篠山市 熊野新宮神社 八朔祭り2011
周辺の祭りが土曜・日曜に日程を変更していく中、かたくなに8/31(宵宮)、9/1(本宮)を守られています。
したがって、今年のように平日に行われる場合は、参加者も見物客も少なくなります。
それでも近隣の方を中心に大勢の方が集まっておられました。
今年はじっくりと見られる時間があったので、山車紹介をやりたいと思います。
山車の名前や見送りのテーマをいろんな人に聞いたんですが、はっきりしない地区もあるのでご存知の方は是非コメントください!
●藤ノ木(山車名不明)
・造り物、口上 睡蓮と蝶のパラダイス
・記載
がんばろう日本
・見送り 富士山、猪に乗った人物(何かの物語ですかね?)
(9月6日追記)見送りはおそらく仁田四郎忠常の大猪退治です。
仁田四郎忠常は源頼朝に仕えた鎌倉武士で、舞台は1193年5月に行われた富士の巻き狩り。(曽我物語) 絵馬や神社の彫刻などによく見られるみたいです。
(9月6日追記)
藤ノ木の山車で印象的なのは、屋根の上のシャチホコです。
近隣でシャチホコを上げている山車を見たことがありません。
●二ノ坪(菊水山)
・造り物、口上 復興を願う 向日葵 秋桜 熊野路に咲く
・記載
向日葵と秋桜は陶器とカンナ屑で製作しております。 昔ながらの「続飯(そっくい)」と言う飯粒を練った糊を使って
伝統の技法で陶器を繋ぎ合わせました。
・見送り
竹に雀
●小野奥谷(龍鳳山)
・造り物、口代 龍
・記載
がんばれ日本
・見送り
竹に虎
●小野新(龍騰山)
・造り物、口上 熊野の里 幸を呼ぶ 孔雀
・記載
特に無し
・見送り
鯉の滝登り
●箱谷(名前なし)
←「いやぁうちは名前無いで」っておっしゃってましたが・・・?
・造り物、口上 熊野の里の子供達に夢と希望を与える幸運の「パンダ」を奉納
・記載
特に無し
・見送り
鳥、笹(または竹)ってことは・・・雀?それにしては豪華ですが・・・。連雀でしょうか?
●栃梨(紅葉山)
・造り物、口上 こうのとり幸せはこぶ被災地にも
・記載
この材料は「ズキズキ」と言われている灌木の髄(ずい)を抜いたものです。 古来より、栃梨の造り物の材料の一つとして伝承していますが、本当の名前は不明です。この「ズキズキ」は奥深い山の谷川の沢にのみ自生していますが、数が少なく集めるのに苦労します。
・見送り
竜
●貝田(雲龍山)
・造り物、口上 憂れ孔雀 民主と同じ 玉虫色
・記載
特に無し
・見送り
竜
●八朔祭いろいろ
熊野新宮神社の祭礼宵宮に氏子から、野菜などを神前に供する風習から始まったが、延宝年間の頃から、造り物を屋台にのせて神社に引き入れるようになり、後には京都の祇園祭の山鉾を真似て宮入りするようになった。
今では野菜等は使わず、小野新、小野奥谷、二ノ坪、藤ノ木、栃梨、貝田、箱谷の各地区で趣向を凝らし毎年違った造り物を造る。
中には極秘の技術によるものもあり、造り山を引く道中、どんなに揺れても絶対に崩れたり落ちたりしないらしい。
篠山市の無形民俗文化財にも指定されており、近隣には例のない祭。
造り山には囃子はないが、担ぐ際には伊勢音頭を歌う。
●熊野新宮神社をwiki・・・では出てこないので詳しいサイトからコピペ
篠山市二ノ坪に鎮座される熊野新宮神社は、太宝二年(702年)に紀州の熊野速玉大社(新宮)を当地に勧請したのが始まりと伝わります。 同時にこの時飛蔵山清水寺(廃寺)の守護神として、熊野坐神社(熊野本宮大社)を小野奥谷の奥山に、また貝田に熊野那智大社が勧請されました。 その後幾多の戦乱や立地条件等で他の2社は消滅し、この熊野新宮神社だけが隆盛しました。 本宮を勧請した熊野神社については永享年間(1429~41年)に小野奥谷字西ノ谷に再建され現在に至っています。 熊野新宮神社も永禄三年(1560年)に古文書共々焼失しましたが、延宝六年(1678年)に再建され、歴代の藩主から手厚く保護を受けたそうです。