一回性について
ちょっと真面目なはなし(*^-^*)
私の好きなテレビ番組【swichiインタビュー達人たち】
色々な分野の方が、会いたい人と対談するというものです。
その意外性のある組み合わせと、そこからうまれる世界感が好きで
毎週楽しみにしています。
先日は作曲家・坂本龍一さんと、哲学する生物学者・福岡伸一さんの対談でした。
坂本龍一さんが作る楽曲が好きで親しんでいたこともあり
彼が会いたい人に興味がありました。
坂本龍一さんが会いたいと言わなかったら、おそらく私の人生には登場しなかったかも知れない人。
自分の生きる小さな世界が、こうして少しずつ広がっていくんだなと感じます(*^-^*)
さて、番組の内容の一部をざっくりとまとめてみました。
【再現性の科学】と【一回性の芸術】
この相反するはずの生命科学としての遺伝子と、芸術音楽としての楽譜に
同じものを見ることができるといいます。
遺伝子が生命のすべてなのではなく、楽譜が音楽のすべてなのではないということ。
それは、全く同じ遺伝子を持つ一卵性双生児が、まるで違う人格になるように…
全く同じ楽譜を演奏しても、奏者によってまるで違う音楽(空気の振動)になるように…
そこには作為的に作られたものをこえる、書き表すことのできないものが存在する。
音の振動はその時限り、次の瞬間にはもう存在しない。
人もまた、生まれて消えていく自然物であって、今この瞬間は、次の瞬間にはもう存在しない。
そこに一回性の重要性があるのだということ。
こんな当たり前のことを、私たちは忘れてしまいがちだということ。。
この番組を見た後の新聞に、福岡伸一さんの書籍を紹介する記事をみつけました。
この番組を観ていなかったら、きっと目に留めることもなかった。
人というのは、本当に、自分が見ようとしたものだけを見た
その小さな世界で生きているんですね。。
妊娠したとたん、街中に妊婦さんがいることに気づくように。
車を買い替えたら、同じ車種の車が目に付くように。
見えるもの、見ようとするもの、見たいもの
それは、自分次第でどんどん変わっていく。
一人ひとりが自分の偏った視点からしかこの世界を捉えることができないのなら、
誰かの視点にとらわれる必要なんてないんだって思える。
私が見たい世界も、あなたの見たい世界も、誰にも覗くことができないから(*^-^*)
坂本龍一さんはまた、こんなことも言っていました。
今までの作曲家としての人生は、地図のない、ゴールもわからない登山。
そんな登山でも、何とか頂上に立った時、次の山が見えた。
それは、そこからしかみえない景色。
そして、次に登る山を、間違えたくないのだと。
そのためには、自分をじっくりと内観するしかないのだと。。。
まさにヨガ!!(笑)
一回性のはなしっていうとなんだか難しそうだけど、無常の世界観が仏教に通じます(*^-^*)
無常だから美しい。花も、景色も、想い出も。そして命さえ。
今このときが、絶えず一瞬にして過去となるようにできていることが
救いであって、また美しい。
こんな考え方もあるのだと、恥ずかしながら伝えたかったのでした(*^-^*)