西ローマ滅亡の道10-恐怖の大王アッティラ
2017.06.20 07:49
434年、フン族の中でアッティラが族長となった。遊牧民族は、普段はバラバラだが、有能でカリスマのある指導者が出ると、一体になって急激に強大になる。東洋では匈奴として紀元前から有名であるが、ヨーロッパはこれが初体験である。
東ローマは、多額の貢納金を払って、なんとか撤退してもらった。東帝テオドシウス2世はこの経験から、有名なコンスタンティノープルの「テオドシウスの三重壁」を構築する。引き上げたアッティラは、フランス東のブルゴーニュにあったブングルト王国を滅ぼす。このときの経験が中世叙事詩「ニーベルンゲンの歌」に反映されている。
その後、アッティラはササン朝ペルシアを攻撃、アルメニアで敗退してヨーロッパに戻った。この間ドナウ防衛部隊は、ローマの穀物蔵であったアフリカを制圧したヴァンダル族に向けられ、アッティラは、ドナウ河を越え、バルカン半島に攻め込んだ。東ローマは今度は戦闘するが、コンスタンティノープルの城壁寸前まで攻め込まれ、結局さらに多くの貢納金を払った。
450年、ガリアを制圧していた西ゴート王国に侵入、ガリア一帯を蹂躙した。西ゴートと西ローマは連合して、451年カタラウムの戦いで双方とも多くの犠牲を出す大激戦を演じて、ようやくアッティラを撤退させたが、西ゴート王テオドリックは戦死した。
下はドラクロア作フランスブルボン宮殿の「アッティラ大王」