私の夢と現実的にしようと思っていることについて
私の夢は「技術のできる人とできない人の壁をなくすこと」です。具体的にいえば、技術を知らないからといって、技術の恩恵を受けられない社会というのは問題だと思うので、技術をみんなの使いやすいものとして導くことのできるエンジニアになりたいと思っています。
それと同時に、社会においての技術者の地位の向上ができるように、言葉を使って、みんながお互いのことを理解できるように尽力することが目標です。
なぜ、そんな風に思ったかといえば、私が挫折したからです。私は技術のできる人間であると勘違いしていました。しかし、某キャンプへ行ってから凄く自分自身のできなさがわかりましたし、それと同時に一流の人が一流たるゆえんも理解し、自分がいかにできない人間かを痛感し、努力の仕方を変えて、アプローチの方法を変えようとしました。
結局のところ、本質はどの学問もどの仕事も同じで、人として当たり前にできるべき人間力のある本質を見抜ける人が、最後は凄い人になっていて、本当に求められている人間なのではないでしょうか。そういう基本的なことができてから応用である技術を習得した人たちが一流の人間だと感じました。
そういう人たちから「ただ、できると思い込んでいるエンジニアになるのではなくて、誰もが楽しくいられる技術を提供できるエンジニアになるべきだ」ということを教えられました。私はいろんな「一流」と呼ばれる人たちから、そういった重みのある言葉をいただいているところが強みであるようにも感じます。
一流だろうと肌で感じられた彼らから私がいわれたのはエンジニアの方々からだったからだと思いますが、「技術のあり方」や「倫理」、「道徳心」といったものでした。彼らの言葉を聞く前にふわふわと漠然とした考えは持っていましたが、言葉を聞いて成長できたように感じます。
技術の使われ方でいうと、現状は「誰かを蹴落とすための道具である」という認識をしている人が多いように感じます。また、企業も同じような思考のところが非常に多いように感じます。技術は資本主義社会において、確かにデータ量や物量などで圧倒している企業のほうが強いでしょうし、そういう人たちの目先の利益のために使われるのは仕方がないのかもしれません。
技術を使うことで、文化的な面においての世界征服ということをすることは可能でしょう。なぜなら、人類にその技術がなければならないという依存状態を引き起こすことができれば、その企業なしで生きていけず、文化もそれにあわせなければならなくならず、結果としては文化の中心はその企業の技術になるということは、いろんな技術革新の際に見せられてきたことです。
しかし、技術は人間を豊かにすることもできますし、同時に人を救うこともできるのは、また技術なのです。
私の持論は「技術は誰かが感性を発揮するときに支えになるもの」という考えです。人間が何かを表現したり、誰かの心の助けになる感性豊かになるものだったり、そういうものは誰かの思いやりに満ちた技術の使い方さえあれば、実現可能ではないでしょうか。
なので、現在の技術ができる人が技術ができることを自慢し、わかっていない人をこきおろしているようなやり方で理解しあわない社会はよくないのではないかと思っています。使いこなしている人は、使えるということで終了していて、誰かの心を救うことのできる感性の発揮の機会を放棄していますし、そうやっていろいろといわれた使えない人も意欲がなくなって、感性を発揮するツールをひとつ失っているとするならば、もったいないことだと思います。
ここまで私はえらそうに書きましたがそれほど技術ができません。技術のできる人たちに比べると、たぶん知識量も実力もないと言い切れます。でも、劣等生だったからこそ、挫折経験が多いからこそ、技術のできない人の気持ちがわかると思います。
たぶん、できる人とできない人をつなぐために言葉を使って、思いやりの表現することをするならば、それなりに感性の豊かな状態で、誰も傷つかず、誰も攻めず、誰もが有用だと思えるようなメッセージを発信しなければならないでしょう。
そのためにも、私自身がほかの人より何かの経験に特筆した人間でないとやっていけないでしょうし、世界が広くないと言葉を本当の意味でやさしくできないというのも、なんとなく人生を生きてきていて理解しているつもりです。
私はいろんな古典と呼ばれる、人間の知恵を吸収し、自分の中に「本当にすばらしいもの」とは何かを理解できるようにしてから、いろんなものに手を出して、今までやってきました。
古典を学ぶことで、すばらしいものを理解したと同時に、現代で使用できる知識も得ました。そのひとつに言葉があり、音楽があります。橋渡しをして、壁をこわすことを感覚的にできるのが、聴覚に訴える「音楽」という存在があるように、技術もまた、使い方では同じことができると信じています。
私は感覚に訴える技術を誰かに提供できるエンジニアになろうと思います。それは、文化的世界征服をするためではなく、誰かの感性を発揮し、技術分野からのアプローチで世界が調和できるような技術のあり方を示すエンジニアになりたいと思っているのです。