『夏目玲子の憐憫』の作者に聞く!刹羅木劃人の執筆スタンスや活動マイルールとは
インタビュアー:ボイコネに『夏目玲子の憐憫~21gの行方』が投稿され、約160日。まずはお気に入り登録100回、おめでとうございます。
刹羅木:ありがとうございます。
インタビュアー:今回それを記念してというのもあり、ぜひ刹羅木先生にお話をお伺いしたくインタビューを申し出まして、お引き受けいただき感謝申し上げます。
刹羅木:先生と呼ばれるのはくすぐったいですね(笑)でも、皆様のおかげで節目の一つを迎えられたと感じています。こちらこそありがとうございます。
ライターとしての話をとのことなので、偉そうに語れることなどない若輩ですが、今日はそちら視点で自分なりに応えさせていただきます。ちょっと過激なことも言うかもです。
インタビュアー:ぜひ。『憐憫』については、じわじわと上演回数が増えてきた印象です。
刹羅木:ついては、というか、他の台本も大した上演回数では無いですが(笑)仰るとおり、徐々に浸透していった感触があります。
インタビュアー:ボイコネのシナリオ上演回数表示はライター本人のみ閲覧可能かと記憶していますが、回数をお伺いしても?
刹羅木:お気に入り100を迎えたのが、ちょうど50回目の上演中でした。リアルタイムで観劇していたので、キリが良いなと思いましたね。このインタビュー時点で51回です。
インタビュアー:確かにいいタイミングですね。作品の内容については、刹羅木先生の裏話ツイートなどでも触れられていますし、憐憫以外のシナリオについても聞きたいところですがキリがなくなってしまいますので、今回のインタビューでは刹羅木先生ご本人についてお伺い出来ればと思います。
刹羅木:自分も100を節目にいろいろ発表しようと思っていたので、渡りに船でした。
インタビュアー:刹羅木先生はいろいろと謎に包まれてますからね。では早速ですが、刹羅木先生は、どういった経緯で台本執筆を始められたのでしょうか
刹羅木:ボイコネに登録した当時は、お題回答メインで声で遊んでいました。そこに、ボイコネ以前からの友人がボイコネに参加される様になって、声劇の方も見始めたんです。
ただ、自分が手に取りたくなるような台本があまりなかった。最初の理由はそんなものだった気がします。
インタビュアー:確かに、刹羅木先生のシナリオはどれも他の作品とは異質な感覚があります。
刹羅木:変わってるんですよきっと(笑)でもそれが良いというわけではないですからね。
インタビュアー:ボイコネでの台本投稿以前に、台本執筆のご経験は?
刹羅木:ありません。趣味で二次創作の小説を1本とSSをいくつか書いたことが数年前にあったな、くらいで、声劇の台本はもちろん、一次創作も未経験でした。最近やっとライター歴1年を迎えた所です。
インタビュアー:では、ボイコネの台本がそのまま、台本執筆実績の全て、ということでしょうか。
刹羅木:はい。なので最初のうちに投稿した作品は声劇の台本としても使いづらいと思います。今も脚本演出の知識は無いまま、好き勝手に書いています。
インタビュアー:ご自身の中で、そういった『以前の台本は使いづらかった』などの視点を持ち始めたのはいつごろでしょう?
刹羅木:台本投稿を初めて100日目に、ライター名義として『刹羅木劃人』を名乗るようにしました。そのころにいくつかルールを定めたりして、本腰を入れ始めました。
これは自分の執筆スタンスを決めて、それにしたがって自分に必要な禁止事項を定めた、という事になります。
インタビュアー:ではまず、スタンスから順にお伺いします。
刹羅木:私は、自分のシナリオで、人の繋がりを断ち切って繋ぎなおしたい、というスタンスで執筆にあたっています。
平たく言えば、物語の面白さだけで人の心を渡っていくような話を書いていたい、という欲ですね。
インタビュアー:面白さだけで、というと、内容で勝負してそれ以外の要素は排除したい、ということでしょうか。
刹羅木:私が先ほど申し上げた書き始めた理由からして「何様だこいつ」と思われるかもしれませんが、要するに自分が書いた話が面白いんだという証明がしたいんだと思います。
その為には、人の繋がりによる影響というものを極力排除しないと、自分が満足できないんですね。知り合いに「あなたのシナリオ面白いよ」と言われても、友人関係がある以上お世辞が含まれると思っていて、何の繋がりもない人たちの評価の方がすんなり受け入れられるんです。
これは私の作品を面白いと言ってくれる知人の言を信頼していないわけではないんです。もちろんそう言い続けてくれる方々もいらっしゃって、そこは心配していないのですが、そこをどうしても証明したかった。
インタビュアー:ストイックなスタンスですね。
刹羅木:心理学をほんの少しかじっているのですが、そうすると人の繋がりがどれだけ強力に人間の認知を左右するかを知ってしまいます。そういった錯覚の言い訳さえねじ伏せて、私の物語が人の心に残るものなんだと実感したいんです。
インタビュアー:いわゆる、知り合いの台本だから読む、とか、お世辞で褒めたりする、というのをなくしたかった、と。
刹羅木:そうなります。一時の流行りや付き合いで読んだりするのではなく、本当に面白いものはその面白さだけで広まるはずだ、という挑戦ですね。そういった意味で、『憐憫』のような認知のされ方は理想に近いです。
ただ、もちろんそういう台本やライター様の在り方に意見するような意図は全くありません。人とたくさん劇をして、なんならお芝居もとってもお上手で、人脈が広くて面白い台本を執筆される方はいらっしゃいます。友人の作品を一緒に楽しみたいという想いも、そうして過ごす時間のたのしさも尊いものです。
それはとても素晴らしい事ですし、そういった方々のシナリオが選ばれやすいのは常識的にも心理学的にも当然です。私が一方的にそういった環境に挑んでいるだけにすぎません。
インタビュアー:では、そのスタンスの為に定めたルールというのはどういったものなのでしょう?
刹羅木:列挙しますね。『自作台本をやってくれと他人に言わない』『相手から話題にされない限り自分の台本の話はしない』『テストプレイを依頼しない』『センスを曲げてまで選ばれやすいタイトルをつけない』『シリーズ物はお気に入り100超えるまで書かない』『宣伝は最小限』『SNSで過度に接触しない』大まかにはこれくらいでしょうか。
例外もいくつかありますが、基本はこれらのルールに則ってライターをやっています。全て、シナリオの面白さだけで爪痕を遺すためのルール、のつもりです。
『自作台本をやってくれと言わない』は、そのまんまですね。書いた台本が自然と選ばれるようなものであってほしいので。
『相手から話題にされない限り自分の台本の話はしない』もそうです。まあこれに関しては最近劇になると自然と振ってもらって話すこともままありますけどね。ただ、以前とあるユーザーさんを見た時、こうはなりたくないなと改めて思ったこともあります。
よく外郎売をやってる枠を覗くんですけど、そこにリスナーでやってきて挨拶もなしに「新作台本上げたんですよ」みたいなコメント打って、挙句最後まで居なかったんでしょうね。パチコメとか劇後のコメントもなくて、すごく心象が悪かったです。もちろん、その時たまたま離席する用事があったのかもしれませんけど。その方の台本がたくさん遊ばれてるの見て、やっぱ人の繋がりって強いなって。いろんな意味で。
ちょっと極端な例ですけど、他にも昔私の台本を遊んだ後のアフタートークでシナリオを貶すような発言をした方の作品が話題になっていたりと、『作品の面白さ』ではなく、人との繋がりによって台本が選ばれているのが現状なんだなと感じましたね。
次、『テストプレイを依頼しない』。これは最初のと近いですね。私の台本は多分まず読む時点で、そしてさらに上演するとなるとハードルが高いんだと思います。私としてはもっと凝って複雑で面白くできるのを簡易化しているつもりなので、そもそもボイコネのユーザー層や需要にそぐわないんだろうなと感じています。
以前とある演者さんが「せっちゃんの台本は読むのにも勇気がいる」とおっしゃっているのを聞いて、分からされちゃいましたね(笑)ライターとして認知してもらうところまでいった、ということはシナリオについて一定の評価を得るところまでいっても、まだハードルを感じさせているのが現実なのだと。
逆に、テストプレイを依頼してしまうとそのハードルは一旦超えてしまうし変なプレッシャーも与えてしまいそうで嫌なんですよね。
インタビュアー:テストしないと、上演時間とか掴めないと思うのですがその辺はどのように?
刹羅木:自分で通して読んでます。ただ、私の間合いと違うテンポでやられるとずれてしまいますが、そこはご容赦いただければ(笑)
『センスを曲げてまで選ばれやすいタイトルをつけない』は、後発的なルールです。初期からライターとしての私を推してくれている方に、タイトルがいまいちだねみたいな評価を頂いたことがあって、そのころについでに作りました。
こう書いてしまうとその方には申し訳ないんですが、今のボイコネ環境においてタイトルのセンスは二の次だと個人的には思っています。もちろん多数あるタイトルから実際に開いてみようという時にタイトルが目を引くかは非常に大事な要素です。
ただ、ボイコネの現状は『既に人気の作品』『人気ライターの新作』『共演関係などのコミュニティ内の知人の作品』が選ばれることが多く、次いで『誰かがやっていたのを聞いてやりたくなった作品』だと個人的に感じています。
つまり、無名の新作を開拓している方は少数で、目を引くだけのタイトルにあまり意味がないように思えるんですね。だったら、自分が込めた意味と思いが表現できるタイトルに、心のままに従おう、と思った次第です。
まあセンスがないと思われても仕方がないですね(笑)でも、大体のタイトルには2つ以上の意味があるので、それに気づいてくれた方がその瞬間鳥肌でも立ててもらえたらなとは思ってます。
インタビュアー:たしかに、タイトルはセンスを問われる非常に難しいところですね。
刹羅木:引っ掛かりを作るのは簡単なんですよ。私は勝手に「組み合わせパターン」と「なんかオサレパターン」、「強めの語句パターン」と呼んでます。
『3月のライオン』『ハチミツとクローバー』『宝石の国』のような、一見意味が通らず「お?どういう意味だ?」と思わせる組み合わせパターン。○○の○○とか○○と○○とかですね。
『北北西に雲と往け』『BURN THE WITCH』『VINLAND SAGA』のようにセンスが光ってるパターン。横文字多めですね。
『怪獣8号』『戦隊大失格』『無職転生』など、音や文字に強めの語句が入っているパターン。系統は違いますがラノベ系の長いタイトルもここにはいるかなと。
例としてコミックスなどでいくつか挙げてみましたが、こうしたほうが一般的に言われる『いいタイトル』になるんだということは私とて百も承知なのですが、自分でこうだなと思ったタイトルが他にあるならそちらにしようと、そういうルールです。
『シリーズ物はお気に入り100超えるまで書かない』は、人の心理の一つ、単純接触効果を避けるために定めました。人は同じものに複数回触れていると次第に好印象を抱くようになります。もちろん余程嫌悪する性質がある場合別ですが。
つまり、たとえばそんな面白くないのに2話3話4話と出て惰性で触れていると「そんな面白くはないけど嫌いじゃないな」がだんだん「好き」にかわるということです。
もう一度言っておきますが、これもそういうシリーズ台本などの人気にケチをつける意図はありません。ただ、人間の認知エラーや錯覚を乗り越えた面白い話を書きたいという私の個人的な挑戦故のルール設定です。
逆に、まあ100超えたら一定の証明が出来たかな、ということで続編を書いても良いということにしようと。
インタビュアー:でも、「Witch’sGift」はシリーズで書かれていますね。
刹羅木:それが最初に触れた例外です。あの台本は60分5人なのですが、全然上演されなかったんです(笑)200日で3回。内容も面白いほうだと思うのですが、見事なまでに埋もれてしまった。頑張った割に響かなくて悲しい、という想いよりも、生み出したキャラたちになんだか申し訳なくなってきていたんです。
思い付きで、あるキャラの幕間一人読みを書いてはいたのですが、そこでさらに続編を書くことにしました。さらに面白い続編を書けば、そこから芋づる式に前作も引っ張り上げられるだろうと。別ベクトルですが、「面白さの証明」というところでは今までと同じです。
インタビュアー:それが先般投稿した新作ですね。
刹羅木:ただ、そちらも投稿して一ヶ月強、上演0回です。まあ前作のことがありますし、今回は演者への遠慮をなくして自分の信じた面白さに殉じているので、このまま0回も覚悟はしています。
※インタビュー時点では0回でしたが、掲載時には初演があったようです。
インタビュアー:ということは、『憐憫』は次回作を期待してもよろしいのでしょうか。
刹羅木:マイルール上は、自分に書くことを許せるようになった、ということです。もちろんネタが思いつかないとかけませんが(笑)ただ、こちらも「倫太郎の宿題」が解かれていない以上、あの台本の本当の面白さ、緻密さは未だ誰も知らないんですよね。食べ残しがあるのに次を注文するようで、モチベーションはいまいちです。
『宣伝は最小限』『SNSで過度に接触しない』は、先述の通りですね。芝居や作品と違うところで仲良くなってしまうと、仲がいいからその台本を選ぶということになりやすくなってしまう。具体的には積極的にリプを贈らないとか、ハッシュタグ系の企画に乗らないとか、そんな感じです。
たぶん『いいねの数だけ○○』とか『○○を晒す見た人も○○』とか『引用RTでほめる』みたいなのに積極的に乗っかるだけでなんとなくきっかけになって、互いのこと知ってってなっちゃうんですよね。それは目的にはそぐわないなと。もちろんいただいたメッセージにはお返ししますし、誘われた劇には喜んで参加します。
それに加えて、もうそういう心配が要らない方――既に仲良くさせていただいたり、ライターとして認知してくださっている方とは普通にやり取りさせていただいてます。声劇も基本誘われないとやらないんですけど、半分くらいはこれが理由ですね。
あと、「○○みたいなシナリオって需要ありますか?」みたいな発言をして反応を取ってからシナリオを執筆、投稿したりもしないと決めてます。
需要で言うと、やっぱボイコネってシリアスよりコメディだったりちょっとセンシティブなものが好かれる傾向にある気がするんですよね。演じる方も聞く方も。
そこに需要があって、楽しんでらっしゃる方々が実際居るので私には何とも言えませんが、その辺がボイコネのリスナー層が増えない理由の一つかな、とは感じてます。
もちろんこれもそういった方々の活動方針などを否定するものではないので、悪しからず。
インタビュアー:こうしてお話を伺っていると、刹羅木先生は、ゲームで言うところの『縛りプレイ』をされているような感覚です。
刹羅木:めんどくさい奴なんですよ(笑)自分だけならいいんですけど、以前新作告知したころにテストプレイを申し出てくださった演者さんにお断りの返事をするときなんかはめちゃくちゃ申し訳なかったです。
刹羅木劃人の物語に好意を寄せてくださったのに、自分のこだわりでそれを無下にしてしまって、本当にめんどくさいやつでごめんなさい、と。
インタビュアー:これらのルールを今回公開するに至ったのは、どういった理由でしょうか。
刹羅木:もう一つのルールが『これらのマイルールはいずれかの台本がお気に入り100を超えないと公開してはならない』なんです。
ここまでお聞きいただいたら分かる通り、これを表に出すだけでなんかカッコつけてるというか、何様なんだ感がすごいので、早々に出すのは憚られたんです。
100超えた台本が出たらいろいろ発表したいなってことは以前からツイートもしてて、先ほど渡りに船と言ったのはそう意味です。
続編のルールと一緒で、一定の証明が出来たから言っても良いことにしようと。実際、一緒に劇するわけでもなく、ネットで絡みがあるわけでもなく、これまでライターの実績があるわけでもない。
そんなぽっと出の私のようなライターがこれらのルールを超えてここまでたどり着くのは少々骨が折れました。ご愛読頂いた皆さん、特に推していただいた数名の方々に感謝です。
インタビュアー:始めたきっかけと、現状やポリシーについて伺いましたので、今度は今後の目標をお聞かせください。
刹羅木:まずは、これから投稿するものや投稿済みの他の作品が『憐憫』と同じように浸透してくれればいいなと。一過性の流行ではなく、「この台本が面白い」という口コミや「人がやってるの聞いてやってみたいと思った」といった物語の面白さで、その面白さが本物だと胸を張れるようなかたちでいろんな人の心を渡ってほしいです。
そして、これは本当にどこにも出したことがないのですが、実は拙作を演じていただきたい方がお二人いらっしゃるんです。
お一人は公式キャストさんだったりお一人は休止中だったりで望み薄なんですが、いつか『物語の面白さ』で人から人へ渡った私の物語がその方々に届いて、あわよくば使っていただいて、楽しい時間を過ごしていただけたなら、それが私のボイコネにおける最終目標と言っても過言ではないですね。
他にも「公式イベント」でシナリオを投稿しない、とかあります。個別にお誘いいただいたユーザー主催の企画には参加させていただいたことはありますけどね。
インタビュアー:ボイコネの現状について、いくつかお話が出ましたが、改善してほしい部分などはございますか?
刹羅木:ライターさんの多く、あるいはキャストの皆様も、シナリオが多すぎて埋もれてしまっている点について懸念されてる部分があるのかなと感じています。
現状も日毎に数を増す作品から好みの物を探すのは手間ですし、通販サイトのようなシナリオのレビューや点数制度を設けると荒らし行為などが心配ですよね。
個人的には『ジャンルの細分化とタグ付け』そして『帯システム』があればいいなと。
ボイコネは今シナリオのジャンルが少ない気がします。私もいくつものジャンルが当てはまらなくて全てその他にはいってて、ごった煮というか闇鍋になってます。
それをもっと細分化し、更にライターやリスナーが付けはずし出来るタグによる検索が出来れば便利かなと。もちろん編集に制限を掛けたり、ライターの遺志で固定したりといったシステムも込みで。
『帯システム』というのは、本屋さんでよく見る本の帯です。例えば無名の新規ライターが非常に面白い作品を上げたのに知名度が無くて埋もれている所に、他のライターさんが本の帯のような紹介文を書く。
帯文を書くのはもちろん既に有名なライターさんやキャストさんで、台本を探す側も『あの人がこんな風におすすめしてるなら』と手に取りやすくなります。
手前味噌ですが、例えば『憐憫』と私をセットで知っていくださってる方々が「声劇というギミックを駆使した斬新なトリック。このミステリーは最早新ジャンルだ」みたいな紹介文を私が書いた新作ミステリー台本を見たら、気になると思うんですよ。
それが例えどんなに目を引かないタイトルでも、ちょっと読んでみようかなという気になってもらえるかもしれない。あとはその作品が本当に面白ければ、口コミなどで広がっていくはずです。帯コメントも増えていったりね。
私じゃなくても、例えば皆さんがボイコネで一番好きなライターさんがそうした帯文書いてたら、関心はぐっと高まると思うんですよね。
なのでこの帯文は一定程度そのコメントへの信ぴょう性、つまり帯を書く側の知名度がいるので、荒らしなどは不可能、無意味なわけです。
あとは運営さんが、どういう形でシステム化するか、ということになると思います。シナリオを探し、帯を書くことの対価がないと割に合わないですからね。
シナリオへのコメント・エール機能が実装された様に、実装としてはそんなに難しくはないと思いますけどね。それこそバナーに出したりとか。
ただ、私は先述のマイルールがあるので、帯を書いてもらうとなるとお断りするかもしれませんが(笑)
インタビュアー:ありがとうございました。続いて、Twitterで刹羅木先生のもとに寄せられたご質問に、一問一答形式でお答えいただきたいと思います。
執筆スペースのこだわりはありますか
刹羅木:特にないです。普通に自室のノートPCに向かって執筆してます。ローテーブルに座椅子です。ネタを思いつくのは仕事中や運転中が多いですね。それをスマホに残したりして、帰宅してから物語に落とし込んでいます。
インタビュアー:筆記用具と紙のこだわりはありますか?
刹羅木:PC執筆なので、その辺は使ってないですね。そういうこだわりがあるのカッコよくて憧れます。
インタビュアー:ネタが出ないときはどうしていますか
刹羅木:アウトプットが出来ないときはインプットに切り替えます。映画見たり本や漫画よんだり、音楽聞いたりです。出ないときは出ないので、お風呂でリラックスとか身体動かすとかではなくインプットですね。
インタビュアー:あなたにとって『良い文章』とは
刹羅木:声劇台本においては『セリフ』と言い換えても良いかと思いますが、『より本物らしい偽物』の言葉、だと思ってます。
物語はあくまでフィクションで、どこまで行っても作り物なんです。それがキャストやリスナーの心に残るような良いセリフになるには、どこまでも本物であろうとする偽物の本物らしさみたいなものがなくちゃいけないのかなと。
それは細部まで設計された世界観や人格、人間関係やその時のキャラの感情というものが結果的に滲み出す台詞になるんだろうと思います。
拙作で言えば、R.I.Pの鷲崎やLoveofmylifeの沙織などは、アフタートークでピンポイントに「このセリフが良かった」とか言ってもらえて、私としても良いセリフだなって再確認させてもらってます。そうやって人の心に転写された言葉たちは、良い文章なのかな、と。
インタビュアー:あなたにとっていい作品の基準とはなんですか
刹羅木:細かい基準はジャンルによって異なりますが、総括して言えば心に残るかどうかです。
インタビュアー:どうやって自分と異なる生い立ちや性別、考え方の人物が述べるセリフを思い浮かべるのでしょうか
刹羅木:想像しかないですね。あとはインプットです。過去に見た様々な物語が、自分の血肉になっているかどうかだと思います。結局自分の脳から出てくるものは、自分が見聞きしたものとその延長にある想像できる範囲のものくらいですよ。
インタビュアー:作品を生み出す時の楽しさ、苦しさはなんでしょうか
刹羅木:物語を綴ること自体が楽しいこともあります。特に自作できる場合、自分が見たいものが出来上がるのでそこは楽しいですね。オーダーメイドですから。
苦しいのは、その出来に満足できないときやネタが思いつかないときでしょうか。まあ私は趣味でやってますし締め切りもないので楽な方だと思います。実際あんまり苦しいと思ったことはないです。
インタビュアー:作品の会話と説明文の比率はどうやって整えますか?
刹羅木:これに関しては感覚ですね。これは台詞にしないとリスナーに伝わらないなっていうとこと、これはくどいなってとこと、これは説明したいけどここでキャラが言ってるのは不自然だなと、書きながら取捨選択してます。
前後の会話の流れもあるので、最終的な調整は最期にすることが多いかもしれません。最近は凝った設定や説明は極力省いてキャラの会話を自然にして、演者の為に後書き資料として書いてる事が多いです。
インタビュアー:話運びをするときに自然な流れになる様に意識していることってありますか
刹羅木:あまりないです。というのも声劇はセリフの応酬で展開していくので、余程のことがない限りは自然に流れていくと思うんですよね。過去回想に入る場合なんかはタイミングは気を付けます。
回想のボリュームがあるなら一回で(Witch'sGift)、回想を複数挟むなら一回あたりは短く、その中で時系列が進んで現在時点とリンクするように、みたいな感じですね(電光石火に憧れて)。
インタビュアー:作品のメインテーマや複線をちりばめる時に工夫していることはありますか。
刹羅木:作品のテーマと同時に最初に決めていることがあって、その世界に神が実在するのかを設定します。オカルトチックな魔法や霊といった要素を採用するか徹底的に排除するか。それによって伏線なども変わってきます。
都合のいい奇蹟を感動的に演出するか、徹底的に理詰めで伏線を張るか、という事ですね。
インタビュアー:作品を生み出す時には何を考えていますか
刹羅木:その世界をなるべく具体的に想像しています。台本として使ってもらうことももちろん想定しますが、だからと言って優しい漢字にしようとかってことはないです。あて書きしたことも1度ありますが、それ以外では具体的にキャストを想定したこともないです。
インタビュアー:自分が考えるキャラが頭の中で動くときにはわくわくしますか
刹羅木:もちろん感情移入はします。自分で話を考えてる時に泣いてしまったこともあります。そういう意味ではわくわくしますね。
インタビュアー:演技する人や受け取る人によって作品が様々な色を持つことをどう感じますか
刹羅木:ごく自然なことだと思います。私は日常会話でさえ発信者の意図が正しく伝わることは無いと思ってますから。まして物語にもなれば、書き手の想像通りに伝わらないということはこの一年でよくわかりました。
その良し悪しは、受け手の姿勢によるんだと思います。私の場合は、物語に真摯に向き合ってくれた結果なら、どんな形で受け取られても嬉しく思います。
一方で、「この物語をちゃんと読んだらそういう風に演じるのはナンセンスだろ」と思うことも実際あります。物語の雰囲気や作者の意図を脇に置いて、自分のやりやすいように演じるみたいな場合ですね。
その場合は嬉しいという感情はないですけど、それでも演じたご本人達や聞いた方々が楽しかったなら全然良いと思います。
ネットの海に作品を投稿する時点で、つまらないと罵倒されることも、大切に演じられないことも、ただ消費されることも、そも見向きもされないことも、全て覚悟はしています。
だからどんなに雑に扱われようが、本人たちがその時間に後悔がないなら私には何も言うことはないです。それも『色』なんでしょうし。
私の想定に近い色、汚れちまったなぁという色、想像もしなかった新発見の色。色づき方もいろいろあるので、一概に良いとは言えませんね。
インタビュアー:ライターは楽しいですか
刹羅木:現状私にとっての声劇台本投稿は宝くじを買うような感覚に近いです。
先ほど申し上げた通り、素晴らしい上演に巡り合えることもあれば、これは言い方が良くないですがあえて申し上げれば『ハズレ』もある。
これはお芝居が上手くないとかではなくて、台本に費やした私の想いやエネルギーに見合うものが返ってこなかったなぁという感覚です。作品や聞いてくれるリスナーへのリスペクトや感謝が薄いと感じた時なんかですね。
もちろん、全ての上演がリスナーを向いて真剣にやるべきだなんて意見を押し付けるつもりはありません。声劇をやる理由は人それぞれで、趣味なので、自分勝手でいいんです。
ただ逆に、そこには読者やリスナーに物語を届けたいと真剣に執筆に望んだ私の自分勝手も含まれる。ダメだとかそうすべきだとは言いませんが、こうあってほしいと私が願うのもまた自由ですよね。
所詮無料で聞けるアプリにどこまで期待しているんだ、と言われればそれまでかもしれませんが、私は有償で出せるレベルのシナリオを投稿してそれに見合うものを引っ張り出してみたいなという信条もあります。シナリオにエール貰った時は、そうできたのかなと嬉しくもなります。
なので、奇蹟のような縁で巡り合える素晴らしいキャストさんや、いつか聞けるかもしれない最高の上演への期待があるうちは、楽しんでいられると思います。
先ほどネットの海に投稿する時点である程度覚悟しているという話をしました。
Twitterなんかでも、たまにライターさんのご意見で「自分の台本を飲酒して上演するな」とか「台本をルーレットで選んだとか失礼だ」とか見ます。これはそういったマイナスの面を、他のライターさんも感じていらっしゃるんだと思います。
ただ、私は先ほど述べたように、そこまで期待していないんですね。宝くじが毎度1等があたると期待してるなんてことが無いように。
だから私は、自分勝手に期待を押し付けるように物語を紡ぐし、あとがきや設定資料もたくさん書く。「せっちゃんの台本は読むのに勇気がいる」と言われるのはその辺の私の想いの重さが滲み出ているのかなと(笑)
「期待はしてないけど、1等が出てほしいから出来る限りのことはしたいな」という感じです。
だから、それをガン無視してくださっても良いんです。作者のそんな思いはどうでもいいけどネットに上がってるから使わせてもらうね、みたいな上演があっても私には何も言うことはない。
苦労して生み出した愛すべき物語が凌辱されるようなことがあっても、それでもいつか、もしかしたら。
もっと言えば、「作者はこう書いてるけどこの物語はそうじゃないだろ!この解釈の方が面白れぇ!作者より俺の方がこの話を分かってんだ!作者は黙ってろ!」くらいの想いがあって私のあとがきや想いなどをガン無視するのも全然ありです。
結局は物語やお芝居にちゃんと向き合ってるならなんでもいいんです。遊びや趣味だからこそ真剣に。さっきリスナーを向いてなくても下手でもいいと言いましたが、自分の人生を消費しているからには自分には真面目であってほしいですね。これも私の勝手なわがままですけど。
あ、だいぶ話がそれましたが、ライターやってて楽しいのはもちろんシナリオがキャストやリスナーに届いたなと感じた時です。これまでラブストーリー台本で数十人は泣かせてきましたが、その度にやったぜって思いますね。
インタビュアー:最後に、読者の方へメッセージなどあればお願いします。
刹羅木:『ご来場の皆様へ』のセリフにもあるのですが、人生は1秒前にさえもどれない、リテイクの利かない舞台のようなものだと思っています。この記事も、台本も、読んでいただくためにいただいてしまったお時間を私はあなたにお返しできない。
だからせめて、作品を読み、演じるためにいただいた時間に見合うものをあなたに渡せたら、という想いで言葉や物語を綴っています。現代はいろんな作品や娯楽が溢れ、私のそれはお世辞にも一級品とは言えない。でも、そこでしか出会えないモノ、得られないモノがあるのも事実です。DNAが有用な情報を紡ぎ、一方で切り捨てられていく部分がある様に、様々な物語に触れる中で、読んだ人の生き様に残る物語をこれからも紡いでいければと思います。
インタビュアー:本日は様々なお話をお伺いさせていただきました。刹羅木先生、ありがとうございました。
刹羅木:こちらこそ、ありがとうございました。