、中々寝付けず、不眠症にまで陥ったのです。
眠りを浅くする酒を断ちましたが(今でも)、駄目。
親友のDr.Kに診てもらうことに。
大事でなく何より。
彼独自の治療は多くの患者さんから信頼を集め、医療関係の間でも静かに高評されています。
なんと、私の母がかかりつけている整形外科医の担当《美女看護士》でさえ、「ええ~?渡辺さん、Dr.K先生と幼馴染なのですか?」と言うのです!
チョイ、ジェラシー感じました。
Dr.Kとは幼稚園からの付き合い。
私を楽器演奏に導いてくれた人であります。
しかし、クラシック音楽ではなくて。
中学生の時、バンドを設立したかったDr.Kは、私をそそのかしエレクトリック・ギターを持たせたのです。
音楽の素地も経験もない私にそうしたのは、単に一番身近にいたという理由から。
しかし、私はすぐに音楽にのめりこみ、当時、小都市の中学生が聴くはずもないマニアックなアーティストの盤を聴きあさっていました。
ここには亡き姉の影響が大。
私が東京の大学に進学し、4年生の時にクラシック音楽を嗜好したことから、少しずつ疎遠に。
Dr.Kも大学進学から直方を離れ、私が大学院修了後に直方に戻ってからほとんど会わず仕舞でした。
ところが、Dr.Kは勤務の大学病院の水が合わなかったのか?開業することになり、住まいも直方の実家に戻ったのです。
それから、二人はもう1度、音楽ユニットを組むことに。
私たちが40歳を迎えようとするころです。
チェロとギター、コンピューター打ち込みによる演奏。
レパートリーは既存の楽曲をカバー編曲してのインストゥメンタル・ポップスです。
Dr.Kがユニット名を命名。
≪これなBit≫
二人の苗字に、コンピューターの計算データ数を併せて、もじりました。
さらに私の友人に依頼して、ロゴ・イラストを作製。
4年ほど、ライヴ活動をし、ヤマハ天神福岡店で、発売されたばかりの《サイレント・チェロ》のデモ・ライヴもしました。
しかし、打ち込みによるカラオケ伴奏の演奏に、二人とも次第に味気なさを感じるようになります。
チェロとギターのみの演奏も試みたものの、サウンドの隙間の空け・埋めは尋常なく難しく、当時の私たちのアイデアと技術では限界がありました。
さらに、私に人生再建の最初の難儀な時間が訪れ、このユニットは消滅してしまったのです。
Dr.Kとは本音で話せる間柄のため、よく口論をします。
しかし、互いに冷却して着地し、後腐れ無しです。
ある時、友人のバーでそうなった時のこと。
友人は「なべさんとDr.Kさんって、本当に仲がイイですね。」と言ってくれました。
私が甘えているだけですが。
そのようなDr.K、長い苦境の中にいる私を2度も助けてくれたのです。
ありがとうございます。
近年の彼は、演奏から離れて、写真、水彩画、木工に取り組んでいます。
昔から何でもやれる人間で、それらも、中々、見事。
彼の病院に行けば、それらを鑑賞できます。
しかし、私は、彼が演奏に戻らなくてもイイから、自分の能力をあまり多方面に散財せずに、集中して使ってほしいと願うばかりです。
これからもよろしくお願いします。