篠山市沢田 沢田八幡神社祭礼2011
黒岡 春日神社例祭からの帰り、混雑を避けて県道301号線を通って帰宅することに。
すると、田んぼの真ん中にのぼりが立っており、その先にはこんもりとした森が見えたので、ここに神社がありそうやなってことで何気なく行ってきました。
ここは、丹波の奇祭として有名な『鱧切り神事』がある神社でした。
名前も行事も知ってましたが場所を知らなくて・・・。(^^;
『鱧切り神事』が前日に終わっていることは新聞で読んでいたので、それは今後の楽しみにおいといて、お参りだけしてきました。
黒岡の春日神社の氏子である『河原町』は沢田八幡神社の氏子でもあり、太鼓みこしの乗り子たちはここでお払いを受けてから出発するとのことです。
どうりで各町内を回ったときに、軒下につるされている提灯の紋が河原町だけ違うと思ったんですよね。沢田八幡神社の貼り紙によると、春日神社の神紋は上り藤、八幡宮は鳩なんだそうです。(佐々婆神社も八幡宮なので鳩でした。)
そういえば春日神社例祭の宵宮で太鼓みこしが宮入りしているときに、マイクで「・・・は・・・の氏子でもあり、・・・」くらいのアナウンスが聞こえて、何のことかなぁ?と思っていました。
『鱧切り神事』の際は、鱧を乗せた神輿が出るとのことですし、一度見てみたいと思います。
◎沢田八幡神社について丹波篠山五十三次ガイド&掲示板からコピペ&加筆
古代に村人たちが、事代主命(大国主命の子)をお祭りしたのが、始まりで、その後、日置荘の領主藤原基経(昭宣公)の祖神・春日大神を奈良から勧請し、春日神社と称していたという。
南北朝時代の暦応元年(1338)には後醍醐天皇が勅使を派遣されているし、足利氏、山名氏、細川氏など武将の崇敬社となっていた。
当時、三岳修験道が盛んなころであり、修験道関連社寺として栄えていたのであろう。
その後、小林近江守が八幡大神を勧請して、社名にしたと伝えられる。
天正三年(1575)、明智光秀の丹波攻めが始まると、小林一族は八上城主波多野氏に属して明智軍に抵抗したが、八上城周辺の城はつぎつぎと陥落、天正七年に沢田城も落城、そのとき沢田八幡も兵火により焼失した。
寛永9年(1632)に篠山城主松平山城守忠国が本殿を再興し、城の鬼門の鎮守とした。それ以来、歴代城主が寄進と保護を続け祈願所となっていた。
ご祭神のうち、国土開発国魂神と同姫神は、付近の沼沢地を開拓された遠い祖神とされ、農地化するに際して遭遇した災いを大蛇にたとえ、その大蛇を鱧に見立てて退治するという「鱧切り神事」が、毎年10月16日(現在はこの時期の土曜日と思われる)の祭礼に行われる。