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金山町・只見町「癒しの森」 2017年 初夏

2017.06.24 14:15

JR只見線・会津越川駅から東北電力㈱伊奈川発電所の取水口(堰)を見に行く途中、金山町と只見町の町界の松坂峠にある「癒しの森」に立ち寄った。

 

金山町只見町南会津町檜枝岐村にまたがる国有林を含む地域は、2007(平成19)年3月31日に林野庁から国内最大となる「奥会津森林生態系保護地域(林野庁、PDF)」に指定された。金山町と只見町に広がる「癒しの森」はこの一部にある。

「癒しの森」は金山町横田地区と只見町布沢地区を結ぶ、県道353号線沿いに「大岐集落跡登山口」(金山町)と「松坂峠頂上登山口」(只見町)の2箇所の出入口があり、大岐集落跡の南、松坂峠頂上の西に広がる約300haの森林を差している。

 

 

今回、金山町にある東北電力㈱伊南川発電所の関連施設を巡る計画を立てた際、同発電所の取水口(堰)に向かう途中にこの「癒しの森」があるため、立ち寄る事にした。

「癒しの森」の最寄駅は会津横田になるが、ほとんどのガイドブックは只見駅から車で移動する方法を載せている。大型バスが只見側しか通れないためだと思われる。今回の私のように、金山側から、しかも“鉄道+自転車”で向かう記述はどこにも見当たらなかった。  

 *参考:

・福島県:只見線ポータルサイト   

・NHK:新日本風土記「動画で見るニッポンみちしる~JR只見線」 

・東日本旅客鉄道株式会社:「只見線について」(PDF) (2013年5月22日)/「只見線(会津川口~只見間)の鉄道復旧に関する基本合意書及び覚書」の締結について(PDF)(2017年6月19日)

・拙著:「次はいつ乗る?只見線」カテゴリ ー只見線沿線の“山”(登山/トレッキング)ー / ー只見線の夏

 

 


 

 

今朝、郡山から磐越西線の始発列車に乗って会津若松入りし、只見線の列車に乗り換え。


 

  

現在の終点である会津川口からは、輪行した自転車で只見線と並行する国道252号線を走り、会津越川に向かった。


 


会津越川に到着し、「癒しの森」に向かうにあたり、“只見線の全線復旧後ならば”と仮定し、駅のホームに自転車を収納し置いてみた。

ちなみに、「癒しの森」に距離的に近いのは、次駅の会津横田になる。また、ほとんどのガイドブックは只見から車で移動する方法を載せている。大型バスが只見町側からしか通れないためだと思われる。*参考:福島県観光物産交流協会「ハイキング・トレッキング ガイドブック ~ふくしまの山へ出かけよう!~」16.只見町・金山町「癒しの森」-ブナの巨木に出会える奥会津の森- 


 

11:37、輪行バッグから折り畳み自転車を取り出し、組み立てて出発。

 

駅前には看板が設置されていて、只見線の歴史から始まり、「平成23年7月新潟福島豪雨」での運休、そして駅の設置の状況などが記載されていた。

 

駅のそばにある、越川第二踏切の標識の一部が折れ曲がっていた。運休から6年を経て、豪雪の重みでひしゃげたような設備は数多く見られる。

 

  

国道252号線に入り、「東北電力㈱伊南川発電所」の周辺を見て回り、さらに西に進む。横田地区に入り、県道352号(布沢横田)線との交差点に着く。

 

ここに「癒しの森」の案内板があった。「癒しの森」内は一筆書きのトレッキングコースになっていて、「大岐集落跡」と「松坂峠頂上」の2箇所の出入口が記されていた。

  

 

国道を左折し県道352号(横田布沢)線に入ると、まもなく、只見線・山入橋梁の前に道路情報板が現れた。この県道352号線は積雪のため冬季通行止めとなり、例年12月上旬から翌年4月下旬が不通区間となっている。『5km先松坂峠』とは金山側の最後の集落である鮭立のやや先にあたる。

   

山入川に沿った道は広く、傾斜もきつくないことから折り畳みの小型車であっても、変速付き付き自転車では苦にならなかった。

  

まもなく、最初の集落である石塚の家々が見えてきた。先のT字路を右折すると、旧横田鉱山の裏手を経て会津横田駅に向かう事ができる。

 

 

さらに進むと、前方に真新しい擁壁が現れた。

 

何気なく脇を通り過ぎようとしたところ、中間部に埋め込まれた一つの塩ビ管と銘板を目に留め、自転車を停めた。“新遠路(ニトウジ)の風穴”と記載された石板が掲げられていた。只見線の滝谷駅から南に1kmほどにある、「滝谷風穴」は聞いた事があったが、ここに「風穴」があるとは知らなかった。

  

「風穴」について、「うつくしま電子辞典」(https://www.gimu.fks.ed.jp/)に記述があるので転用する。

風穴とは、地中の岩や石のすき間から冷たい空気が出る場所のことをいい、このすき間から4~10月の間冷風がふき出しています。なぜ冷風が吹き出すかはいまだはっきり解き明かされていませんが、一説には地中に無数のすき間があり、そこに雪どけ水が流れこんで氷となり、春から秋にかけ気圧(きあつ)の差により冷風が吹き出しているのではないかといわれています。

 

恐る恐る、手を当ててみる。確かに冷たい。しかも、意外に風量もあった。鼻を近づけてみる。真新しいコンクリートの中にあるが、人工的な香りはせず、透明感のある爽やかな冷風だった。

道中のちょっとした変化に気づき、足を止め、新たな事象を知る。自転車旅の魅力を改めて感じた。

  

 

この先の新遠路(ニトウジ)集落には「中丸酒店」があり、店先に自動販売機が置かれていた。後で気づくのだが、自動販売機はこの先10kmほど見当たらず、次は只見町布沢地区の民家前に設置されていた。松坂峠をサイクリングするなら水分は必須。中丸酒店の自動販売機は貴重だ、と思った。

 

道は引き続き、幅広く緩やかな坂が続いた。

 

 

12:38、鮭立集落に到着。奥に見える建物は「金山町芸能伝承館」で、毎年9月5日に山入歌舞伎が上演されるという。

“鮭立(サケダチ)”とは珍しい地名。由来には、日本海から阿賀野川(福島県に入ると阿賀川)、只見川と遡上してきた鮭が支流の山入川に入るが上流に行くにつれて浅くなり、鮭が立往生してしまい、後ろからやってくる鮭に押し出され立ち上がったように見えた為というものもある。山入川の様子を見ると納得してしまった。*出処:tabi&photo-logue 「私の書棚:「いろりばた」63号」URL:https://tabilogue.exblog.jp/21461331/

  

ここでは、会津地方唯一の磨崖仏を見る事ができるということで、立ち寄る事にした。磨崖仏とは天然の岩盤などに刻まれた仏像の事を言い、大分県に全国の半数以上があると言われるが、福島県も中通りを中心に多くの磨崖仏があるという。*参考:金山町山入近隣会 「鮭立磨崖仏」 編:福島県教育委員会 

 

側道に入り、民家に掲げられた案内板を頼りに小道へと右折した。

 

建物が視界から消えると磨崖仏を保護する屋根が見えた。自然の中に一体化していた。

 

 

自転車を停め、リュックを降し、緩やかな坂を登ってゆくと案内板と小さな小屋が並んでいた。

案内板の記述は以下の通り。

町指定(昭和52年)重要文化財 民族資料
鮭立の磨崖仏
 この磨崖仏は、天明の飢饉による痛ましい被害状況を見て、止住していた修験者「法印宥尊」が発願し、五穀豊穣と疫病退散を祈って作り始め、更にその志を継いだ「法印賢誉」の代に完成したと伝えられています。
 向って右側の方が古く、現在は風化して顔料(塗料)が少し残っているだけですが、完成当時の美しさが偲ばれます。
 第三紀層凝灰岩に彫られている像の高さは約15センチから60センチまでの厚肉彫りで、その数は51体です。
 修験道の主尊である不動明王を中心に置いて、如来・菩薩・明王・天部の格尊像が配置されています。
 天部の尊像である荼枳尼天、飯綱権現、九頭竜権現、鬼子母神、弁財天、閻魔大王などは県内唯一のものでしょう。
 特に深沙大将は、全国的にも珍しく、臼杵石仏群(大分県)に一体あるだけだと言われています。
平成17年10月 金山町教育委員会

  

小屋は記帳所だった。

 

中を覗くと記帳台があり、写真が掲げられ、草花の小さな鉢が彩りを添えていた。周辺の除草具合といい、地元住民が積極的に管理に携わっていると感じた。

   

記帳を済ませ、奥の崖にある覆屋に向かった。

 

石段を上り切る。この覆屋は2003年ごろに作られたというが、手元の資料に記述は無かった。

 

 

覆屋の内部を覗くと磨崖仏が現れた。200年以上前に、修験者によって彫られたと思うと身が引き締まる。空気も張り詰めたように感じた。

  

作成年が新しい奥の仏像群を見る。風化が進んでおらず形状もはっきりして、顔料が残っている箇所もあった。

 

左から三体目が全国でも珍しいと言われる「深沙大将」像。

この「深沙大将」について前掲した金山町山入近隣会「鮭立磨崖仏」には次のように記載されている。

玄奘三蔵は、前後十六年をかけてインドヘ行き、お経を唐へ持ち帰った高僧です。古代のシルクロードの砂漠の道はたいへん危険な旅でした。(中略)この砂漠をわたる玄奘三蔵を往きも帰りも守護しはげましたとされるのが、砂漠の神の深沙大将です。多聞天の化身ともいわれ、砂漠にいて、病気や災害、盗賊の害を防いでくれるとされています。(中略)お姿は鬼神のかたちで、武器や鉢または蛇をもっていますが、鮭立の磨崖仏は蛇を持ったお姿で、肩に大蛇をかつぎ胸の前で両手で支えています。(後略) 

「深沙大将」の石仏は鮭立の他、“臼杵石仏群に一体あるだけ”とあるが、実際は同じ大分県の「高瀬石仏」にあり、広島県三島市の「白滝山 竜泉寺磨崖仏」にも見られ、全国に3体が確認されているという。 *参考:大分市の歴史と文化「高瀬石仏」、石の仏「白滝山・黒滝山の磨崖仏

 

 

この他、目に留まった像は二つ。「飯縄権現(イヅナゴンゲン)」。

  

そして、「大黒天」。

   

「鮭立磨崖仏」は1973(昭和48)年に金山町に招かれた当時東北大学教授であった高橋富雄氏によって見出され、金山町の重要文化財となったという。

もっと早くにこの存在が知られれば、風化の進行が鈍り、顔料が剥がれ落ちず残っている仏像も多かったかもしれない。「鮭立磨崖仏」は作成の歴史や各仏像の名称と役割を事前に知って見れば、一層楽しめるのではないか。 

会津地方唯一の磨崖仏”で“東日本唯一の「深沙大将」石仏がある”「鮭立磨崖仏」は、只見線沿線の重要な観光資源だと認識した。

  

   

「金山町芸能伝承館」入口前の階段に座り昼食を摂り、休憩した後に出発。県道352号線を進むと道路情報板が現れた。ここが冬季通行止め区間の開始地点のようだ。

  

しばらくペダルをこぐと、前方に銀色の巨大な構造物が見えてきた。

    

13:28、伊南川発電所の“表出導水管”に到着。左手に見える古いコンクリート構造物は大岐ダムで、伊南川発電所の調整池となっていた。

    

その前面に「癒しの森」の「大岐集落跡登山口」があった。

 

案内板の隣には注意書きがあった。

ここからの0.8km先と1.8km先に延長500mの登り尾根路があり急な坂です。注意してください。
遊歩道の中間地点(ここから1.5km先)の500mは夏草が生い茂りわかりにくい時期があります。注意してください。

と書かれていた。

    

登山道に入り、少し進んでみる。大岐ダム前では盛土により安全対策工事が進められていた。

 

さらに先に進むと、まもなくダム湖に到着。ダム天端の通行はできないようで、鉄扉に鎖鍵が巻かれていた。

  

ダム湖は緑に包まれ美しかった。78年の歳月を経て風化したダム躯体は一体化していた。

  

ここから先に進むと、急な尾根路と遊歩道が現れる事になるが、ここで折り返し、県道352号線に戻った。

   

13:41、再び自転車にまたがり、出発。

 

しばらく田畑が続く。『こんな山奥に田んぼ!?』と違和感があったが、この看板を見て納得。ここには大岐集落があったが、金山町に甚大な被害を及ぼした「昭和44年水害」で全9戸が被害を受け、全戸が横田地区に集団移転したという。

周囲は低い山が続き、山入川も幅狭くささやかな流れとなっている。ここで死者5名を出す自然災害が起こったとは容易に想像できない。豪雨がもたらす脅威を改めて考えた。黙とう。

   

先に進むと、今度は「松坂峠古戦場」跡に着く。1589(天正17)年にこの地方を治めていた山ノ内氏勝が、会津に侵攻してきた伊達政宗軍と戦った場所だという。

案内文を読むと、山ノ内氏は「山ノ内七騎党持城」という制度で会津南西部に勢力圏を築いたという。この七つの城は、ほぼ只見線の沿線にある。戦国期の奥会津の治政と伊達の会津侵攻を分かりやすく解説し、この七城と、他6ヶ所の固城(カタメジョウ)、51ヶ所の柵持(サクモチ)・掻揚(カキアゲ)の位置を明確し、新たな只見線沿線を周遊できるコンテンツを作れないものか。埋もれた観光資源は、まだありそうだ、と思った。

   

13:46、山入川を渡り、田畑が途絶えたところから両脇に崖が迫り、傾斜がきつくなってゆく。

 

ペダルをこぐ足に力をこめる。「台山国有林」を示す看板が現れた。

 

路肩を補強している箇所もあった。

  

13:53、最初のヘアピンカーブを抜ける。

  

さらに進むと高度が増し、見晴らしが良くなった。

   

13:58、「見返りの峰」に到着。息が切れはじめる。

 

見返ってみる。周囲を山に囲まれ、自分がどこからやってきたか分からなくなる景色だった。

  

二つ目のヘアピンカーブを曲がる。

  

三つ目、最後のヘアピンカーブを曲がり、比較的長い直線道を進む。

   

しばらく進むと、道路に枝を張り出した巨木が見えてきた。

 

「花嫁の受け渡し 峠の大ナラ」と立て札があった。旧山入村(現金山町)と旧布沢村(現只見町)、両村が接したこの場所で本当に花嫁の引き渡しがあったのだろうか。この大ナラの命名の経緯を知りたいと思った。

 

 

   

14:09、只見町に入る。疲労感が開放された。松坂峠(598m)のピークだろうか、ここからは下り坂となる。風を切って快調に進む。全身から出た汗が、心地よく冷やされた。

   

すると間もなく前方に赤い横断幕が見えてきた。

    

14:12、「癒しの森」の「松坂峠頂上」登山口に到着。3つの大きな看板があったが、“山火事用心”の赤い横断幕が一番目立っていた。

 

“「癒しの森」のブナ”と書かれた看板は、ブナとミズナラの分布も記され、分かり易かった。

   

右側にあった小箱を開け、登山届けを記入。

 

入口の脇にあった杖を借りた。

 

クマ鈴を鳴らし、音楽を掛けながら進むが、一人で行くには勇気が要った。クマに出会ったら、この杖を利用するしかないと思った。

  

   

14:20、出発。会津越川駅を出発して2時間40分で、「癒しの森」に足を踏み入れる事ができた。

  

途中には、迷わぬようにとピンクのリボンが木々に巻かれていた。

 

遊歩道は踏み固められ新芽も無く、はっきりと分かった。

 

途中、倒木も見られた。次の森を育てるための栄養となると聞いた事があるが、この光景を見て、なるほどと思った。

 

   

14:29、巨大なブナが現れた。

 

見上げると、陽の光が葉を照らし、幻想的な光景が広がっていた。

 

 

14:33、「国界の大ブナ」が、2013年春に寿命により倒木した空間に現れた「交流広場」に到着。陽の光が降り注ぐ異質な空間に驚く。「国界の大ブナ」がいかに大きく枝を広げ“君臨”していたかが分かる。新たな芽が倒れた幹から、伸びているのも確認でき、命について考えさせられた。

  

「交流広場」を振り返り、様子を見る。「交流広場」の広範囲に陽光が降り注ぎ、「国界の大ブナ」の巨大さ思い知った。

   

さらに足を進めると、足元に透明感のある白い物体が目についた。見た瞬間ドキッとし、背中がゾクゾクしてしまった。

夕方、宿に入り調べてみると「ギンリョウソウ(銀竜草)」であることが分かった。別名ユウレイタケと呼ばれ、光合成をしない植物で、毎年違った場所で花を咲かせるという。 *参考:Wikipedia 「ギンリョウソウ

  

  

更に、奥へとクマ鈴を鳴らしながら進んだ。

 

遊歩道は緩やかなアップダウンを繰り返す。

 

歩行しやすく、誰でも気持ちよくトレッキングができるだろうと思った。

   

北側の斜面をのぞき込むと、かなり急だった。木々がなければ、怖いぐらいだった。

    

まもなく、“行き止まり”と思える場所が見え、前方が開けてきた。

 

14:48、「大岐の戸板山眺め」に到着。

 

先端に行くと、木々の間から「戸板山」(957.8m)が見えた。

 

ここから先は、先に訪れた「大岐集落跡」登山口に続く道があるはずだが、どこにも見当らなかった。 あるガイドブックには、この先の道を“整備されてい”ないと記述されていた。

実際に、その様子を確認し残念に思った。

各所に「大岐集落跡」登山口から「松坂峠頂上」登山口間の経路を載せた案内板を掲げながら、不明な登山道となっている。 しかも、この先には急な傾斜となっているようで、トレッキングとしては面白いコースになっているにも関わらず、活かされないのは残念だった。

    

「大岐の戸板山眺め」では、携帯電話の電波状況を確認。 SoftbanKのキャリアだが、アンテナが3本立っていた。安心だと思った。

  

10分ほどで、“下山”を開始。

来た道を戻ったが、景色は違うように見え、ブナ林の色合いも陽の光により変わるので飽きなかった。

   

 

まもなく「松坂峠頂上」と登山口に着くという時に、前方から音が聞こえた。一瞬『クマかっ!?』と思ったが、マイクを通した人の声であることに安心した。そして、若い男性ガイドの後ろに連なった観光客の列とすれ違った。  

今日は土曜日。観光地で観光客を見かけるのは不思議ではないが、少しホッとした。

   

 

 

15:16、「松坂峠頂上」登山口に戻る。「大岐の戸板山眺め」を往復するコースを、54分で往復した。

  

今回ブナの群生に足を踏み入れたのは、人生で初めてだった。新芽から細い若木、巨木に倒木とブナの一生を見れたような気がして、人間のスケールを越えたライフサイクルに自然の重厚さを改めて感じた。また、薄緑の葉は目に鮮やかで、陽の光に垂らされると一層輝きを増し、心から美しいと思った。

今後金山側の登山道が整備されたならば、「大岐集落跡」登山口から「松坂峠頂上」登山口間を歩いてみたいと思った。

  

「癒しの森」を後にした。

自転車にまたがり、県道352号線を進んだ。大型バスが駐車可能なスペースを見ながら、坂を快調に下ってゆく。

 

 

15:24、布沢集落に入り、県道153号(小林宮下(停))線に合流。

 

この先の民家の前で、新遠路の中丸酒店で見かけた以来の自動販売機があり、缶ジュースを購入し、一気に飲んだ。旨かった!

   

少し休み、再びペダルをこぐ。

まもなく、山村くらしの宿泊体験施設「森林の分校 ふざわ」が現れた。「癒しの森」や東側に広がる「恵みの森」などの自然、その他農業、食文化、山村交流、伝統工芸、伝統文化の各種体験ができ、事前予約すれば食事だけの利用もできるという。

もともとは1982(昭和57)年に閉校した只見町立明和小学校布沢分校だ。1996(平成8)年に「過疎地域活性化施設整備事業」(国土庁、当時)を活用し整備され、2007(平成19)に町営から地元住人らによる「森林の里応援団」の指定管理へと移行したという。

  

小林地区を目指して、県道を更に進んだ。

 

途中、二つのスノーシェッドを潜り抜けた。

  

15:48、小林地区に入り、一旦国道289号線に入り明和橋で伊南川を渡る。そして対岸から伊南川発電所の取水口の様子を眺めてから引き返し、外出橋を渡り県道360(小林舘ノ川)線に入り取水口に向かった。

  

16:06、「伊南川発電所取水口見張所」に到着。取水口を備えた取水堰からの激流を眺めた。

 

堰の周囲を確認してから、400mほど只見駅寄りにある伊南川発電所の沈砂池を、フェンスの外から見させてもらった。

  

16:20、伊南川発電所の関連施設を一通り見終わり、伊南川沿いを只見駅方面に向かって進んだ。

  

途中、亀岡農村公園に立ち寄った。

 

只見町が設置したトレーラーハウス3台が並ぶ。厨房付きが2台と物販専用が1台で、前面には真新しいウッドデッキが整備されていた。先月27日にオープン式典があり、今日はカフェが営業していた。

  

目の前には町営サッカー場があるが、手前にはビーチバレーのコートらしきものがあった。

内陸の、雪深い只見にビーチバレーコートとは違和感があったが、どのように使われるか注目したい。

   

再び、移動を開始。亀岡橋で伊南川を渡り、国道289号線に入りすぐに左折した。

  

坂を上ると広大な平地が現れ、二つの施設が見えた。「季の郷 湯ら里」と「むら湯」だ。

 

双方とも町の施設で、㈱季の郷 湯ら里が指定管理者となっている。

 

只見町交流促進センター「季の郷 湯ら里」は町内最大規模の宿泊施設になっている。

 

只見町深沢温泉「むら湯」。当初の予定では「むら湯」で温泉に浸かる予定だったが、時間が押しているために、また次の機会に利用する事にした。  

    

  

16:43、国道289号線に戻り、ひたすら自転車をこいだ。只見駅まで約13km。比較的平坦な道のりだが、松坂峠越えで体力を使ったようで、しんどかった。

  

17:18、只見川に架かる常盤橋を渡った。只見駅はこの橋を真っ直ぐ進めばすぐだが、ここから見えた、只見スキー場のゲレンデの様子が気になり現場に向かう事にした。

  

只見スキー場に到着。今年の3月31日に訪れて以来になる。

 

ゲレンデには重機が入り、蛇行した道を作っていた。工事概要を示す看板を見落として何の工事だか分からなかったが、雪崩防止の擁壁工事だろうか、と考えた。

少しスキー場の様子を見て、自転車をこぎ出し駅に向かった。

  

17:31、無事に只見駅に到着。会津越川駅を出発してから、約6時間の長旅だった。

只見駅からは、17時45分発の代行バスに乗車すれば、今日中に郡山に戻られる。ただ、今回は明日只見四名山「浅草岳」に登るため町内の宿に泊まる。

   

今回の旅で、全線復旧後に会津越川駅を起点に自転車で松坂峠を越え、「癒しの森」に立ち寄り、只見駅から帰るという旅が可能だと分かった。只見線が鉄路復旧すれば会津越川駅を10時頃に出発できる。自転車が折り畳みの小型車でなくロードバイクで、松坂峠をゆっくりと進み、途中の立ち寄りを「癒しの森」+「むら湯」にすれば、余裕ある旅になると思う。 

 

只見線は駅周辺から離れた場所にも魅力的な場所が多い。そこで自転車を利用すると行動範囲が広がり、奥会津の自然を体で感じる事ができる。ただ、一筆書きの旅程を組むと、“峠越え”は避けられない。 

昨年11月、会津川口駅から昭和村・喰丸小学校を経由し只見駅に向かった際に、新鳥居峠で思ったのだが、自転車旅行者=サイクリストの為の休憩スペースが、観光コースとなり得る峠に数ヶ所設けられれば嬉しい。自転車を立てかけるポールと屋根の付いたベンチ、水飲み場があればよい。 

 

只見線の全線復旧に携わる関係者には、列車+自転車の旅の可能性を考え、多くの旅行者が車窓の風景に魅せられ、自転車に乗って沿線を五感で体感し、リピーターとなり得る環境を整備して欲しいと思う。

 

 

(了)

  

 

・ ・ ・ ・ ・ ・

*参考: 

・福島県 生活環境部 只見線再開準備室: 「只見線の復旧・復興に関する取組みについて」 

 

【只見線への寄付案内】

福島県はJR只見線全線復旧後の「上下分離」経営での維持費や集客・地域振興策の実施費用として寄付を募集中(クレジット可)。

①福島県ホームページ:只見線復旧復興基金寄附金・只見線応援団加入申し込みの方法 *現在は只見線ポータルサイト「只見線応援団」URL:https://tadami-line.jp/support/

 

②福島県:企業版ふるさと納税

URL:https://www.pref.fukushima.lg.jp/sec/16005g/kigyou-furusato-zei.html

[寄付金の使途]

(引用)寄附金は、只見線を活用した体験型ツアーや周遊ルートの整備、只見線関連コンテンツの充実化等に活用させていただきます。 沿線地域における日本一の秘境路線と言われる観光資源を活用し、更なる利用者の拡大と認知度向上を図ります。

  

以上、よろしくお願い申し上げます。