ZIPANG TOKIO 2020 「 神聖地 富士山 は 富士山本宮浅間大社の御神体である(後編)」
富士山本宮浅間大社
境内・社殿
本宮の境内の広さは約17000坪、徳川家康公寄進の神殿、楼門を中心とした御神域は御神徳の偉大さを物語っています。また、富士山8合目以上は奥宮境内地であり、約120万坪の広さに達します。古来富士山は富士山本宮浅間大社の御神体として崇められる神聖地であって数々の霊場行場があります。
本宮社殿
慶長9年(1604)徳川家康が奉賽のために造営したもので、本殿・拝殿・舞殿・楼門等壮観を極めたものでしたが、寛永安政等の大地震で破壊したものもあり、当時の建物で現存するのは本殿・幣殿・拝殿・楼門のみです。
楼門
楼門は、間口4間、奥行2間半、高さ6間半2階入母屋造で、正面・左右脇に扉が付きます。楼門の左右には随身が安置してあり背銘に慶長19年(1614)の年号があります。楼門に掲げる扁額は聖護院入道盈仁親王の御筆で文政2年に制作されたものです。
拝殿・幣殿・透塀
幣殿・拝殿は本殿と同じく徳川家康公の寄造営によるもので、屋根は本殿と同様檜皮葺、外側・内側は丹塗となっておりますが、極彩色は蟇股・虹梁彫刻などにとどまります。
幣殿は、本殿と拝殿をつなぐ「作合」と呼ばれた部分で、間口5間・奥行3間の両下造、北面には本殿の屋根の端が露出しています。元は石畳でしたが、現在は床に改められています。
拝殿は、間口5間、奥行5間で、床が幣殿より2段高くなっています。正面が入母屋造、背面が切妻造で、正面に向拝が1間出ています。正面に扉があり、左右は蔀戸によって区切られています。正面左右には濡縁を巡らせてあります。
本殿
二重の楼閣造で棟高45尺、浅間造りと称し其の構造は他に例がありません。1階は5間4面葺卸の宝殿造り、2階は間口3間奥行2間の流れ造りで共に桧皮葺です。明治40年5月27日古社寺保存法により特別保護建造物に指定され以後国宝又は重要文化財として特別の保護を受けてます。
本宮境内
正面大鳥居から鏡池に至る約50メートルの参道を進み、楼門より入り参拝して湧玉池神田川沿いのふれあい広場の順で進むと境内を一周することが出来ます。
鏡池
楼門前の池で一名眼鏡池とも云われます。中央の輪橋は大正4年御即位記念として石造りに改められました。
桜の馬場
5月5日勇壮な神事流鏑馬式が執り行われる馬場です。馬場にはご神木の桜が植えられています。これらを含めて境内には500本以上の桜が植えられ、春には桜の名所として賑わいます。
鉾立石
楼門前の石段上にある自然石は鉾立石といい、明治初年まで行われていた山宮御神幸の際、神鉾を休め奉った所です。
湧玉池
東脇門を出ると平安朝の歌人平兼盛が「つかうべきかずにをとらん浅間なる御手洗川のそこにわく玉」と詠じた湧玉池があります。この池は富士山の雪解け水が何層にもなった溶岩の間を通り湧出するもので、特別天然記念物に指定されています。 清水の湧出する水源の岩上には朱塗優雅な水屋神社があります。富士山登山者はこの霊水に禊ぎをして登山する古くからの習わしがあります。
富士山頂上浅間大社奥宮
例祭:8月15日
表口(富士宮口)から上りつめたところの山頂に鎮座します。御祭神は浅間大神(木花之佐久夜毘売命)を主祭神とし、相殿神として父神大山祇神、背の君瓊々杵尊をお祀りします。 7・8月の開山期には、神職が奉仕し、国家安泰、氏子・崇敬者・登拝者の安全を祈念するほか、家内安全等の諸祈願、結婚式の奉仕、お札・お守りの授与、金剛杖・行衣等の御朱印の授与も行っています。
富士山頂上久須志神社
例祭日:8月15日
須走口、吉田口、河口湖口の登山道の頂上に鎮座します。この神社は奥宮の末社で、大名牟遅命、少彦名命をお祀りします。
登拝・お鉢廻り
富士山の御神徳を拝しながら登山する事を登拝といいます。富士登山は平安末頃から始まり、江戸時代大きく発展し、富士講という団体登山が行われるようになりました。 登拝は、金剛杖をつき「六根清浄」を唱えのぼり、頂上では両奥宮参拝後、お鉢(火口の事)廻りをするのが習わしです。時間は約1時間です。
大内院
旧噴火口の事で幽宮とも称え禁足地となっています。その深さは8合目まで達しています。
金明水・銀明水
頂上のわずかな落差によって湧く御霊水です。登拝者はこのお水を受けて浅間大神の御神徳を戴くのです。 金明水は、久須志神社の西北方、白山岳に麓に、銀明水は、御殿場口登下山道の起点にそれぞれあります。
八神峰・剣ヶ峰
大内院周辺には剣ヶ峰・白山岳・久須志岳・成就岳・朝日岳・浅間岳・駒ヶ岳・三島岳の八神峰がそば立ち、これを巡回するのをお鉢廻といいます。 八神峰の内最も高いところは剣ヶ峰で、頂上には標高3776メートルと記した日本最高地点の碑があります。 また、日本で一番高所にある富士山測候所が峰上にあります。
虎岩
火口に大きくつきだしている岩で、その姿が蹲る虎に見えることからこの名があります。
雷岩
剣が峰と白山岳の間の外輪にある岩で、この方角から強い雷雲がくる事からこう呼ばれています。 近づくと無数のヒビが見えますが、これは強い雷にうたれて出来たともいわれます。
割れ石
小内院の上の方、白山岳の端にある縦に割れたようになっている岩です。白山岳が昔釈迦岳と呼ばれていたので「シャカの割れ石」と言われていました。今は危険なため通行止めとなっています。
御来光
富士山頂での朝日を御来光(ごらいこう)といいます。東北奥宮正面より拝むことができます。
影富士
富士山の影が雲海に映るのが影富士です。
夜景
久須志神社正面より関東を望む。
浅間大社の祭礼について
浅間大社の祭礼で最も早く見られるのは、都良香の『富士山記』に貞観17年(875)11月5日申の日に「旧に仍りて祭を致す」(原文は漢文)とある部分で、申の日の祭礼が古くから継承されて来た様子がうかがえます。天正5年(1577)の『富士大宮御神事帳』には、65度に及ぶ祭礼が載っており、主なものは今に継承されています。現在、浅間大社の恒例祭典は、159度に及びます。
初詣で・1月の行事
初詣で・新年初祈祷
新年を告げる初太鼓が打ち鳴らされると同時に、境内一円でその時を待つ参拝者が、いっせいにお参りされる様子は壮観です。浅間大社では3が日で約34万人の方が参拝されます。
また、新年の初祈願も1月1日午前0時から受付ております。お参り下さい。
新年諸祭典
1月1日の歳旦祭を始めとして新年の安寧を祈る祭典が斎行されます。
水屋神社例祭
1月4日午前11時 (末社 水屋神社)
富士山に降った雨や雪が地下に浸透し、幾重にも重なった溶岩の層を通って湧き出す「湧玉池(わくたまいけ)」の水は、古来より浅間大神の御神徳そのものとされ、御霊水として信仰されてきました。そのほとりに湧水を司る神として鎮座ましますのが水屋神社です。
当日は、水に関わる崇敬者等が集い、感謝と今後かわらぬ恵みを願います。
新春神賑行事
新春餅つき大会
1月2日午前9時~午後3時頃 (浅間大社 楼門内)
浅間大社氏子青年会の奉仕によるもので毎年行われてるものです。搗きあがった餅は、神前に奉納後、きな粉餅、あんこ餅、おろし餅、ぜんざいなどにして参拝者に振舞われます。
また、氏子青年会では、国旗・拍子木の頒布も行っています。威勢の良い拍子木を受け福を招いてみてはいかがでしょうか。
奉納太鼓
1月2日午前10時より (ふれあい広場)
恒例の太鼓の打ち初めが、天間太鼓保存会の皆様より行われます。
木遣り奉納
1月2日午前9頃 (浅間大社 拝殿前)
木遣り・梯子乗りの奉納が行われます。
節分祭・2月の行事
2月3日午後3時30分(浅間大社 社殿)
節分祭は、立春の前日に行う悪疫退散、招福の行事です。日本では、古来季節の変わり目を祝う行事があったと思われますか、現在の節分祭は、中国の行事を輸入したものといわれ、室町時代中期より盛んになりました。別名を追儺式(ついなしき)ともいいます。 浅間大社では、節分のご祈祷・鳴弦式・年男の豆まきを行い、厄除招福を祈ります。また、甘酒や鬼の面の無料配布なども早朝より行っています。
節分開運厄除祈祷
2月3日 早朝~午後2時(浅間大社 社殿)
2月4日は立春。前日3日にこれまでの厄を祓って清々しく春を迎えるために、厄除招福の御祈祷をお受け下さい。厄年・年男・年女に当たられる方には特にお勧めします。
節分厄除開運祈祷申し込みについて
事前または当日に祈祷券をお求め下さい。祈祷券は、浅間大社の世話役方か浅間大社で扱っています。
祈祷券初穂料 前日まで・・・・・・・・5000円 2月3日当日・・・・・・・6000円
豆撒き式
2月3日午後4時頃(浅間大社 馬場)
鳴弦式・殿内での豆撒きに続き、馬場において盛大に豆撒きが行われます。
桜花祭 3・4月の行事
祈年祭
3月17日午前11時(社殿)
祈年の「年」とは、稲の事。稲作を始めるにあたり、年穀の豊穣を祈ると共に、国の安泰を祈る日本古来のお祭りです。
当日は、農業関係者が多く集う中、厳粛の内に祭典が執り行われます。
朝詣事始祭(あさもうでことはじめさい)
4月1日午前6時30分 (浅間大社 本殿)
浅間大社では、毎月1日15日の早朝参拝し、家内安全・健康等を祈願する「朝詣会」を行っています。
4月1日は年度始めに当たり1年間無事に参拝できたことに感謝し、また今年度も健康無事に参拝出来るよう祈願します。
会員には、朝詣賞が授与され、新しい会員証が渡されます。また、朝がゆもふるまわれます。
月次祭・桜花祭
4月1日午前9時(浅間大社 本殿)
浅間大社のご神木が桜であるため、境内には約500本の桜が植えられています。この桜の開花は、御祭神「このはなさくやひめ」の御神徳そのものであるとしてこれを祝います。
また境内では様々な神賑行事が予定されています。
提灯点灯
3月下旬~4月上旬 夕刻~午後9時30分(浅間大社境内 雨天中止)
夜桜も楽しめるよう提灯を点灯しています。
雅楽・舞楽・狂言の夕べ
4月1日午後6時(浅間大社 拝殿前 雨天拝殿)
[雅楽]
雅楽は、今から約1400年前に朝鮮半島、アジア大陸等からもたらされた諸国の音楽舞踊と、日本古来の音楽舞踊を統合して、日本独自に変化させた音楽です。宮中などで伝承されてきました。
浅間大社では毎年桜花祭に合わせて奉納しています。
出演:浅間大社伶人会・大仁雅楽会
演目:「豊栄舞」「蘭陵王」
[狂言]
狂言は対話を中心としたせりふ劇です。大がかりな舞台装置は一切用いず、言葉やしぐさによってすべてを表現します。狂言の大きな特徴は「笑い」。中世の庶民の日常や説話などを題材に、人間の習性や本質を鋭く切り取って、大らかな「笑い」や「おかしみ」にしています。狂言の典型的なキャラクター「太郎冠者(たろうかじゃ)」を始め、様々な登場人物たちが織りなす物語です。現在、能と合わせてユネスコの「無形文化財」に登録され、歴史的な、また現代に生きる演劇としての価値が、国内外を問わず広く認められています。
出演:大蔵流狂言 山本則俊・山本則重・山本則秀・若松 隆 能楽小鼓方大倉流 田邊恭資ほか
番組「素袍落」
あらすじ
伊勢参宮を突然思い立った主人。同道を約束していた伯父を念のため誘おうと太郎冠者を使いに出す。伯父から門出を祝って貰い酒を振舞われ、餞別までもらった太郎冠者は・・・。
天間太鼓保存会演奏
4月2日午前10時~午後2時(浅間大社 ふれあい広場)
野点(のだて)
4月2日午前10時~午後2時 (浅間大社 ふれあい広場(雨天 参集所))
富士宮茶友会の奉仕で行われています。
末社天神社例祭
4月4日午前10時(末社天神社 雨天 拝殿)
天神社は、菅原道真公をお祀りしており、学問・書道上達の神として崇敬されています。
例祭当日は、市内の書道教室に通う小中学生・書道教授約100名が参列し、古くなった筆を納める「筆納式」を行い、書道研鑽の誓いを新たにします。
天神社奉納書道展
4月1日~4日午前5時~午後9時 (浅間大社 楼門内)
後援:富士宮市書道教授会
この奉納書道展は天神社例祭にあわせ毎年開かれているもので、書道教室に通う小中学生の作品を中心に約700点が展示されます。
富士山境内地確定記念祭
4月9日午前9時(浅間大社)
富士山頂上奥宮境内地は、古来当大社の境内地として広く認められていますが、戦前は、国家管理であったため、戦後、一時没収払い下げという経緯をとりました。昭和22年4月11日附公布施行された法律第53号「社寺等に無償で貸し付けてある国有財産処分に関する法律」に基づき、昭和23年4月18日附大蔵大臣宛申請したところ、奥宮境内地については、その一部のみを譲与し、その他は全域を国有に存置する旨、昭和27年12月8日附決定通知を受けたことにより、当大社としては富士山の神聖と神体山護持のため昭和32年2月8日附名古屋地方裁判所に対し、この行政処分の取り消し請求を提訴しました。 自来第1審・第2審の勝訴を経て昭和49年4月9日最高裁判所の裁決により神社側の主張が認められ、最終決着を見たのです。これを記念して行われるお祭りです。
初申祭・御神幸
4月3日午前9時30分(浅間大社)
初申祭とは、ゆかりの深い初申の日に本宮・山宮両社を参拝し、豊かな稔りを祈る祭りです。古くは大祭礼とされ、山宮へ御鉾を渡御する御神幸があるなど、盛大に行われましたが、明治初期を最後に両社の参拝のみ行われてきました。
この山宮御神幸とは、遙か1200年前の大同元年(806)、征夷大将軍坂上田村麻呂(せいいたいしょうぐん、さかのうえたむらまろ)公が、平城天皇(へいぜいてんのう)の勅を奉じ、山宮浅間神社より現在の大宮の地に壮麗な御殿を建立し、浅間大神(あさまのおおかみ)を遷し祀った故事に因む神事です。
平成18年、御鎮座1200年の奉祝として、富士宮市観光協会主催のもと、浅間大社神幸会・浅間大社青年会のメンバーが中心になり、山宮御神幸を復興しました。本年も、浅間大社神幸会・浅間大社青年会の奉仕により行います。
流鏑馬祭 5月の行事
浅間大社の流鏑馬(やぶさめ)について
流鏑馬(やぶさめ)は走っている馬上から的を射る武芸の一つです。もとは、「うまゆみ」といい、のち「矢馳馬(やばさめ)」と呼び名を変え、転訛して「やぶさめ」となったという説があります。
平安時代末期ごろから、源氏の武士を中心に広がりをみせ、鎌倉時代には隆盛を極めました。また、宮中や神前にも奉納され、神事としても発達してきました。現在、的中によって年を占ったり、当的・当矢を持ち帰りお守りとする神事として各地に伝わってます。
浅間大社の流鏑馬は、社伝によると建久4年(1193)源頼朝が富士の裾野で巻狩を行った際、当大社に流鏑馬を奉納し武運長久・天下太平を祈願したことから始まるとされています。天正5年(1577)の『富士大宮御神事帳』、慶安3年(1650)の『富士本宮年中祭禮之次第』などにも記載されている800余年の伝統を持つ神事です。
流鏑馬自体は、5月5日に奉納されますが、これに合わせて様々な祭儀が行われます。これらは、本宮祭儀を行うための重要な意味があり、全部を含めて流鏑馬といえます。
富士川川原祓
5月4日 午前9時 (富士市 水神社脇 富士川河川敷)
流鏑馬祭に先立ち富士川河川敷で弓馬の祓を行います。当日は、浅間大社宮司以下神職・古式射手・大社役員・水神社役員参列のもと、富士川河川敷に斎場を設け修祓を行った後、水神社(すいじんじゃ)に正式参拝をします。
古くこの川原祓は、旧歴4月29日または28日に鈴川海浜にて行なわれていたものです。この祓いの後、5月2日 米之宮浅間神社、5月3日 富知六所浅間神社で流鏑馬が順次奉納され、本宮の祭儀へと続く一連の祭儀の始まりでした。現在は、この日が両社の例祭日となり、流鏑馬は行われなくなっています。
馬場祓
5月4日 水神社より帰着後 (浅間大社 桜の馬場)
馬上から桜の馬場を祓い清めます。奉仕は川原祓奉仕神職が行います。
末社巡拝
5月4日午後より (富士宮市 若宮八幡宮・金之宮八幡宮・富知神社)
浅間大社宮司以下神職・古式射手・大社役員が市内の各神社(旧末社)を参拝します。
古くは、3日 若宮八幡宮、4日 金之宮・富知神社と流鏑馬が奉納されていましたが、現在は参拝のみとなっています。
かむなかけの儀
5月4日 午後 (浅間大社 桜の馬場)
流鏑馬本番を前に馬を走らせる行事で、3騎が馬場を疾走します。
元々は、「かむなかけの的」といい、上方5騎の内、杉田・中里・森之越の3騎にて的を射る行事でした。挨拶と予行演習を兼ねたものとおもわれます。
流鏑馬祭
5月5日 午前9時 (浅間大社本殿)
宮司以下神職・氏子代表・甘葛太夫(あまずらだいゆう)・射手代官・古式射手・神事流鏑馬式射手・氏子・崇敬者参列のもと執行されます。
氏子代表・射手代官は毎年氏子より選出された方が奉仕されています。
また、甘葛太夫は、代々特殊神饌「甘葛」を製造奉納される深澤家の方がつとめられます。この甘葛という植物の樹液は、その名の通り甘く天然の甘味料と珍重されてきました。その昔は、葉を煎じて献じたとあり、甘茶として飲まれたようです。今では、樹液のまま3本の竹筒に入れお供えされます。なお、製法は深澤家の秘伝です。
その他特殊神饌として、端午の節句にちなみ、菖蒲(しょうぶ)・蓬(よもぎ)・粽(ちまき)がお供えされます。この特殊神饌は祭典終了後参列者に授与されます。 菖蒲・蓬は数本を束ねて奥襟に挿し、邪気をはらって以後の祭典に奉仕します。
古式射手は、神前に供えお祓いした弓矢をもって浅間大社流鏑馬式(古式)を奉仕します。
浅間大社流鏑馬式(古式)(富士宮市 無形民俗文化財)
5月5日 午前10時頃 (浅間大社楼門前馬場)
古来より浅間大社に伝わっている流鏑馬式です。地元有志による「浅間大社流鏑馬保存会」によって伝承されています。武術的要素は廃れて、儀礼的に伝承されています。
宮司以下神職・氏子代表・参列者観覧のもと射手代官・古式射手が奉仕します。
練行
5月5日 正午~午後2時頃 (市内一円)
神事流鏑馬式に先立ち総勢100名程の奉仕者が鎌倉時代そのままの武者などに扮し、市内一円を練り歩き、流鏑馬が行われる事を知らせるとともに、奉仕者自らの士気を高めていきます。
神事流鏑馬式
5月5日 午後3時~午後4時頃 (浅間大社 桜の馬場)
拝殿参拝の後、流鏑馬を奉仕します。射手以外の諸役は氏子代表と同じく氏子より選出された方が奉仕されます。鎌倉武士さながらの勇壮かつ華麗な流鏑馬を奉仕するのは、齋藤道場一門の方々です。
馬場入りの後、所役が所定の位置につき、馬場元役が紅の大扇を掲げ、馬場末役が白の大扇をかざしてこれに答えるといよいよ流鏑馬の始まりです。
一ノ射手は揚扇を行い疾走し二つの的を次々に射抜く姿は見事というほかありません。三ノ射手までが正射手で、その他を平武者といって区別してます。違いは装束にありますので注意して見て下さい。15~20騎ほどの流鏑馬がおこなわれ終了となります。
縁起物
甘葛 (あまずら)
特殊神饌として供えられる昔の甘味料。もとは葉を煎じ甘茶として飲んだようです。現在は、樹液のままお供えされ参列者にも授与されます。授与の際、盃等は使わず樫の葉に数滴たらし、舐めるようにしていただきます。味は甘さとわずかですが舌を刺すような刺激がある独特のものです。製法は代々甘葛太夫をつとめる深澤家の秘伝となっています。
菖蒲(しょうぶ)・蓬(よもぎ)・粽(ちまき)
5月5日端午の節句にちなみ菖蒲・蓬で屋根を葺く他、神前に特殊神饌としてお供えします。菖蒲・蓬はさまざまな薬効があり、風呂に入れると邪気をはらうと伝えられています。粽も健康を祈願したもので、病難除けとして天井に飾るところもあるそうです。
当たり的
流鏑馬で当たった的は、縁起がよく家内安全・無病息災のお守りとされています。浅間大社では氏子青年会の奉仕により授与いたしております。
編集が締め切りに間に合いませんでしたので、続きは明日、6月22日(木)に特別編として掲載いたします。
鎹八咫烏 記
伊勢「斎宮」明和町観光大使
協力(敬称略)
富士山本宮浅間大社 〒418-0067 静岡県富士宮市宮町1-1 TEL 0544-27-2002