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自然の調べ

2018.12.09 06:41

Facebook森井 啓二さん投稿記事

お日さまの光に包まれながら歩く。風の音は耳を澄ますと聖音となり 雪は踏み締めるごとに聖典の教えとなり 樹々一本一本が美しい精霊であり 石ころ一つ一つが言霊となる

神は天国のどこかにいるのではなく 私たちはいつでも神のエネルギーの中にいる

神のエネルギーに満ちた地球にいることに感謝

https://blog.ainoutanoehon.jp/blog-entry-562.html 【松尾芭蕉の破調。俳句の調べ(一)】より

 俳句に対して私には、まず枯れた世界、抒情の乏しい老成した知性の世界、写実的絵画的でありえても言葉の音楽、調べの乏しい世界というイメージ、勝手な固定観念があったため、学校で名句を習ってからは、読み感じとることをしてきませんでした。

『奥の細道』はそのときから好きでしたが、その魅力は、俳文と一体となってのもので、十七字の発句だけでは文学として発する力は弱いのではないかと考えていました。芭蕉、蕪村、一茶の、好きな名句はありつつも。

 一方で、和歌から連歌、俳句、短歌、詩へと姿を変え受け継がれてきた詩歌の伝統の流れのなかで、連歌と俳句についての知識と感じとる力が欠落しているので、学びなおして読みとりたいという気持ちもずっとありました。ようやく今、その出発地点から私は歩き出しています。

 まず手に取ったのは、親しみやすい次の本です。

『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館)。

 この本を、『奥の細道』、芭蕉の名句と読み進み、蕪村の名句を読み始め、私はとても驚き、感動しました。蕪村の俳句は彼が画家でもあり絵画的であること、また萩原朔太郎が「郷愁の詩人」として彼の俳句の青春性、若さを好んでいたことは読んでいましたが、それ以上の発見があったからです。

 俳句の調べです。俳句にも和歌や短歌と同じように、言葉の音楽、調べがあるということです。

 与謝蕪村の項の解説者である山下一海鶴見大学名誉教授が、蕪村の名句の鑑賞の言葉のなかで丁寧に伝えてくれていました。

 俳句は、調べそのものの和歌の流れの下流に生まれた文芸なので、とても自然なことですが、十七字という限られた字数では、言葉の調べ、音数律に加えて、音色、韻、アクセント、抑揚を生むのは難しいから、俳人は調べには意をあまり向けていないと、私は思い込んでいました。

 山下一海は著書『芭蕉と蕪村』(1991年、角川選書208)の「蕉蕪少々 三 切字の響き」でも、「俳句は歌うものではない」といい、山本健吉の言葉として「俳句は詠嘆する詩ではなく、認識し、刻印する詩である」と、俳句の本質を教えてくれます

 続く章「四 間(ま)」にかけての、切れ字と間(ま)についての考察は、言葉の韻律を捉え、とても優れていると思います。

 出典の本からまず、松尾芭蕉(まつお・ばしょう、1644~1694年)の三句の調べを聴き取ってみます。注解者は、井本農一(いもと・のういち、お茶の水女子大学名誉教授)、堀信夫(ほり・のぶお、神戸大学名誉教授)で、注解者の言葉の引用は、注解引用◎、の後に記します。私の言葉は☆印の後に印します。

  閑さや岩にしみ入る蟬の声(しづかさやいはにしみいるせみのこゑ)

☆ 私が芭蕉の俳句のなかでこの句がいちばん好きだった理由に気づきました。言葉の調べがイメージと溶け合って響いているからです。SIzuKaSaya IwanI SImIIru SemInoKoe。子音S音の息をかすれさせだす音が句のイメージそのものとなって響き、子音K音も音楽的です。母音はイI音が主調でこれも句のイメージそのものとなり調べを引き締めていますが、冒頭に重ねられた母音アA音は心の感動の明るさを柔らかく響かせています。美しいとあらためて感じました。

 櫓の声波をうつて腸氷る夜やなみだ(ろのこゑなみをうつてはらわたこほるよやなみだ)

注解引用◎ 深川芭蕉庵で敢て貧窮と孤独に耐える試練を己れに課した作者は、上五を思いきった破調にし、それによって世俗的欲望を捨てた自分の調子はずれな精神の律動をみごとに増幅してみせた。

☆ 定型の5音7音5音の十七音の、上五(最初の5音)を10音にしています。5音も字余りにした27音という、破格の破調で、歌としてとても魅力があります。5音を予測して読み進むと10音まで区切りがこないことに心理的な緊張間が生まれます。「なみNAMI」と「なみだNAMIda」、「こゑKOe」と「こほるKOOru」も響きあい、浮かび沈む調べの波、抑揚を生んでいます。

  旅に病で夢は枯野をかけ廻る(たびにやんでゆめはかれのをかけめぐる)

注解引用◎ 作者紹介:鈴木健一(学習院大学)から。『おくのほそ道』自体は推敲に推敲を重ね、旅から五年がたって完成したものの、その元禄七年に芭蕉は「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」の句を残し、五十一歳で没している。

 ☆ 有名な芭蕉の辞世の句ですが、調べに注意して見つめなおすと、この歌も上五が6音、1字字余りで重みを深めています。「やんでYaNde」と「ゆめYuMe」の子音Y音、N音とM音は親しく響きあい、「かれのKAreNo」と「かけKAKeMeguru」の「か」の畳韻をはらむ子音K音のこだま、N音とM音も親しく響きます。母音は、「たびtAbi」「やんでyAnde」「かれのkAreno」「かけめぐるkAkemeguru」と抑揚の波頭にアA音が光っているので、思いを遥かな方向に馳せさせる夢の明るさがあり、けして重く暗くありません。良い歌を最期まで詠んだ、芭蕉は凄さを思います。

 次回は、芭蕉を敬愛し学んだ、蕪村の俳句を見つめます。


https://blog.ainoutanoehon.jp/blog-entry-563.html  【与謝蕪村、音の美。俳句の調べ(二)。】より

 『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館)から、今回は与謝蕪村(よさ・ぶそん、1716~1683年)の俳句を今回から三回、見つめます。

 注解者は、山下一海(やました・かずみ、鶴見大学名誉教授)で、蕪村の俳句を多様な角度から照らし出し感じとっていて、とても優れていると感じました。

 特に俳句の調べ、音楽性にも言及していて、私は深く共感しました。十七字と限られた詩型でも言葉の表現であるかぎり、何より詩歌である限り、音の美しさはいのちだと私も考えますので、確かめられたことを嬉しく思います。

 以下、俳句の調べについての注解がある句を中心に選び、私が好きな句を加えました。注解者の言葉の引用は、注解引用◎、の後に記します。私の言葉は☆印の後に印します。

  春の海終日のたりのたり哉(はるのうみひねもすのたりのたりかな)

注解引用◎「のたりのたり」は、(中略)海全体ののんびりした感じをいうものであろう。ものうい春の気分がそのままに表れている。

 ☆ この句の子音をとり母音だけをぬきだして並べると、AUOUI IEOUOAI OAIAA アウオウイ イエオウオアイ オアイ アアとなり、最後の2音以外は同じ母音が並んでいません。この変化が波のような浮き沈みを生んでいて「イI音」を最低部・底、「アA音」を最後部・波頭にして、揺れ動いています。

  菜の花や月は東に日は西に(なのはなやつきはひがしにひはにしに)

注解引用◎夕景を描くことは、そこに至る一日の昼間を思わせることである。この大きな明るさは、これまでの発句にはあまり見られなかったものだ。(中略)画家としての構成力でもあろう。

 ☆ 切れ字「や」までは母音「アA音」を重ねてまず歌いあげ、間をおいて主調の母音は「イI音」に転じます。対句「・・・はwA・・・にnI」の繰り返しが大きな抑揚を生みだしています。

  朝日さす弓師が店や福寿草(あさひさすゆみしがたなやふくじゅそう)

注解引用◎切れ字「や」が効果的で「福寿草」が生きている。

☆ 俳句独特の切れ字は、その後に間(ま)を生み、続く言葉への期待感を読者の心にかもしだします。その言葉が期待を裏切らない、期待を上回る鮮やかな驚きをもたらす詩語であるとき、感動が生まれると思います。

 作者の一人として、そのような読者に感動をもたらす詩語は、創作の時間にその言葉を見つけた作者自身が必ず感動している、と私は思っています。

  しら梅に明る夜ばかりとなりにけり(しら梅にあくるよばかりとなりにけり)

注解引用◎ラ行音を主として、調べもなだらかである。

 ☆ この注解はとても優れた感性によるものだと感じました。ラ行音を順に抜き出すと、「ら」「る」「り」「り」「り」で、子音R音と結びつく母音の変化A、U、I、I、Iが快い調べを織りなしています。

  うぐいすの啼やちひさき口明て(うぐいすのなくやちひさきくちあいて)

注解引用◎「や」の切字を受けた後半の声調は「ちiひiさきiくちiあいiて」とイ列音を並べたため、甘美で鋭い声音を伝えるようにも感じられる。

 ☆ 注解の言葉のとおりだと感じます。さらに子音のK音が「くKu」「きKi」「くKu」と三回鋭く声をほとばしらせています。

  二もとの梅に遅速を愛す哉(ふたもとのうめにちそくをあいすかな)

注解引用◎「二もとの梅に」とやわらかい和語の調べを打ち出し、続けて「遅速を愛す」と硬い漢語調に転じた曲節の抑揚は巧みであり、前書(まえがき)の「草庵」と響き合わす用意もあろう。

 ☆ 和語と漢語が織り交ぜる日本語の詩歌の可能性を教えられます。詩歌において和語は基本的には万葉以来表音言語、一音を一文字で表すので、歌い読む時間がかかり、ゆるやかです。漢語はこの句の「遅速ちそく」「愛あい」のように、一文字に二音を詰めることが多く歌い読む時間が早まることで強めもし、また漢字の字形は四角張っているので硬さを感じさせます。この句は、緩急、強弱も孕んでいます。

 次回も蕪村の俳句を見つめます。

出典:『日本の古典をよむ⑳ おくのほそ道 芭蕉・蕪村・一茶名句集』(2008年、小学館) 

https://haiku.jp/tsukuru/2763/ 【その六、調べを整える】より

俳句の起源は歌であり、歌は声に出してうたうものです。

出来上がった句を声に出して読み、言葉の響きや切れによる強弱も視野に入れて一句の調べに耳を傾けましょう。

自分の句を声に出して読む習慣をつけておくと、他の人の句を黙読したときにその調べを体感できるようになります。

五感をフルに使ってより感動する俳句を目指してください。

 

芭蕉の言葉

句調はずんば舌頭に千転せよ(『去来抄』)

俳句の調べを語るときに、良く引かれる芭蕉の言葉です。

句の調子が整わないときは、句を黙読するだけでなく声に出して読み、

文字通り舌の先で何度も転がして見よ、という意味なのです。

俳句を作る、俳句入門講座


http://tanka.ikaduchi.com/tanka-room06.html【短歌の基本2】より

短歌の決まりは5・7・5・7・7の5句31音の韻律で詠(よ)むということだけです。

俳句のように「季語」などのややこしい決まりは一切ありません。

ですから皆さんも、どうぞご自由に詠んでみて下さい。

ただ、もちろん自由に詠んでよいのですが、よりよい作品を詠むためのいくつかの技法のようなものはあるので、それをここで少し紹介してみたいと思います。

【調べ(リズム)】について

短歌は詩であり、歌でもあります。

歌でもあるということは散文ではなく韻文であるということです。

「韻文である」ということを要約していえば、独自の「調べ(しらべ)・リズム」を持っているということです。

この「調べ(リズム)」はまず、5・7・5・7・7の定型に納めて詠めば最低限のものは自然に生まれるようになっています。

たとえば…

畝傍(うねび)山 天(あめ)の香具山 二上山(にじょうざん)  高取山(たかとりやま)に 耳成(みみなし)の山

これを声に出して読んでみて下さい。

ちょっと乱暴ですが、こんなふうに僕の地元の有名な山を即興で5・7・5・7・7の5句31音に適当に並べただけも、歌として最低限の「調べ(リズム)」は生まれます。

ですが、ここで少し考えてみてください。

この四句目、「高取山に」の助詞「に」を「と」に変えてみてはどうでしょうか?

畝傍(うねび)山 天(あめ)の香具山 二上山(にじょうざん)  高取山(たかとりやま)と 耳成(みみなし)の山

もちろんこれでも意味的(この歌に深い意味などないけど^^;)には、まったく問題はないですよね。

では、このような場合どちらを選べばよいのでしょうか?

はっきり言って一概に「こっちだ」とは言い切れないのですが「高取山に」の場合、後ろの「耳成の山」にリズム良く繋がるのに対して、「高取山と」だとこの部分でリズムが途切れて「調べ」が悪くなるように僕の場合は感じます。

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ  (俵 万智)

捨てるかも知れぬ写真を何枚も真面目に撮っている九十九里  (俵 万智)

これらの歌も同じように声に出して読んでみてください。

何も言われなければ、すんなりと読んで「素敵な歌だなあ」ぐらいにしか感じないかも知れません。

しかし、それは読み手が「すんなりと読める」ように、詠み手が「調べ(リズム)」についてあれこれと推敲し、考え抜いた結果なのです。

このように短歌は「意味」だけでなく「調べ(リズム)」について意識して詠むことで、よりよい作品に仕上げてゆくことが出来るのです。

よいリズム感を養うためには、多くの歌人の優れた作品をたくさん読んでみるのがよいと思います。