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輝凛(きりん)の独り言

透明なもの

2017.06.24 12:04

信じてもらえるかどうか、全く分からない。

きっと、多くの人が持ち合わせていない「感覚」だし、見る人によっては「病気」「精神異常」のように見えるかもしれない。

それでも、もしかしたら、私と同じような感覚で悩み、傷ついている人もいるかもしれない。

私に何が出来て、解決が出来ることではないけども、少なくとも…「似たような人がいるんだ」「これは『おかしい』ことじゃないんだ」と思ってくれる人がいてくれれば、何よりも、私自身も、その…「一人ではない」という励みになるかもしれないと思い、《思いついたまま》ではありますけど、書きとめておきたいことを…。

武器と凶器

先ほど、ツイッターの過去のツイートを全部削除しました。

何となく…、「言葉」というものが怖いというか…、何だろう…、それはとっても有用的なもので、武器にも凶器にもなるとは思っていたのですが…。


やっぱり私から見た「武器」であっても、相手から見たらそれは「凶器」になっていたのかもしれない。


もしかしたら私は…。

とても大切で、絶対に必要で失いたくない人の気持ちを、無意識に傷つけていた、しかも深く傷つけていたのかもしれない。

これは言い訳で甘えになるのかもしれないけど、とっても紳士的で精神的に成熟されたように私は感じ取っている、理知的な方です。とっても優しくて、自分のためにも他人のためにも動けて、思いやり深い、愛情深い人だと私は思っています。

そんな相手だったからこそ、私の言葉についても複雑な思いを感じながらも、その人なりに無理がない程度に受け止めてくれていたのかもしれない。

でも本音の部分では、傷ついたこともあれば、やめて欲しいと望んだこともあったのではないかな…、と、感じるようなことがありました…。


ある出来事があって…。

私なりにその人を「見ていきたい」「理解していきたい」という気持ちが高まっていったのがきっかけでしたが…。

自分の特性、私は当たり前だと思っていたけども、それは決して多くの人にとっては「当たり前」ではなく、特殊なもののようなんですよね…。そういう特殊なものを私が持っていることをすっかり忘れていて、自分の中での「当たり前」が、「そうではない」相手の心を傷つけてしまっていたのではないかと感じるようなことがありました…。


去年、カウンセラーの先生から言われたことを、自分の書いたブログを読み返して思い出しました。


「輝凛ちゃん、すっごく瞬間的な速さで、相手のことを理解しようとするわね。

相手の顔を見た瞬間から、相手の事をよく見ていて、どんな人だか判断しようとしている。

そのクセをやめた方がいいから、デジタル機器から離れた方がいいわね。

夜も早く寝て、ゆっくりした時間、音楽や風景を楽しむ時間を作った方がいいわ」


これを聞いた時。

確かにそうなんです。

でも…。私「判断」しようとしていないんです。

勝手に、相手の表情や声、言葉などから…、相手からそれが「伝わって」くるんです。

それを私は「へー、そうなんだ」と受け止めているだけなんです…。

だから「クセ」ではなくて…、もう、子供の頃からそうだから…、「止めた方がいい」と言われても、方法も分からない。そういう思考なしに、人と接したこと、文章を読んだことがないから、どうしていいのかが、全く分からないんです…。

そういえば。

私は30代前半の時に精神的疾患を発症して、7年ほど通院していました。

そこの精神科医に言われたこと…。


「あなたはとても頭の回転がいい。そして、洞察力が深すぎて、しかもそれ、両方ともとっても瞬間的だね?自然にそういう思考になってしまっている。絶対に他の人が気づかないようなこと、しかも本質的な事実や、隠したいと人が思っていることを的確に、しかも瞬間的に見抜いて辿りつける。そりゃね…、病みますよ…。あまりにも周囲と違いすぎる。あなたの病気は性格起因ですね…」


この時も「思考?考えてないよ…?」と思いましたし、性格起因で病気になったと言われた時には、自分の生き方、人生が否定されたような気持ちにもなりました。


きっと、相手から見たら「言い訳」にしか感じないかもしれない。

それでも私にとっての「真実」は…。

相手がどんなことを考えているのかを「見たい」という動機で見ているのではないんです。

勝手に「見えて来る」んですね、それが対面時に感じ取れる「声」「言葉」「表情」「雰囲気」だけではなく、こういう、ブログだったりの文章、ツイッターでの短文での言葉からも、何となく…。

ツイッターなどの「更新」のタイミングなどから、その人の生活スタイルだったり、テンポだったり、そういうものも伝わって来るように思えるんですよね…。


とってもアクティブに見えるような内容、更新頻度が高い方からは「楽しそうだな」ということ以上に。

「そんなに急いで、量を詰め込んで、いつも走り回っている。本当は疲れているんじゃないの?本当は休みたいんじゃないの?どうしてそんなに頑張るの?」

そのように映ると、その人が気づいていないかもしれないし、ずっと根っこの本音かもしれないし…、私は「でも私の気のせいかもしれないし…」と思うことも多いので、強く決めつけるようなことは極力していないつもりなのですが、やっぱり毎回受ける印象は同じですよね…。


買い物報告、飲み会報告、旅行などなど…。

「何で気持ちを埋め合わせたいのかな…。寂しいのかな?何かこう…『楽しい!』とか『便利!』というポジティブな感情を、見ている相手に『共有したい』んじゃなくて…、『これで私は満足』という、穴埋めにしか見えない…。埋まらないからこそ、いつも買い物、飲み会、旅行、ライブなどなど…、得るための行為が多いのかな…」

そういうように見えてしまうことも多いです…。


同じように。

「あ、言葉ではそれなりのことを言っているけども、実はこの人、自己中心的で、自分を理解してくれない人への不満が強い。

自分はちょっと普通ではないという自覚があるからこその多様性を求めるようなことを言うんだろうな…」


とにかく、ふと見たものから「違和感」を感じることがとっても多いんですよね、ネットでの他人からの「言葉」って…。


今、私が書いている文章も、私自身の内面が今、とっても不安定で、ぐらぐらしているからなんでしょうけど…。


文字がハッキリ見えないんですね…。どこか、すごくごちゃごちゃした中に、文字が入っているだけ…。

何だろう…、英字新聞とか、別の黒いもの、模様や文字の中に、こういう文章の文字が浮かび上がっているような感覚になるんですね。


なので、他人のブログだったり、そういうものの「文字」の背景から、混乱したかのような模様や様子が見て来ると、何が書いてあっても「あ、ダメだ。この人、今とっても不安なんだ。焦っているか疲れているか、とにかく今、この人を休ませないとダメだ」と、瞬時に、何の根拠もなく、そう感じてしまい、その混乱の様子がこちらにも伝わってくるようで、とにかくこちらも不安になったり、落ち着きがなくなったりすることもあります…。


いつも…。

私は「文字」に対してでも「背景」というのかな…、私にはそういう表現しかできないんだけど、そこにある色とか模様とか、感情とか、表情とか…、そういうのが見えて来ることが…、ここ最近でとっても増えて来た感覚があります…。


きっと…、相手は何も思っていない。

私が相手の言葉、「文字」となったものを「見た」だけで、様々な感情が一気に迫って来るようなこともあり、その大半が…。

実際に見ている「言葉」とは一致していない。

それは私にとって…「ウソ」なんですよ…。

不誠実なものに見えてしまう。

悲しいものに見えてしまい、とても辛くなります…。


きっと、精神科の先生もカウンセラーさんも、私の性格や物の見方を感じ取って、「この子が悩み、しんどくなり、辛くなって、自分のことや世の中を悲観してしまうのは、すべて『見てしまう』ことが原因ではないか」と思ったのかもしれませんね…。


特に人の感情が見える「文字」は、交流がない。相手の表情すら見えないし、自分の感情もそこに当然のように上乗せされるからこそ、危険なのかもしれない…。


私は…、相手へ発する言葉を「武器」にも「凶器」にも出来るだけではなく、相手からの言葉を「励み」という「武器」にも出来れば…、攻撃性のないような言葉、どんなに前向きで優しい言葉に見えるものでさえも、「不誠実さを伝えて来るもの」という「凶器」にも受け取れてしまうのかもしれないです…。


そう感じた瞬間、今までの自分のちょっとした短い言葉、一番本音が出やすい「ツイッター」が怖くなりました。

多くの人は、私のようには感じ取れないかもしれない。

でも…、私が瞬間的に、考えることなく、他者の言葉などから相手を「理解」してしまうよう…、私のことを「理解しよう」「知りたい」と思った時に、相手を無意識に傷つけてしまうかもしれない…。余計なことを沢山考えさせてしまい、苦しめてしまうかもしれない…。


それであれば、一度すべて消してしまった方がいいように思えました…。


誠実でいたい?


やっぱりこれも、思い出したこと。

今年の4月まで通っていた、カウンセラースクールの最初の頃の授業の中で、友達に「私はどのような人に見えるか」という課題が出て、それを書いてもらいました。

多くの友達が「改めて本人にそれを伝えるって、照れ臭いね」と言いながらも協力してくれて、本当に嬉しかったです。


その中で、ある友達が言ってくれたこと。



うん、確かにそうかもしれない。

それを、やっぱり課題に協力してくれた別の友達に「てなことを言われた」と話したら…


「つまりは『ウソつくんじゃねーよ』ってことでしょうね。分かる気がする」


と…。


そして…、そのカウンセラースクールの講師にも…。

「あなたは、とにかく『誠実でいたい』と強く、本気で思っている人なんじゃないかと思う」

と言われました。

でもそんなの、当たり前じゃないの?と私は思っていますが…。


そして、きっと、その誠実性、素直であり、嘘をつかないことを、他者にも求めているのかもしれないな、って思えます。


でもそれが感じ取れず、「不誠実」に見えるものがあまりにも多い。

それを「見ない」でいるために…、知りたくない、見ないでいるために、むしろ、この世から消えてしまいたい、死んでしまいたい、でも、生きていればいいこともあるはずだから、それならば、私のことを誰も知らない、私も相手を誰も知ることもないような場所に行ってしまいたいとすら思うこともあります…。


透明なもの

そして、これも別のブログに書いていますが、私はどうやら「HSP」という性質と「エンパス」という性質を持っているようです。


多分その「エンパス」という特徴が、精神科医とカウンセラーさんの見解と、私の見解の大きな違い。


「私、判断していないし、考えてもないよ」というところにあるように思うんです…。

私が自覚している、私が持っていると感じている、「エンパス」の特性。


感情直感型:相手の嘘を見抜ける能力

他人の表面的な態度の中に潜む感情を知覚で感じることができます。
迫真の演技で身の潔白を訴える人の嘘を目の動きや語調で見抜く人がいますが、もっと感覚的にその人の本心を知ることができるエンパスです。
このタイプのエンパスに嘘をつくと、すぐにわかってしまうので深く傷つけることになります。
いい感情を知るときは素晴らしい能力だと思えるでしょうが、他人の裏の顔が見えてしまうので辛いことも多いでしょう。
他人に嫌われないように七変化してしまう人はこのタイプのエンパスかもしれません。

そして。

知的変容型:相手の考えが解り形にもできる能力

他人の知的能力や思考回路を同じように自分の中に再現してしまうタイプのエンパスです。高度な論理的難問も、知的な人間と一緒にいることによって難なく解いてしまったり、知識を得るスピードが格段に上がったりします。
天才といると天才がうつる、といったところでしょうか。しかし、この能力は何か別の才能のように思えてしまいがちなので「自分はエンパスである」と自覚するのは難しいようです。


この2つが私の「武器」でもあり、「凶器」になってるように感じます…。


あまりにも…、周囲とは違い、なかなか理解をしてもらえない。

私は幸いにも、多くの友達にも恵まれているようには思っています。

皆本当に、普段は特に何事もなくても、ふとした時に、優しい言葉をかけてくれたり、励ましてくれて…、私が見失いようになってしまうものを、思い出させてくれます…。

本当にいつも、ありがとう。

見ている人がどれだけいるか分からないけども、そっと優しく、私が壊れないようにと、気遣って、大切に扱ってくれて、本当にありがとう。


そして…、「透明度が高いものが好き」。


私は、精神的疾患を発症した時に、主治医いから「人との距離感の取り方が下手」だと言われて、これも相当泣いたのですが(苦笑)、でも今になれば事実だなぁ、とは思います…。


そして同時に、その時に感じていたこと…。

多分これは…、一般的な言葉で言えば「疎外感」なのかもしれないんですが…。

でも私には沢山の友達がいます。

「いつも」ではないだろうけど(笑)、気にかけてくれる人が沢山います。

それでも「疎外感」を感じることが沢山あります。

私にその「疎外感」は、こんな風に見えて、感じているんですよね…。


ずっとずっと、すっごく厚くて透明なガラスケースの中で私は生きているのかもしれない…。
そしてここで、一人ぼっちのまんま、誰にも気づかれないまま、死んでいくのかな…。


お互いに見えるし聞こえるのに、なぜか触れること、触れ合うことが出来ない…。
私からも、皆からも…、触れ合うことがない…。
私は…、どこに手を伸ばしていいのか、分からない…。


ガラスケースの外の世界は楽しそう。皆が触れ合っていて…。
皆こちらが見えているはずなのに、「おいでよ!」っていうだけで、連れ出してはくれない…。

皆にはガラスが見えないの…?

出してくれなきゃ、そちらには行かれないのに…。

出してくれる人はいないの?

近くに来てくれる人は、誰もいないの…?


どうすれば…、「触れ合う」ことが出来る、ここから出られるのだろう…。

あまりにも…全てが遠い…。

自分の居場所が分からない…、見えない…。

「ここではない」ということしか、分からない……。


もうずっと…、多分…、子供の頃からずっと、感じている感覚でもあります…。

「透明度の高いものが好き」なのは…、ずっとガラスケースにいることが「当たり前」になっていたからなのかもしれないけど…。

このガラスケースを…、恐れずに開けてくれる人。

私を心から必要としてくれ、触れ合うことも求め、大切にしてくれる。

自分で言うのもおかしいけども、私はきっと、このガラスのように繊細すぎるんでしょうね。

その繊細さに気づいてくれている人たちは、私を傷つけないよう、そっと優しくしてくれる。

でも…、私が強く心から望むのは…。

このガラスケースを笑顔で、壊すことなく、優しく開けてくれる人。

迎えに来てくれ、繊細な私を温かく包みこんでくれる人を、心から望んでいるように感じます。


きっと…。

私が今までお付き合いしてきた人、私に好意的に近づいてはきたけど、私が受け入れられなかった人たちは…。

だから私は彼らに対して「恐怖」や「不信感」、「違和感」を抱くことが多いのかもしれない…。そんな風に感じています。


誰よりも大切な人

私には…、とても大切で、絶対に必要で失いたくない人。

今までに誰にも感じた事がない、全く経験がない感情や気持ちが溢れ出てくる…、怖いくらいに大きすぎて…、そして、今までの誰からも感じたことがない、温かさを感じさせてくれる存在の人がいます。

その人からの、その…、意図せずに引っ張り出される、全く経験がない感情や気持ちが溢れ出てくるために…、ずっと混乱をしていて、思うように動けない、考えられない状態も長く続いている感覚があります…。

それでも離れられない、離れてはいけないように、なぜかずっと感じています。

理由は全く分からないんです…。


なぜ…、ここまでの感情を持つのか、私には全く分からない。

相手は男性ですが…、今までの恋愛的な「好き」という感情があまり出て来ない…。

ただ…、その「存在」がとにかく必要なんだろうな、ということは感じています。


その人を私は傷つけてしまったかもしれない…。

今、ずっとそれで涙が止まらなく、体調も崩してしまっています。

他にも、色んな人の感情から「皆、うそつきなんじゃないか…」と思えて、心が荒んできそうな時に、「でも、私だってあの人を傷つけてしまったかもしれない」と思えるような言葉を感じ取ってしまい、今、かなり混乱をしています…。


でも…、もしかしたら先方は「そんなことない!」「そんなつもりで言ったんじゃない」と思ってくれているのかもしれない。

その人もまた、精神科医やカウンセラーさんと同じよう、言葉を変えて「余計なものを見るな。見てしまったのなら流せ」と言ってくれただけなのかもしれない。


でもやっぱり、言葉は、文字は武器であり凶器で…、違ったものに見えてしまうのは、本当に怖いなって…。


私は…、エンパスの能力、特徴で「相手の感情」「相手の考え」が見えるようです。

きっと私はその人こそ。

私のガラスケースを優しく笑顔で開けることが出来る。

私を優しく包み込み、大切に扱ってくれる。

そんな、誰にも出来なかったことが「出来る」人なんだと…、直感的に感じているのかもしれない…。

だから恋愛的な「好き」という感情はなくても、「存在が必要」だと強く思うのかもしれない。


私が感じ取っているその人は、とっても紳士的で精神的に成熟された、理知的な方。とっても優しくて、自分のためにも他人のためにも動けて、思いやり深い、愛情深い人。

穏やかなようでとても情熱的。

ちょっとした嘘をつくことはあるだろうけど、それは「相手を心配させないように」「相手を傷つけないように」または「ちょっといい恰好をしたい」からこその、当たり前の優しくて可愛い嘘しかつかない、絶対に自分の気持ちには嘘をつかないような、誠実さをとにかく感じる人です。


でも私のガラスケースを開ける人が…「その人」なのか、別の誰かなのかは、分からない。

だって、私は…。

私のためにガラスケースを開ける人を待っているんじゃないから。


「私が必要だ」と感じたからこそ、ガラスケースを開ける必要があると、その人自身のために、行動をしてくれる人。

自分自身をとにかく大切にするために、私を必要とし、守り、大切にしてくれる人を望んでいるからこそ、それが「その人」なのかどうかは、私には分からない。

私に対してどういう感情を向けているのか、私には分からない…。

それはきっと…、まだその人も「分からない」のだろうと思うけど、何かしらの好意を持たれているようには、何となく伝わってきています。


きっと私は、ガラスケースで「見える」ものを少しでもぼやかしたいのかもしれないから、自分1人でそこを出る勇気がない。

1人で生きて行くには、不安すぎて怖いんです…。

でもいつか…、広く大きな世界を思い切り楽しく歩きたいって思っているんです。

だから…、お互いに「必要だ」と感じる人が、迎えに来てくれますように。