私の歴史 2
先日に続いて、私の歴史シリーズ2です^ ^
10歳のバレエとの出会いまでを少し。
さてさて、そんなのほほのとした幼少期を過ごしていた古川少女でしたが、本当にマイペースな子供時代でした。
音大に行くような子は、ピアニストやピアノの先生を目指して厳しい先生の元、歯を食いしばるような練習に明け暮れ、コンクールに挑戦し、ピアノ一色の日々を過ごしていく、、、、。
というストーリーが鉄板だと思います。(本当かな??笑)
私の場合はというと、とにかく好奇心旺盛でアクティブな子でした。
兄の影響で始めた水泳でバリバリ泳ぎ(なで肩であまり早くは泳げませんが、バタフライまで泳げます!)、
地元の子供会のドッジボールで真っ黒に日焼けし(当時の突き指で少し指が湾曲気味、、、トホホ)、
家ではとにかく映画が大好きで録画したお気に入りの映画を見続け(お気に入りの『魔女の宅急便は』全セリフ暗記笑)、
本や漫画、絵や塗り絵にだけはすさまじい集中力を発揮する、
通信簿には決まって「ユニークなお子さんですね。」(←本人にはこう書かれるようなエピソードは全く記憶にないのですが、、)
と書かれるような子でした。
ピアノは大好きで、先生が進めてくださったコンクールをたまに受けたりと、マイペースにレッスンを続けていました。
ピアノは相変わらず、大好きなお絵かきや映画の中の一つでした。
父がクラシックギターを弾いていたので(フラメンコギターかな?)、その音をピアノで音当てクイズをしてみたり。
そして夢見がちな子供だった事も相まって、
本の世界に浸るように、ピアノの楽曲の中にあるストーリーを想像しながら弾くのが大好きでした。
今思うと、言葉での感情表現があまり得意ではなかったので、それを発散、表現できる方法として、感情の発散にもなっていたのかもしれません。私にとってなくてはならないものでしたが、それでトップを目指す、職業にする、というようなストイックなものではなく、あくまで自分が一人になって楽しめる個人的な趣味の一つだったのかなぁと思います。
そんなボーイッシュな子供時代の中、とある出会いが!
ピアノを始めるきっかけになった従妹は、クラシックバレエを習っていたのですが(私はそんな女の子っぽいものいや!と全く興味を示さずでした。)10歳くらいだったかな?
発表会を見に行くことに。
「私も習いたい!!」
5年ぶりにやりたい病です笑。
今でも覚えているのですが、
豪華絢爛で素晴らしい舞台美術と衣装、チャイコフスキーの映画顔負けの迫力のある美しい音楽、ダンスのアクロバティックな迫力と美しさ。
クラシックバレエというと、女の子らしくひらひら踊っているだけ(失礼!)と先入観で思っていましたが、それは全然違って
まるで映画が目の前で展開していくような迫力と素晴らしい音楽の力とダンサーのストイックな美しさ
に完全にやられてしまい、とにかくやってみたい!とダダをこねました。
今回は水泳かバレエという二択を迫られましたが、あっさり水泳を辞めバレエを始めることに。
一旦はまるとどっぷりな性格だったため、みんなに追いつきたい一心でバレエにどはまりでした。
実際始めて見ると、
水泳よりキツイ、、、、、、。
というのが個人的な感想でした。
体はガチガチに固かったので、お風呂上りに頑張ってストレッチ。筋肉のつきにくい体質で力もなかったので、足の筋肉はレッスンのたびに筋肉痛。先生の言っている用語が全く分からない!(バレエの用語はフランス語で知らないと呪文に聞こえます)
戸惑いつつも、バレエ教室で友達が出来たり、発表会で大きな舞台を経験したりと、刺激的に、楽しくレッスンを続けていきました^ ^
お教室の主催の先生はバレエ団でプリマ(バレエ団のトップ)で踊られていて厳しい方でしたが、子供相手にも丁寧に体の使い方やスタジオでの礼儀を教えて下さり、今考えると大切なことを幼少期に学ぶことが出来、感謝の気持ちでいっぱいです。
ピアノでバレエの曲を弾いてみたり、レッスンで使っている音楽を探してみたり、この頃は完全にピアノよりもバレエ!
それがなぜ音大に、、、、
というのはまた次回!
では^ ^
れい
写真は最近初挑戦した富士山です。
下山中にすでに筋肉痛が始まり、次の日は完全に歩き方が変な人でした笑。
古川伶ピアノスクール(横浜市神奈川区 大人のためのピアノレッスン 横浜駅 反町駅)
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