発達障害の当事者会を立ち上げるって大変だけどやりがいが凄いある件
健常者同士なら互いに相手の不足した部分を察することもわりかし出来るし、
自分の脳が勝手に「そこまで気にしない」ように意識にフィルターをかけられることは実はすごいと思う。無意識にできるからこそ、多少の問題があっても乗り越えてしまうのが素晴らしい。
永太郎も何度もそちら側の普通に出来る「人間」になりたいと強く思ったことか。
発達障害が診断されているからにはやはり、他の当事者の方も生きていく上で何かしらのトラブルや壁にみんなぶつかっているとは思う。どうしてもつまづいてしまう小さなトラブルやきっかけが、やがては大きくなる時みんなは一体どうするだろうか。
永太郎も毎回、右往左往しながら答えを探しては失敗を繰り返しています。
特に発達障害の当事者会って、「1年続けば御の字」と言う人がいるくらい結構大変なんだなと、前の当事者会から思うことが多々ありました。
社会的にうまく生活ができないからこそ(発達)障害があると診断が降りるわけですし、
そんな強い個性の塊がぶつかり合う訳です。そりゃ、1年も続かない団体さんも出てくるはずだなと。
そんなことを考えていると、永太郎が立ち上げた前の当事者会はおおよそ2年半以上続いたわけでとても、頑張った方であると思いたい。
本当に濃ゆい期間でした。その濃ゆさに比例して、自分も仲間を困らせたことが多々ありました。
そんないい加減な永太郎であっても、交友関係でも当事者会の大切な仲間としても永太郎と一緒に居てくれる人が多くいることに大変感謝をしたいし、ずっとずっと大切にしたいと思います。
社会人になってから、ここまで自身が必死になれる相手や居場所はそうそう無いと思います。
まして、セクシャリティがゲイであるので所帯を持つこともできないし、結婚すらできないので尚更です。
今回、会を新たに立ち上げることになった際に、そんな大事な仲間の一人と泣く泣くはなれることになったのは残念ではあります。
けれど誰も間違ったことはしていないと思うので、どうすることもできないと悩むこともありました。
一旦、リセットをすることで新たに気持ちのリセットが互いにできるのではないかと思い新たに一歩を踏み出した所になります。
大事な仲間として、互いの特性があっても互いに笑い会える何でもない日がいずれくるように願うばかりです。
仲間の良いことも悪いことも包み隠さずにリアルに見えてくる、その先のことも考えられるようになったのは当事者会をやってきたからだと、今更気がつくことができました。
これは、本当に過去32年間の生きてきた中でも非常に大きく感じた一件でした。以上。