もし否定するものがなくなったら?
こんばんは
プリマルシルのツネです。
「もし否定するものがなくなったら。」
どうなるでしょう。
もし悪口を言う人がいなくなったら
もし派閥がなくなってしまったら
もし怒ってくれる人がいなくなったら
もし反対されることがなくなったら
楽で自由で最高〜〜
確かに気楽ではあるけど...
いいけど〜 でも...
そこには様々な捉え方があると思いますが
あなた独自のその捉え方でいいと思います。
なぜなら、
"あなたのような捉え方の人がいるから"
存在できる価値観の人がいるからです。
食物連鎖を想像すると分かりやすい。
何かを排除してしまうと、それによって抑えられていたものが 抑えられなくなり 何かに弊害がでてしまう。
そこに綺麗事は必要ないと思うし
好きな人がいれば嫌いな人がいるのも必然
それによって秩序が保たれるわけであり
嫉妬や欲求、見栄や欲望、立場や境遇、劣等感や焦燥感、トラウマやコンプレックス...
誰しもが必ず秘めているものであり
行動にはそれに伴った意図がある。
自己の認識がなくとも日頃の判断や思考、癖の根源はその潜在意識から湧いてくるもの。
物事は表裏一体であり
良い面もあれば、やりすぎて逆にもなりえる
わざわざ否定的にでっちあげたり
あげ足をとったり
自分をよく見せるために蹴落としたり
そこにも何かしらの意図があるから
仕方ない場合もあれば一概に言えるほど
単純ではない。
満たされるまで言っていればいいと思うし
自分には関係のないこと。
答えのない盾と矛の関係に
振り回されるのはやめて
自分の肌に合う丁度いい度合いのレベルで
納得できる自分だけの答えを見つけ
貫けることが理想的。
そこに他を無理矢理巻き込もうとしたり
欲が出るからおかしくなるだけ
色調の似た個性同士が高め合っていけば
その色味を好む人が必ずいるわけだから
その人たちを大切にしてあげればいい。
ただそれだけの単純な話。
自分を信じてあげられるのは
自分だけなのでは?
今日の戯言でした。笑
(闇風になりましたが、ネタが切れそうなだけで、ご心配なく。笑)
失礼します!!!