ひとりごと
闘病されていた小林麻央さんが先日お亡くなりになりました。
34歳。短すぎると思いますが、すごいパワーだったな、と思います。
ご主人の市川海老蔵さんは歌舞伎役者として舞台に立ち続け、妹の小林麻耶さんもブログなどで心情を綴っています。
僕は、これまでの間に何人かの身近な人が亡くなり、様々な思いを感じる機会がありました。その時、本当につらく、立ち直れないんじゃないかというショックを受けたこともありました。
身近な人の死は、時間とともに薄らいではいくものの、今でも僕の中で大きな出来事として胸の中に住み続け、その存在があることも併せて今の自分を形作っている要素なのだと思います。
特にいま、自分は子を持つ立場として、親として、夫として僕の存在を必要としている家族がいます。
もし今、自分にそんなことがあったら、もし嫁にそんなことがあったら、子供たちにそんなことがあったら。そう考えている自分。
小林麻央さんの訃報を受け止める自分の感情にも変化があることに気が付きました。
遺される子供のことを考えると無念な気持ちや心配な気持ちもたくさんあったでしょう。
彼女が残したブログはそんな子供たちにとっても「お母さんが生きた証」「闘った証」であり、そんな記録を残した麻央さんはすごかったな、と思うのです。
人は一人では生きていけないもの。
どんな人でも少なからず誰かを頼り、頼られて生きています。
様々な経験の中で人は成長していきます。
その経験の中で人それぞれに自分なりの解釈をし、胸の中にしまって生きていきます。
大学生のころ、親友の死に接した僕はカトリックの教会の神父様の話した言葉に救われました。
「神様は乗り越えられる試練しか与えない。これは神様が残されたみんなに与えた試練なんです」
その時は「そんな試練なんかいらない」と思いました。
そんな悲しい経験は無ければよいのかもしれません。
でも、
そんな経験をしたからこそ人が悲しんでいるときに自分の心も動くこと。悲しい経験があるからこそ、嬉しいことを嬉しいと素直に感じる事。ができるのではないかと思っています。
その後も、会社のとてもお世話になった先輩や、後輩、とてもお世話になった方の葬儀に参列しながら「受け止めるべき試練」として自分の中に取り込もうと考えていました。
そんな経験の中で、自分自身のたった一度の人生を、自分のためだけでなく家族のためとか、僕を必要としてくれる人のために役立つ人生にしたい。そんな思いを持つようになりました。そんな思いがなければ起業することもなかったと思います。
小林麻央さんの冥福を心よりお祈りするとともに、周りの皆様に平穏な日々が再び訪れるよう願っています。