【BOSS blog】マシンを読む
レースが終わり、マシンのメンテナンスをしていると、興奮、落胆、痛み、屈辱、歓喜、様々な記憶が蘇り、まるでもう一度レースをしているかのような気持ちになる。
あの時アイツにつけられた傷だなとか、あの時の転倒で凹んだんだな、とか。マシンの記憶力は自分のものより遥かに優れている。
長年エンデューロに携わっているが、ずっと感じていることのひとつとして、「エンデューロでは、自分のライダーとしての総合的なスキルが試される」ということ。
総合的なスキルとは何か。
「どんな地形をも含むコースを長距離長時間確実に走破できる能力」
「マシンを整備し理解することのできる能力」
この2つが大きな軸だと考える。どちらか一方が欠けていたら、おそらく満足のいく結果はなかなか残せないのではないだろうか。
ライディングスキルについては、「昨日より速く走れるようになろう」「今度こそあの丸太を超えてやる」「次は絶対アイツに勝つ」など、大なり小なり、それぞれ何かしら目標を持ち、練習に励んでいると思う。明らかな成長も実感できる。乗ることが好きなら、毎日楽しいだろう。伸び悩みも次に大きく飛躍するためのステップだ。
もうひとつのスキル。メカニックスキルについて、少し持論を述べたい。
先に言っておくが、専門的なメカニックとしてのスキルをすべてのライダーに求めているわけではない。整備が出来ないなら乗るなと言いたいわけではない。勘違いしないで欲しい。
日々練習をするのにも、レースに出るのにも、マシンなくしては始まらない。楽しい時間を提供してくれるのは、目の前にあるそのマシンだ。しかし、同時に、それに自分の命を預けるということを忘れてはならない。二つしかない車輪でオフロードをスピード全開で駆け抜けるなど、普通に考えれば危険だ。マシンを信頼していなければ出来ない。
壊れないマシンはない。不安を言い出せばきりがないが、その不安を取り除くことは可能だ。壊れない可能性を上げることは出来る。16歳からバイクに乗り続けているが、今でも乗る前はチェックリストに沿って、ひとつずつ順番に確認を行う。乗り終わった後も、洗車から拭き上げまで丁寧に行う。誰に見られても恥ずかしくない。
当然のことながら、消耗したパーツは新品に変え、外装も綺麗にし、作動確認も行う。乗る前の正常な状態に戻す。そして次に備える。
専属のメカニックがいるライダーや、バイクショップの店員でもない限り、常にマシンを最高の状態に保つことは難しいだろう。限界がある。だが、すべて自分で出来ないから、整備能力がないということではない。
どんな状態になったのか、どうしてここが壊れたのか、どんな対策をしたらいいか、マシンを「読む」。そして、マシンにとって最善を施す。自分で出来ないなら、プロに任せる。全て自分でやることだけが、整備能力ではない。そのマシンにとって、今何が必要かを考えることが出来るのも、能力のひとつだ。それにより、マシンへの理解が深まる。そして、信頼が出来るようになる。
それが、「マシンを整備し理解することのできる能力」だと思う。
バイクに乗る、ということは、事前のメンテナンスから、事後のメンテナンスまでも含めてのことだと考える。それはレースに出るときも、練習するときも同じ。
マシンを選択する時、どんな使い方をするかにもよるが、排気量、乗り心地、外観も大事だが、自分は整備性を重要視する。もしサスペンションにトラブルが起こったら、もしレバーが折れたら、と、あれこれ起こり得るトラブルを想像してしまう性分なため、最も容易にそれを乗り切ることが出来るものを選ぶようになった。さらに言えば、トラブルを最も回避出来るものを選ぶのが賢明だと感じている。
ことエンデューロについて言えば、この乗る以外の行為を、割と込み入って行わなければならない場面に多々出くわす。しかもレース中に。トラブルの間も時間は刻まれる。先に進みたいなら、なんとかしなければならない。言い換えれば、なんとかできるなら、レースは続けていいのだ。いくらライディングスキルが優れたライダーでも、その対応が出来なければ、戦うことを諦めなければならない。
マシンに不足があると、走りに集中することはできないし、極限にも挑めない。それが自分が今までの経験から何度も実感してきたこと。自分の今までのすべてが試されてきた。そしてその緊張感が快感にすらなっている。それがいつまでもエンデューロに虜になっている理由のひとつだ。
ライダーには、レース当日の高揚感や緊張感だけでなく、走ることを思い浮かべながらマシンに向き合う時間も楽しんで欲しい。それが、ライダーとしての総合的なスキルを手に入れるためには欠かせないことだと思うから。そしてそれは、レースやタイムを追求するライダーだけでなく、サンデーライダーもツーリングライダーにも同じく、バイクに乗る全てのライダーにとって、走ることを楽しむためには、マシンと向き合う時間は不可欠なのではないだろうか。と、思うのである。