Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

Baby教室シオ

偉人『大隈重信の母三井子』

2021.12.17 00:00

日本の民主主義の基礎を作り、日本を近代化に導き、2度の内閣総理大臣となり、早稲田大学の創立者でもある大隈重信を育てた母三井子にスポットを当てる。

大隈三井子を語る上で息子重信の遭遇した爆破襲撃事件を語らなくてはならない。1889年52歳の重信は幕末に結ばれた不平等条約の改正に尽力をしていたが、この動きに不満を持つ政治結社の人物に襲撃され右足を失ったのである。

その実行犯である人物に対し重信はこのように語った。「私は犯人を恨んではいない。彼も国のことを考え憂いての行動であろう。その勇気たるや感心する他ない。何より爆弾ごときでひるむ私ではない。」そして重信は犯人の葬儀に香典を持たせ側近を遣わし、また追悼演説までしているのだ。右足を失う瀕死の重傷を負った彼がなぜそのような行動を起こせたのか甚だ不思議である。きっと凡人には持てるはずのない器の大きさが存在しているとしか思えない。ではその器はどこで形成されたのかを母三井子の子育てから紐解き論じていく。

母三井子は肥前佐賀藩主武士の次女として1806年誕生し、19歳で佐賀の上流武士である大隈信保に嫁ぎ、重信を長男として2男2女を儲けるが、重信12歳の頃に夫を亡くし以後女手一つで子供を育て上げた強靭な精神の持ち主である。上記中央の人物が母三井子である。

三井子にとり長男重信(幼少名:八太郎)は甘えん坊の泣き虫で、武士の子供として木刀を腰に差して戸外に出ても帰宅すると母の乳を吸う子供であった。また親類の子供と遊んでいても泣かされることが多く、また学問を修めるという点に於いてもやや問題のある気がかりな状況であった。しかし母三井子はそのことを咎めることなく、ある方法で強さを身に付けさせていく。

その方法とは高伝寺にある大木に登らせ「泣き虫ではいけません。強い男にならなくてはなりません」と言い心と身体を鍛えるための行動を起こしていた。その木は後に『八太郎槇』と呼ばれている。その木登りで精神面も身体面も鍛えられ、すばしっこくいたずら好きの少年に成長したのである。

地元の言葉で「ハクシイ」というやんちゃですばしっこさを現す言葉で呼ばれていた重信は武士としての勉学に伸び悩んでいた。母三井子は重信らが勉学に励めるようある策を練ったのである。

家の改築にあたり2階に勉強部屋を学習に集中できるよう改築したのである。柱の前に文机を配置しその柱には出っ張り部分を作った。居眠りをするとその出っ張りに頭を打ち付けることになり目を覚ますという仕掛けである。また部屋には大きな窓から採光を取り入れ、明るく学びやすい環境を作る一方で、外への視線を遮断し勉学に集中できる配慮を行った。この時代にここまで我が子のために采配をふるえる母親がいたであろうか。重信はその後学力を上げ進学先の弘学館で優秀な成績を修め、自分自身の考えを持ちそこに留まらず躍進の道を進むことになるのである。上流武士の大隈家だからこそできたともいえが、それでも賢く強靭な母三井子の考えが息子の将来の道筋を決めたともいえる。

母三井子が幼い八太郎に言い聞かせていた訓示がある。

1、喧嘩をしてはなりません。

2、人をいじめてはなりません。

3、いつも先を見て進みなさい。

4、過ぎたことをくよくよ振り返ってはなりません。

5、人が困っていたら助けなさい。

実はこの母が説いていた訓示は後に大隈重信の政治家五訓になるのである。このことからも分かるように大隈重信の人間像は母三井子の手による教育が大きく関わっている。

母三井子の人物像は明るく大らかな楽天家で、人を分け隔てをすることなく慈愛に満ちていた人物である。しかしその反面人の道から外れると叱責しとても厳しい人物であった。そして重信ら子供の育て方のみならず嫁や孫へも日々の質素倹約な暮らしから人としての立振る舞いや教育を確りと受けさせ、人物に関心を寄せ、知性を発揮しあらゆることを出会う人々に伝えていた人物である。

夫を若くして亡くす難局にあっても悲しみを切り捨てて前だけを見据え生きるその姿は、夫亡き後武士として子供を立派に育てなければという気概が感じられる。過ぎたことにくよくよせず前進あるのみという母の姿が息子重信に受け継がれ、片脚を失う事件に巻き込まれた重信の発言に至ったのだ。


一本の木材や一塊の石材に人間を置き換えるとするならば、人間像の基礎彫りは母の手によるものが大きい。母の持つ堀り道具が常に研ぎ澄まされ、彫り方に合わせ多くの道具をもち、形をどう表現するのか緻密に時に感性の趣くまま彫ることでし仕上がりは違って来るのだ。大隈重信という人物を知れば知るほど、母三井子は千手観音のような多くの手腕を発揮したのではないかとさえ思う。もし彼女と対面することが叶うのであれば是非とも議論を交わしたい母の一人である。来週は息子大隈重信にスポットを当てる予定である。