生島尚美さんエッセイ / バリ一代ドタバタ記 (生々流転vol.12より転載)
第6回「祝! 第1号店開店。いや、開いただけ」
▲店員第1号のKちゃん、 今やsisiを引っ張っる人気スタッフに。
sisiの給料日は毎月27日。「中途半端な日にち!末日とか一日にしたら?」と何度言われたことでしょう。
初心を忘れないように、私はこの中途半端な給料日を18年間守っています。何故にこの日なのか、と問われたら「第1号店の開店日が4月27日だったから」なのです。
お店を開ける前から(正確に言えば建つ前から)トラブルが勃発していた”sisi”、いや私。
関西弁で言うところの「必死のパッチ」で4月の末までに開店させることにこだわっていました。が、故に「邪魔をするやつは許さん!」とカリカリしていたのもあるのでしょう。
何故、この時期にこだわったのか、と言えば察しの良い方はお分かりになるかもしれませんが、ゴールデンウィークが始まる時期なのです。私が1号店をOPENした2000年は、数年前からの日本でのバリ島ブームがピークに向けてぐいぐい高まっていたところ。毎日たくさんの日本人観光客が訪れていた…そしてG.W.にはさらにたくさんのお客さまが! そこになんとか間に合わせようと躍起になっていたのでした。
そして見事、27日にお店を開け、つたないインドネシア語で面接した第1号の現地スタッフKちゃんとともにお店でチン、と座ってお客さまを待っていた私。
待っていた私…
待っていたんです、G.W.が終わるまで。今までこちらで書いてきました通り、私が第1号店を出した場所は観光客が普段まず歩いていない、いたら「道に迷っている」と断言出来るほどの中心から外れた寂しいエリア。
今から18年前、私も26歳、そしてsisiのあるその通りは舗装もまだされておらず、バイクが通れば土ぼこりが舞う。sisiを目的地として誰も来ない…ほこりばかりが溜まっていく。バッグにたまったそれをKちゃんがポンポンポンと時々払う音だけが聞こえるのどかなウブドの片隅。
上半身裸のお父さんや犬、アヒルまでが店の前を歩いていく。
そりゃそうです、皆さん、考えてもみてください。誰も知らない私、が作る誰も知らないバッグを、誰も知らないところまで来て買うわけがないのです。
ちょっと考えれば分かること、お店を建てることだけで頭がいっぱいだった私は根本的な事を忘れていました。当時は「ここギャラリー?」と思うほど、バッグやその他のアイテムも少なく、当事の写真は今見ても呆れ果てるほど。
やる気は本当にありました。燃えたぎる情熱もありました。それはまるで闘牛が前足を掻くがごとく! しかし、お店にただ座っているだけではどうにもならない。いつかどこかで誰かが言った「ゼロに何をかけてもゼロだから」という言葉が頭の中をぐるぐる回ります。
本当に毎日忙しくて目が回りそう、やることばかりで休む間もない! こういう生活は本当に大変。私もその経験が何度もあります。が、あの頃のあの「やる気は雄牛のようにあるのに何をすれば良いか分からず途方に暮れる」という状態にだけは戻りたくない。
知り合いも頼る人もほとんどおらず、インドネシア語も基本の基本しかできない私は、ただ減っていくだけの貯金通帳を眺め、ひたすら焦り途方にくれていました。
<つづく>