主語を意識して考える.
わたしたちは、ついつい
自分以外の人を主語にして物事をとらえることがあります。
お話の観点がぼやけがち方は、お話の主体、つまり主語があいまいな場合が往々にしてあります。
人間関係の中で、強い葛藤が起こるとき
自動的にこんな風に考えるでしょう。
父は、母は、オットは、ツマは、恋人は
本当にわたしを愛してくれているだろうか。
友人は、わたしのことを
本当に大事に思ってくれているのだろうか。
上司は、同僚は、
本当にわたしを認めてくれているのだろうか。
。。。などと、常に自分以外のひとを主語にして目の前で起きているデキゴトを考えようとします。
主役のあなたは置いてけぼりです。
では、そのすべての問いに
ところで、
わたしは、相手のことをどう思っているの?
と、逆に問い直してみてください。
わたしは、父を、母を、オットを、ツマを、恋人を
本当に愛しているだろうか?
わたしは、友人を本当に大事にしているだろうか?
わたしは、上司や同僚を本当に認めているだろうか?と。
人間関係を築く上で、
誰かがあなたのことをどう思っているのかは
案外関係ありません。
悩みの元は、実は、
”わたしが” 相手のことをどう思っているのか、にかかっています。
オットが、ツマが、わたしを愛してくれない、と信じているとき、実はあなた自身が相手を本当には愛していない場合がほとんどなのです。
我が身可愛さゆえに、わたしのことをあのように扱ってくれない、このように愛してくれないと、要求だけを相手に突き付けている。
書いていて耳が痛いわたしですwアイタタ、、
また、
あなたが幸せ感や、安心感を感じるうえで
誰かに愛されているかどうかは
案外関係がありません。
あなたがまず、あなた自身を愛して大事にしているかどうか、に、すべてがかかっています。
どんなひとも、自分を大事にしているひとに、なぜかもっと愛を注ぎたくなるのです。
なぜか愛しさを感じるものなのです。
まるで、無垢な子どもを愛するように。
人間関係で葛藤を感じているとき、
主語を ”わたし” にして考え直してみてください。
葛藤の元になっているのは本当は何なのかがわかります。
あのひとは、わたしを。。ではなく、
わたしは、あのひとを、どう思っているのだろうか。
本当に、このひとと、共に過ごしたいのだろうか?と。
そもそも、わたしはわたしを愛しているだろうか。大事に扱っているだろうか?と。
そうすれば、案外簡単に
人間関係の葛藤は薄れていき、次第に
幸せ感、安心感を感じられるようになっていきます。
とはいえ、片思いのとき、
あのひとはわたしをどう思っているのかな。。
なんてドキドキ想像するのは、、もう
思い切り楽しんじゃってくださいね♡
ウレシハズカシ ランララン♪
Thank you for reading my blog.
Sofie KT.