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住職5分間法話(R3年12月5日更新)「布施」④

2021.12.07 03:42


 今回は「布施」についての最終回のお話しです。

皆さんは、「カルネアデスの舟板」という言葉をご存知でしょうか。ご存知でないお方に概略をお話しします。

 カルネアデスは人名で古代ギリシャの哲学者です。この哲学者が提起した問題が有名で、「カルネアデスの舟板」と名付けられています。

 大海の中で船が難破して沈没してしまいます。海中に投げ出された乗組員の一人の男(A)が船の板切れに掴まって救助を待っていた。そこにもう一人の仲間(B)が泳いできた。彼もその板切れに掴まりたい。しかし、その板切れは余りにも小さくて二人が掴まると確実に沈んでしまい二人とも助かる見込みはない。「さあ、この場合にどうしたらよいのか」という問題です。

最初から掴まっていたAはBを払い退けてよいのか?。そうするとBには死が待っている。AはBを殺すことになる。後から来たBはAから板を奪って自分が生きる道を選んでよいのか。

皆さんならどう対処しますか?

 刑法上で言えば、どちらかが相手を突き放しても、「緊急避難」という条項に該当して罪にはならないだろうということです。

 皆さんにはこういう状況を倫理とか法律の観点からではなくて、仏教の教えの上から考えていただきたいのです。

 最初から掴まっていAが、後から泳ぎついたBに言います。「この板には

一人を支える浮力しかない。あなたにこの板を差しあげます。」と、相手にその板を差しあげるのが「布施」であると思います。そのとき、後から泳ぎついたBが、「ありがとうございます。貴方のご好意で私は助かります」と言ってAからその板を譲り受ければ、これは尊い命がけの布施に応える態度とは言えないでしょう。なぜなら、相手のことは考えず、自分さえ助かればよいという心は、人間の道から外れた恥ずべき行為で、仏の教えの道からは外れていると思うからです。

 毎年のように生じる痛ましいできごとがあります。海や川で溺れている人を見て、とっさに助けようとして飛び込んだ人が過去たくさんいます。溺れた人は助けられ、助けようとした人が力尽きて亡くなっています。助けようとした人は、助けることで名をあげようとか、代償に金銭を得ようと思って行動を起こすのではありません。とっさに助けようとして行動しているのです。そこに駆け引きは一切ありません。駅のホームから線路に落ちた人を助けに線路に飛び降り、落ちた人を助けあげた後、列車に魅かれて亡くなっている人も多くいます。その行動に不純な動機は全くないのです。

 

 ここで、私の親戚でもあり一級先輩で非常に親しくしていたK氏の身の上に生じた痛ましい遭難(海難)事故について記します。以下は実話です。

 K氏は海釣りが一番の趣味で、海外にもたびたび遠征していました。40歳を迎えた春、若い社員をお供に連れて海外に行きました。クルーザー船をチャーターしてカジキマグロ釣りに挑戦中、船はエンジンガ故障、操舵が効かなくなって激しい潮流にもまれました。危険を感じて救命胴着を着用することになりましたが、点検不足であったのか、船には救命胴着は二着しかありませんでした。K氏は老年の船長と若い社員に救命胴着を渡して、「心配しなくともよい。私は泳ぎは達者だ。」と言ったそうです。岩礁に激突する寸前に三人は海に飛び込みました。救命胴着を身につけていた二人は漂流中に救助されましがK氏は行方不明になりました。飛行機や多くの船が捜索しましたが、遺体発見されませんでした。

その後、ご遺体のない葬儀が東京・築地の本願寺で勤められ、私が本願寺僧侶の導師して読経しました。辛くて悲しい葬儀でした。参列者は、ほほえんでいるK氏の遺影に皆涙していました。K氏の兄は海が見える鎌倉霊園の丘の上に墓地を建立し弟を弔いました。 

 K氏は、救命胴着の布施をすることで命の布施もしました。私もK氏もクラッシック音楽が趣味で、K氏からはよくLPレコードを貰い歓談していましたが、泳ぎが達者であったかは知りません。達者でなくても、案じる二人に「心配しなくともよい。私は泳ぎは達者だ」と言えて、そういう行為が日常的にできる人でした。K氏が亡くなって45年を迎えますが、今、私にできることは、この悲しい出来事を忘れないようにするためにホームページ上にも記載し、尊い布施の行為を広めていくことぐらいしかできません。カルネデアスの文字を見るたびに、悲しい出来事が思い出されて涙します。

 人生は、「キブ・アンド・テイク」ではありません。相手の人に見返りを期待してギブする行為は、期待に反することか生じると、不満や怒りが生じて、心は汚くなるものです。

「人生はキブ・アンド・キブ。惜しみなく与え続けると、全く別のところからギフトか届く」(東大医学部教授・矢作直樹氏の言葉)。「惜しみなく」とは。「何らの見返りも期待しない」ことで、これが「布施」のこころです。皆様にはよきお年をお迎えください。次回の法話は1月15日に更新します。