クローヴィスとクロティルダ2-嫁に叱られ改宗
2017.06.23 12:18
トゥールに行ったときに、王妃クロティルダはもちろん教会に行っただろう。当時の司教ぺルぺトゥスは大歓迎しただろう。西ゴート王国はアリウス派で、ガリア教会としては好ましくなかった。司教は彼女を通じて、クローヴィス王に近づいただろう。
王妃は王妃で「あなたの崇めている神は、ただの木や紙や金属の像でしかありません。崇めるべき唯一の神は天地を創造された主です」と堂々とタンカを切ったと伝えられている。しかし司教は実利的メリットからも王を説得しただろう。対西ゴート作戦で、ローマ人たちが味方になると。
実際、フランク族といっても、氏族連合体で、イマイチ統一感に乏しい。クローヴィスはその実利もあって、496年ランス大司教によって正統派キリスト教に改宗し、498年ランスで戴冠式を行った。フランス王家の伝統はここで作られたのだ。このローマ人との同盟によって507年、西ゴート王アラリック2世を打ち破り、首都トゥールーズを占領、ガリア覇権を確立した。
508年、この改宗のおかげで、クローヴィスは東ローマ帝国より、執政官の称号を受けた。そしてフランク王の守護のもとで、トゥールの聖マルティヌス崇敬はガリア一帯に広がり、現在でもフランスで3600の教会を数える勢力となった。またこの改宗によって、ローマ人とフランク族との結婚が可能となり混血して、フランス人ができた、とされている。
下はクローヴィスの洗礼