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一号館一○一教室

ビュルガー編『ほらふき男爵の冒険』

2021.12.07 01:48

「ほら」と「うそ」の
違いはどこにあるのだろう?


346時限目◎本



堀間ロクなな


 「ほら」と「うそ」の違いは、どこにあるのだろう?



 子どもから大人までを哄笑させる『ほらふき男爵の冒険』のなかで、いちばん人気の「ほら」と言ったら、巻頭でいきなり語られるエピソードだろう。男爵がはるかロシアの地をめざして銀世界に馬を進めていくと、老人が行き倒れかけているのに出会って外套を投げ与えてやる。やがてとっぷりと日も暮れ、見渡すかぎりの雪原から突き出している木の杭に馬をつないで就寝した。翌日、目を覚ますと、すっかり日がのぼったあたりに馬の姿はなく、ふいに頭上でいななく声が聞こえたので見上げれば、なんと、わが愛馬が教会の尖塔から吊り下がっているではないか。このあと、岩波文庫版ではこんなふうに続く。



 「ワガハイたちまち事の次第を覚ったのであります。村は夜もすがら雪に埋もれておった、ところが天候急変し、雪がどんどん融けるにつれて眠れるワガハイゆるりゆるりと地面へ沈下した。闇の中でワガハイが雪からとびでた木の先端と思い込み馬をつないだのは、教会の塔についた十字架ないしは風見だったのであります」(新井皓士訳)



 男爵はピストルをぶっ放して一発で手綱に命中させ、無事に愛馬を取り戻したそうな。わたしが絵本で初めてこのエピソードに接したときのことは、いまでもはっきりと覚えている。子どもながらあまりのばかばかしさに腹の皮をよじりながら、そこにぐるりと天地の引っ繰り返ったような不思議な浮遊感も味わったものだ。



 ところで、岩波文庫版の訳者による巻末の解説は、本文に匹敵するほど面白くできている。正式のタイトルを『ミュンヒハウゼン男爵の奇想天外な水路陸路の旅と遠征、愉快な冒険』と称するこの物語は、18世紀の中部ドイツに実在した3人の人物によって成り立った。まずヒエロニュムス・カール・フリードリヒ・フォン・ミュンヒハウゼン男爵という田舎貴族の青年が、自分の仕えていた宮廷の主の子息がロシアの皇女に婿入りしたのに随行して、かの地で10年あまり過ごしたのちの1750年に30歳で帰郷してからは、もっぱら趣味の狩猟と、おのれが体験したという奇想天外な旅行談に明け暮れて後半生を過ごした。その自慢話の数々は大いに評判を呼んだらしく、本人存命中の1781~83年にベルリンで出版されていた『おもしろ文庫』シリーズに収められる。



 そこに登場したルードルフ・エーリヒ・ラスぺという博物学の学者が、にわかに横領まがいの嫌疑を受けてイギリスへ高飛びしたあと、『おもしろ文庫』のエピソードをまとめて、1785年に『マンチョーゼン(ミュンヒハウゼンの英語読み)男爵の奇妙きてれつなロシアの旅と出征の物語』という、著者名なしの本をつくって儲ける。さらに、ゴットフリート・アウグスト・ビュルガーなる不遇な大学講師がこれに手を加えて、新たなエピソードをふんだんに盛り込み、ぴりりと風刺の薬味を効かせたうえで、1786~88年にやはりこちらも匿名で前述の書物に集大成して、ミュンヒハウゼン男爵をドイツに里帰りさせたことから、われわれにも親しい愛すべきヒーローが誕生したという次第。



 こうしてざっと眺めただけでも、ドイツからロシア、イギリスを股にかけて、またたく間にふくれあがっていった物語の成立そのものが、あたかもヨーロッパ全土を舞台としての壮大な「ほら」のように見えてきはしないか。



 それだけではない。上記の説明に煩わしいくらい西暦年を入れたのには理由がある。このミュンヒハウゼン男爵の物語が短期間に成長していくプロセスは、コロンブスが発見した新大陸が1776年にアメリカ合衆国として独立を宣言し、1783年にイギリスとのあいだの戦争に勝利を収めたり、また、1789年にフランス革命が勃発して、1793年にはルイ16世とマリー・アントワネットがギロチン台で処刑されたり……といった、ヨーロッパを揺るがす大事件と並行するものだったこと示したかったからだ。現代から振り返ると、これらは以降の世界の動きを決定づけたエポックメーキングな出来事で、われわれは歴史の必然のように見なしがちだけれど、18世紀の同時代を生きた人々にとっては異なったに違いない。一夜明けてみれば愛馬が教会の尖塔に吊り下がっていたという冒険譚よりも、アメリカ独立やフランス革命のほうがずっと荒唐無稽な「ほら」と受け止められたはずだ。



 かくして、冒頭の問いに戻ってみよう。「ほら」と「うそ」の違いは、どこに? たとえ、どちらもわれわれを騙すのが目的だとしても、「ほら」はそこに夢を見ることからはじまり、「うそ」は現実を見ることからはじまる――。他ならぬ男爵自身が、最後にこう告げて話を結んでいるではないか。



 「またワガハイのところへおいで下され、決して御退屈はさせませんぞ。マ、今日のところはこれで失礼致すことにし、皆さん、いい夢を御覧になるよう、祈るものであります」