日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄 第一章 朝焼け 1
日曜小説 No Exist Man 闇の啓蟄
第一章 朝焼け 1
東京都港区、飯倉片町交差点付近は、常に警察官が多くいる。近くにロシア大使館があるために、その警戒のために常に多くの警察官が警備に当たっているためだ。
ロシアは、旧ソ連時代にアメリカとの冷戦を戦っていた。そのことから、旧ソ連大使館の裏にはアメリカ人の社交場であるアメリカンクラブがある。そして、その近くには日本の外務省公館が広い敷地の中に立っているのである。その最寄りの交差点が「飯倉片町」の交差点になる。
この交差点は神谷町や飯倉から六本木交差点につながる「麻布通り」と東京の環状五号線、いわゆる「外苑東通り」が交差する所で、交通量も人通りも少なくない。テレビ朝日なども近く六本木の交差点から近い事もあって、芸能関係や若手の企業経営者などが集まる「二次会の店」が多くある。
六本木の中心部から少し離れているだけではなく、ロシア大使館などが多いので、逆に夜は警備の警察官が残るだけで、人通りは閑散としてしまう。そのような意味で、静かに飲みたい人や、何か下心のある人、秘密の会合をする集団などが夜には集う場所となる。
そのような中でひときわ目立つのが交差点の角、外務省公館の斜め前に当たる所にある「中華料理 奉天苑」であった。大きな看板に、清朝時代の中国の雰囲気の入り口には、大きな龍の彫刻が飾られ、この地価の高い場所で四階建てのビルすべてがこの瀋陽飯店の建物になっている。往時は、三階の宴会場に、100人以上の宴会が行われることもあったが、徐々に景気が悪くなり、最近では二階の個室が埋まることくらいがやっとである。その二階の最も奥の個室に、その男は現れた。
「おお、松原さん、お待ちしておりました。こちらです」
声をかけたのは、この店瀋陽飯店のオーナー社長である陳文敏である。1990年代までは、人民解放軍の下士官であったが、旧ソ連崩壊で共産主義に見切りをつけたと周囲に行って人民解放軍をやめ、なぜか日本に来て中華料理店を始めた変わり種である。陳氏は、自分が元人民解放軍だったことを全く隠していないばかりか、この店の入り口には、自身が人民解放軍であった時の、まだ筋骨隆々でたくましかった時の写真を飾り、「人民解放軍200万人が恋焦がれた味」などとキャッチコピーが書かれている。ちなみに、それから30年経った現在の陳は、その写真と並べても目元に少し面影が残るくらいで、説明されなければ元の軍人の写真と同一人物であるとは思えないほど肥り、頭髪は白髪交じりでかなり薄くなっていた。
「誰だそいつは」
入り口に立ったまま、目ばかりが異様に光る「松原」といわれた男は、日本に残る極左組織「日本紅旗革命団」の団長松原隆志である。警視庁の公安部や警察庁の公安部に「極左暴力集団」の首領としてマークされている人物であるが、なかなか犯罪などのしっぽを表さないので、逮捕にまで至っていない。
公安部の調査によると、この「日本紅旗革命団」は、日本国の資本主義・民主主義体制を破壊し、日本国内で共産主義革命を起こし、恒久平和の国家を建国するということを目的としているということになっている。そのために、大企業などを「ブルジョワジー」であるとして敵対視、最も活動が活発化していた時代には、丸の内にある大企業の爆破を行ったり、選挙で街頭演説する保守系の政治家を襲撃するなどのことがあり、何名かの逮捕者が出ている団体である。しかし、この松原だけは全く姿を見せず、マスコミなどの中には、「松原隆司架空人物説」なども存在するほどである。
実際に、その場にいる誰もが、穴の開いた皮のジャンパーに、破けたGパン、かなり痩せて、多分肋骨が見えてしまうような細い体に、白髪交じりの長髪、そしてサングラスと、1960年代の反戦フォークを歌っていた時代からそのまま年齢だけを重ねて現代に飛び出してきたかのようなこの人物を、異様に感じていた。
「こちらは立憲新生党の大沢三郎先生だ。まあ、気に入らなければ別に無視してくれたらいいよ」
陳文敏は、日本人よりも日本人らしい日本語で、そういうと、自分の近くに松原を座らせた。すっかりと場違いであると本人も感じているのか、松原は座ってすぐに胸のポケットからくしゃくしゃになったケースの中から煙草を取り出すと、さっそく火をつけた。陳は、目で周りに控えるウエーターに合図を送ると、ウエーターはすぐに部屋の隅にあるサイドテーブルに重ねられている灰皿を松原の前に差し出した。松原は、すぐにその灰皿に灰を落とすと、大きく煙を吐き出した。
「君が、松原君かね」
大沢という政治家は、「大物政治家」といわれる人が、たいてい、そのような対応をするという創造する尊大な物言いで言った。どうも大沢の雰囲気からして、この松原の態度があまり気に入らなかったのか、どうも不満があるかのような口調である。それでも、今日の会合が重要であるからか、何とか我慢しているということである。
「そっちのは誰だ」
松原は、サングラスの奥で大沢を一瞥すると、大沢の言葉を完全に無視して、その大沢三郎の隣に座る二人を顎で指した。
「大沢先生の政党の青山優子先生と、岩田智也先生ですよ。テレビで見たことはありませんか」
陳文敏は、不機嫌そうな松原と、明らかに不機嫌になったことが顔に現れて来た大沢の間に挟まって、少し困った表情をしながら、松原に二人を哨戒した。
「そんなもん、見て何になる。」
松原はさらに不機嫌な表情をしながら、今までのたばこをもう一度大きくふかすと、円卓の中央におおきな煙の塊を吐き出した。
「テレビはご覧にならないのかな」
「天気予報くらいは見る。でもな、お前らの阿保面見てると吐き気がするからな」
「阿保面とは何だ」
議員の中でも若手の岩田が、さすがに我慢できないというような勢いで立ち上がった。横で青山が抑えなければ、そのまま松原に殴りかかっていたのかもしれない。しかし、そのような勢いでありながら、松原は全く動じず、新しい煙草に火をともした。しかし、松原のサングラスの奥で、不気味な光があることを、隣に座る陳は見逃さなかった。
「仮にも、国政を動かす・・・・・・」
岩田は松原のそのような動きを気に留めることなく、騒ぎ続けた。しかし、その言葉が終わらないうちに、松原は目の前にあるまだ使っていないおしぼりを岩田に向かって投げつけた。ちょうどうまく、岩田の口のあたりにおしぼりが当たり、そして岩田は言葉を止めざるを得なかった。
「松原先生、申し訳ない。まだ岩田君は若いのでお許しください」
大沢が、頭を下げ、そして右手で岩田に座るように指示した。それを見て、青山優子が一度立ち上がり、そして岩田の両肩に手を置いて座らでた。大沢は、やはり陳と同じように松原のただならぬ雰囲気を感じ取っていたのである。さすがに、政治の世界を30年以上続けている大物政治家である。
そんな大沢を見て、松原は少し口元を緩めると、鼻で笑った。岩田はそのような松原にまだ腹を立てているようであるが、それでも大沢に諭されて、黙っているしかなかった。
「まず松原先生にお聞きしたいのですが、日本の政治はだめですか」
大沢は、そのまま言葉をつづけた。
「茶番だろ。しっかりしてりゃ、今頃共和国になっているだろ、まあ、君らは国から金をもらっているから、戦う気なんかないからな」
松原は、そういうと、また新たな煙草に火をつけた。しかし、今度は少し友好的になったかのように大沢は感じていた。