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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

クローヴィスとクロティルダ1-押しかけ女房

2017.06.22 12:41

その頃ガリア北方では新しい波が起こっていた。ゲルマン民族の1種族フランク族、さらにその中のサリー族。サリ族は、ライン川流域に住んでいたが、皇帝ユリアヌスがローマに取り込み、ローマの同盟者として、フランスに進出した。アッティラと戦ったカタラウヌムの戦いでも活躍している。

481年、その中で族長となったクローヴィスは、フランク族をまとめ、486年にローマの軍閥を破り、勢力をロワール川北部に広めた。そして妹を東ゴート王国の大王テオドリックに嫁がせ、同盟を固め、493年ブングルト王国の姫クロティルダと結婚して、同盟を図った。

クロティルダは、母の影響でキリスト教正統派を信仰していた。ところが結婚する前に、アリウス派の叔父グンドバッドが、王であった父母を殺害し、王国をのっとり、兄は殺害され、彼女らは幽閉の身となった。クロティルダは、馬に乗って、グンドバットの追手を振り切ってクローヴィスのもとに行ったという逸話が残っている。

496年、クローヴィスはアラマン族を打ち破り、ロワール川の町トゥールに駒を進めた。その先は西ゴート王国である。そしてこの町は聖人マルティネスの崇敬が高い、キリスト教正統派の町であった。

下はクローヴィスのもとへ行くクロティルダ