龍馬と歩く幕末長崎 フルベッキ写真
今回は坂本龍馬の長崎足跡をたどります、まずは謎のフルベッキ写真
フルベッキを取り囲むメンバーは一説によりますと、坂本龍馬・高杉晋作・勝海舟・大村益次郎・勝海
舟・大隈重信・西郷隆盛・大久保利通・小松帯刀・中岡慎太郎・明治天皇等のメンバーがフルベッキを
中心に写っていると言われます。
佐賀の学生の集合写真が真相らしいのですが、何年かに一度は謎の写真として話題になります。
フルベッキのすぐ上には、左から小松帯刀・大久保利通・西郷隆盛、西郷さんは明治天皇に請われ
ても写真を撮らなかったくらい写真嫌いでした、これは島津斉彬のお庭番だった西郷が身元を知られ
るのを懼れた、写真は昔は長時間じっとしてなかればならなかった、単に迷信で写真を撮られるの
を嫌がった、いろんな憶測がありますが、もし本物の西郷さんの写真なら大発見です。
中央の人物が坂本龍馬、その上が高杉晋作、
左の刀を杖のように持っている人物は勝海舟・その右下が大村益次郎、その右下は桂小五郎
右中段にはこれは本物と断定されている大隈重信、その左、中央には中岡慎太郎・・
フルベッキは娘のエマを膝に抱いています、左下は明治天皇、一番左の下の人物は岩倉具慶。
幕末の慶応元年(1865年)に佐賀藩は長崎の五島町にあった諌早藩士山本家屋敷を改造
して、佐賀藩校英学塾「致遠館」を設立しました。
宣教師フルベッキが校長になり、副島種臣と大隈重信が教頭となって指導に当たりました。日本が
開国・文明開化へと向かう時代に、長崎で英語や欧米の新しい学問や知識が教えられました。致遠
館は藩外にも門戸を開いたので、もしかしたら本当にこのメンバーが集まっていて、秘密結社を作っ
て明治維新が成立したとしたら・・・信じるか、信じないかはあなたしだいです。
上野彦馬のスタジオ跡、(上野撮影局跡)
写真は上野彦馬の子孫の方が明治にスタジオを改装した後に明治2年に撮られたと伝えられていま
すが、それならもうこの写真の中にはいないはずの名前まであります。それでも明治維新のオール
スターが集う写真には夢があり、もしかしたら本物?と想像を巡らせるのも楽しく、数年おきに話題
になるのも無理からぬ事でしょう。
上野彦馬の写真機
長崎歴史文化博物館で開催中の幕末長崎古写真展日本最初の写真は島津斉彬の銀板写真ですが
輸入したカメラで撮影しています。彦馬は独学で写真機や薬剤を作り、最初に松本良順を撮影しま
した・・・ちなみにオランダから写真機を買い島津に献上したのは彦馬の父です。
現在幕末から明治期にかけて多くの志士や偉人、一般風俗が写真で確認できるのは上野彦馬のお
かげです、西南戦争で従軍カメラマンまでしています。
幕末長崎古写真展では後から顔が消された写真も多く、3人の真ん中で写ると良くないと現代も言
われます、カメラ目線で写っている写真も少なく、カメラに直接目をやると魂を抜かれると思ったので
しょうか・・。かなりの枚数の写真が後から顔の部分だけ削られています。