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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ナポレオン46-モスクワ大火ロシア撤退

2021.12.09 11:14

1812年9月14日にナポレオンはモスクワ入城した。お約束では歓呼に迎えられるはずだった。しかし迎えたのは炎だった。市長は市民を退避させて火を放ったのだ。ここで食料を手に入れるはずの軍は完全に当てがはずれた。それでなくとも、これまでの焦土戦術やゲリラ戦で、統制の取れない軍は11万人に減っていた。

ナポレオンは、ロシア皇帝に降伏勧告をしたりして時を費やし、10月19日に徹底を開始した。ロシア軍は、ナポレオンが元来て荒れ果てたスモレンスク街道に追い込み、ゲリラ戦で消耗させた。兵はどんどん減っていく。11月8日のスモレンスク到着では3万5千人となる。

そして11月28日、ベルジナ川渡河の途中でロシア軍が襲い、途中の兵が川に飲まれた。フランスでもクーデターが起こり、12月5日、ナポレオンは軍をミュラ元帥に任せて、祖国に急いだが、ミュラも軍を見捨てて、ポアルネに任せて脱走した。馬を食べたため、大砲も見捨てて帰らざるを得ない。

最終的にナポレオンの大陸軍は2万2千にまで減少した。剣を持つ者は剣によって滅ぶ、軍事力によって成り立っていたナポレオン帝国を諸国は次々に裏切ってゆく。イギリスの主導によって、大規模な第六次対仏大同盟が結成された。これ以後諸国民戦争が始まる。