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uni-nin's Ownd フジタイチオのライトエッセイ

会いたい・・・だって

2014.01.10 22:42

 ファイルを探していたら、パソコンの中から1993年の文章が出てきました。

20年以上前のものですね。まだぜーんぜん売れてなくかったころのものです。商業的なエッセイじゃなくて、覚書みたいな感じで書いていたのでしょう。こういうのを見つけると当時のわたしのことがわかって、懐かしくなります。漢字の使い方なんかも、いまとはかなりちがっています。

 

 以前、このブログに「幸福の鈴」というのを載せたことがありましたが、その原型になるものです。

 



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「会いたい」

 

 中学校2年の夏に、ダンプカーに足を踏まれ入院したことがあります。

 そのとき入った病院の看護婦さん達がレモンの天使でした。

 

 中学校を出たばかりの彼女達は、個人病院の看護婦見習いをしながら、昼間の定時制の学校に通っていました。

 

 その中でひとり、その年の春に就職したばかりで、どういう理由かは知りませんが定時制の学校にも通っていない人がいました。

 

 一番の新入りで、便所掃除などの雑用をしながら看護婦さんの仕事を教えてもらっている人でした。おとなしい人でした。

 

 みんなが学校に通っている時間は暇だったのだと思います。私の部屋によく遊びにきてくれました。

 

 「今度の休みに何か買ってきてあげるけど、何が欲しい?」と言いましたので「釣り道具」と答えました。病院の前に大きな川があり、そこで鮒をつりたいと思っていました。

 

 数日後、彼女は釣り道具一式を持ってきてくれました。

 

 本当はいけないのでしょうが、そんなことはかまわずに私は釣り竿を持って魚釣りに出かけたのです。

 

 大きな鮒が何匹も釣れ、バケツの中に入れておいたのですが、あまりに元気が良すぎ、跳ねてみんな逃げてしまいました。

 

 逃げて残念がっていたところに掃除を終えた彼女がやってきて「釣れた?」と聞きます。

 

 「いっぱいいたんだけど、逃げた」と答えましたら「逃げた魚は大きいんだって」と笑いました。

 

 私の横に座って、彼女は自分のことを話し始めました。遠くから働きに来ていることがわかりました。白い制服で中腰でしたから、下着が見えそうで目のやり場に困りました。

 

 その後、私は傷の回復が思わしくなく、大きな総合病院に転院しました。

「お見舞いにいくからね」と言った彼女は、同じ病院の先輩と約束通りに来てくれて、「みんなと旅行に行ったんだ」といいながら、木でできた『幸福の鈴』をくれました。

 

 その後、彼女のいた病院の院長先生が肝臓癌で亡くなり、病院も消えてしまいました。

 

 『幸福の鈴』を見る都度、あの頃を思いだします。

 

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 こんな感じ。

その病院は、代が替わってまた復活しています。