数学俳句
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熊野古神道の仙人 真に祈りの御靈の方でおられた 成地紀晶先生が旅立たれ一年。
前日は弥栄、弥栄とお祝いをしておられ、弥栄三唱の声の中、誠に天晴れな旅立ちであられたと。
成地先生とご縁をいただいたのは、礒正仁さんから。
熊野の地、玉置、元玉置、、朱倉、潮岬、、、数年間、様々な聖地にて御神事をご一緒させていただきました。
本当に真っ直ぐな真っ直ぐな御方でありました。
7年前の12月に 熊野 玉置神社玉石社にてご一緒させていただきました時の記事をシェアさせていただきます。
成地先生
善きも悪きもひっくるめて みな光へとお導きください。
誠に有難うございました。
深謝合掌 KNOB拝
熊野の山々をくまなく登られ、長い長い歴史の中で敗者となり、命を奪われた方々の御霊の鎮魂をされ、縄文からの大切な磐坐や聖地で御神事を重ねてこられ、34年、、、
想像を絶するような御苦労があったと思います。
真摯な祈りを続けられ、34年間切願されておられたのが7日の御神事でした。
成地先生は玉置神社の玉石社も守られてきました。
僕も玉石社で二度、献奏をさせていただきましたが、本当に力の強い聖地です。
山の森の中に社はあり、隕石と云われる御神体の玉石の場で寝泊りの修行もされています。
同じように修行された方で過去には7人もの死者も出ているそうです。
この玉置神社のある山と対になる、表と裏の関係にある元玉置山と云われる地が今回の御神事の777メートルの玉置山でした。
この場が開くと真の女性性が開くとされているそうで、女性の本来の愛なる働きの力が開き現れては困ると考えた時の権力者が、女人禁制の山とし、封印されてきたそうです。
その封印をとけたなら、表裏の玉置山が∞ メビウスのようにエネルギーがリンクしてゆくと伝えられてきました。
12月7日と言えば、日本が真珠湾を攻撃する前日、、、あの戦争で命を落とされた方々のためにも、和する魂で戦わずして勝つ、という精神が大切であると優しく深い眼の先生はおっしゃっておられました。
そんな先生を今回の御神事を祝福してくださるかのように、天氣は快晴。
片道約3時間の登山は道とは言えないようなかなりの急斜面、足を踏みはずせば転がり落ちてしまうような場所を登り、御神事の場所に無事に到着し、地元の方々と共に御神木に大きな注連縄を張り、結界を張り、お供えをし、仏事をし、その後神事をし、僕も儀式の中で般若心経、龍神祝詞で一緒に献奏させていただきました。
最後は聖域の中で先生、礒さんと僕で祝詞と献奏をする周りを女性を中心にみなさんが7周、舞い踊るように回られました。
本当にアメノウズメのようでした。
岩戸開きの時の岩戸の前で行われたことはこのようなことだったのかもしれないと感じるような素晴らしい場となりました。
まわるが舞いの語源かもしれません。
祈りに、歓喜なる世界に場も自然も天地も同氣してゆくのでしょうか、鳥は歌い、肉眼でも七色の光の線がはっきりと見える神々しく優しい光が射し、御神体の石に光が降りました。
本当に本当に素晴らしい御神事でありました。
先生と共に聖地を守られてきた地元の方々が本当に嬉しそうで、、、神と人が自然が共に喜び涙する、あたたかな和する時間でした。
奇しくも参加者の数は先生が神事をされてきた年数と同じ34人。女性17人、男性17人でありました。ご縁をいただき、ご一緒させていただいたみなさま。本当におめでとうございました。お世話になりました。ありがとうございました。
熊野での神事、仏事に終わりはなく、これからも真なる本来の世界に繋がってゆくために祈りは続いてゆきます。
僕もご縁のある時にはまた慎んで献奏をさせていただきたいと思います。
熊野が、日本が、世界がすべてのいのちが平和でありますように、、、
合掌 KNOB拝
昨日、快晴の中、玉置神社 玉石社での御神事が無事に行われました。
美しい光に満ちた日で、十津川から玉置山に登る道は前日の雨に太陽の光が照らされ光の道となっていました。
この玉置山も遥か昔は海の底、、、圧倒的な自然なる力により海底が隆起し、山となったそうです。11時に玉置神社の駐車場に成地先生と待ち合わせでした。
今回は成地先生、礒さん、二人の強い絆で結ばれた熊野の神官と僕の三人での御神事となりました。準備をしながら、玉石社までの行き方が直前まで話されていました。
〜礒さん 今回は大切な火じゃから邪が入るといかんから、やっぱり上からじゃ(成地先生)
〜はい(礒さん)〜
〜?(私)〜
参道を歩いてゆきました。
そこまでは普通なのですが、そこから道なき山に、、、急斜面の場所で、下には本殿の屋根が見えました。
また前日の雨で下はツルツルすべります。
実は前日の夜、ギックリ腰になってしまうのでは?と感じるような腰の痛みがあり、十津川の源泉の素晴らしい温泉の宿であったのですが、足湯だけにし、あとはひたすら氷で冷やすという治療をしました。(身体が熱を持ちやすい私の腰の体質には氷で冷やすというのが効くのです。)
当日はずいぶん回復したのですが、不安もありました。
一応杖は二本持ち行ったのですが、道なき山ではまったく使い物にはならず、足場を確認し、根っ子や石に捕まりながら、一歩一歩、、、滑って踏み外せば、落ちてしまいます。
もしここで、腰に激痛が走り玉石社に行けなくなったら、、、それが今自分に必然なること、、、すべては委ね、成るべくままに、、、
有り難いことに何事もなく無事に玉石社に着きました。
熊野は三という数字を大切にするそうです。八咫烏の足も三本ですね。御神事は三人。
献奏と言っても、打ち合わせはまったくなく、無言で、塩で場を浄められ、火を合わせたり、、、僕は直感でそこに天河の五十鈴で響きを合わせました。
そして、三人による三回ずつの石笛、、、その後の祝詞にイダキや蛇瓢箪の響きを合わせ、神仏の御神事が終わりました。
こちらでは約30分、、、すべてが終わると下の方より観光の方々が登ってくる声が聴こえてきました。
御神体の玉石には美しき光が降りてきていました。
その後は、境内の中の小さなお地蔵さまの祠に、、、長年、成地先生が供養されてきたお地蔵さまでした。般若心経や陀羅尼などで響きと共に祈りました。
終わると小さな二体のお地蔵さまに成地先生が話しかけられました。
〜珍しい音聴かせてもらったなぁ、良かったなぁ〜
お地蔵さまがニッコリ微笑んでくださったように感じました。
また下山中、ふとある場所に車を停められました。
〜礒さん ノブさん ワシ、ここもしてあげたいんよ。靈たちを成仏させてあげたら、この木はさらに素晴らしい御神木となって働かれると思うんじゃ〜
こんな風に34年間、熊野のすべての山を登り、御神木や磐座を調えられ、祀られてこられたんだなと頭が下がりました。
一部の観光の方々は玉石社や聖地、お社に来てもガイドの方の説明を聞かれて、手を合わすこともなく、まるで美術館で作品を見ていくような感覚の方もおられます。
先住民は、聖地では黙って座ってじっと聴く、、、
風が祖先や精霊の声を伝えてくれていると言われます。
命がけで山に登り、生い茂る木々の中から磐座や、御神木を見つけ出し、場を浄め、自然そのものを祀り祈るという成地先生がされてきた先住民的な古神道の世界に、大きな愛を感じました。有り難い経験をさせていただいています。
今日も一瞬一瞬の今を信じ、感謝し在りたいと思います。
深謝 KNOB拝
https://weekly-haiku.blogspot.com/2016/10/blog-post_73.html 【数学×俳句イベント『数学俳句』という試み】より
横山明日希
◆大規模の数学イベント内で『数学俳句』
先日、『数学俳句』という、その名前の通り数学用語、数学的性質を用いた俳句の企画を開催致しました。
アスキードワンゴと株式会社すうがくぶんかの共同主催で、35時間続けて数々の数学者や数学ファンが集まり講演、プレゼンをする中、1企画異質だった時間を提供することとなりました。
今回、この文を執筆している横山明日希と、関悦史さんの2人で出演。そして聴講者として四ッ谷龍さん、生駒大祐さんにお越し頂きました。
下の写真を見れば、異様な光景だと感じるでしょう。
私は“数学のお兄さん”と名乗り、数学が好きでその楽しさを伝えるという活動をしている身ですが、その切り口として俳句を組み合わせる事を少し前から取り組ませて頂いておりました。
本文では、企画で取り上げさせて頂いた数学俳句に触れつつなぜ私がこういった試みをしているかの想いの部分を書かせて頂きます。
◆数学で情景を描く
会場で企画中に取り上げた俳句は以下の作品。
十三夜素数定理と巨大数 shumatsuki
夕焼けや落葉松の影フラクタル Bunbun
点対称配置四便器台風圏 四ッ谷龍
汝と別れメルセンヌ素数となるか 生駒大祐
樹形図は下界を秋と思ふなり ナツメヤシ子
秋の空天に向かって続く数 せきゅーん
はじめて目にするような単語もあるかもしれません。すべての用語を解説するには余白が少ないため割愛させて頂きますが、せっかくなのでいくつか取り上げさせて頂きます。
例えばBunbunさんの句。「フラクタル」とは日本語で言うなら「自己相似」と呼ばれるもの。もしこのフラクタルの意味を知らなかったとしても、夕焼けの強い光が落葉松の影を強烈につくっている姿が思い浮かぶはずです。
その影もしくは落葉松自体をフラクタルというのか…のように少しだけ数学的な理解が出来るかもしれません。ここに、“木の枝がフラクタルの性質を持っていて、その性質によって雨風は通すが光は通さない構造となっている”という性質を含めると、影がくっきりと黒くなるにもかかわらず木が風をしっかりと通してくれる情景がより鮮明に描かれます。
また、四ッ谷龍さんの句のように「点対称」という言葉を用いる事で一定の規則性がある事を想像させ、かつ、実際に頭の中でその情景を180度回転させてみたり、生駒大祐さんの句のように「メルセンヌ素数」という2のn乗から1を引いた素数という“比較的珍しいかつ美しい表記が可能な素数”を用いて別れた後のわずかな希望(でもその希望は叶わないのでしょう)を描いたりと、情景描写を数学用語がサポートしてくれるのです。
そして俳句の情景描写へのサポートとしてだけでなく、私としてはこのように数学用語を入れ、その用語を深く理解する事で数学分野への知識がつき、さらには興味を少なからず持ってくれる事に価値を感じているのです。
◆数学俳句で数学も俳句も身近に
例として取り上げさせて頂いたものはほんの少しではありますが、今回の企画の中でも「俳句の発見感、数学の発見感が似ている」といった話や「一定のルールの中で表現する」といった共通点の話を関悦史さんとお話させて頂きました。おそらくこういった会をさらに続けていくことで、まだ私が気づいていない意外な共通点が潜んでいるのではないかとワクワクしておりますので、また機会を持てたらと考えております。
また、今回のこの文を読んで頂いた方にも少しでも「数学って面白そう」と感じてもらえたのであれば私としては嬉しく思います。
数学を楽しむ事というのは、決してハードルが高い事でないのです。そして、僕も今回『数学俳句』という企画を実施することで俳句を身近に感じる事が出来ました。
「数学」と「俳句」といった一見関係ない分野が融合する事が、その分野に興味持つ人を増やし、分野自体にも新しい風を吹き込むきっかけになるのかもしれません。
https://gendaihaiku.gr.jp/column/747/ 【奈良七重七堂伽藍八重ざくら 松尾芭蕉 評者: 四ッ谷龍】より
【数学俳句 その3】
歴史上、もっとも偉大な数学俳人は誰でしょうか。じゃーん、答えは松尾芭蕉さんです(私の独断)。
芭蕉が数学的感覚にすぐれた人だったのではないかと思われる理由はいくつかあるが、ここでは「数列への関心」ということを挙げたい。掲句では7,7,8という三つの数字を語呂良く並べているし、ほかにもこんな句がある。
桜より松は二木を三月ごし 四つ五器のそろはぬ花見心哉
六里七里日ごとに替る花見哉 見しやその七日は墓の三日の月
七株の萩の千本や星の秋 八九間空で雨降る柳かな
九たび起ても月の七ツ哉
どうです、相当な数字マニアぶりでしょう。
数字を和歌に詠みこむという試みは平安時代から行われていたことで、芭蕉の発明ではない。掲句にしても、「いにしへの奈良の都の八重桜けふ九重ににほひぬるかな」という百人一首にも採用された伊勢大輔の歌や「名所や奈良は七堂八重桜」という如貞の句の本歌取りであることは明らかだ。しかしそれにしても、数列への関心の徹底ぶり、数字の並べかたの手際よさ、カウントアップやカウントダウンの数的処理のうまさなどの点で、芭蕉俳句は王朝和歌や先行する俳諧の技法を超えているように思う。
掲句でも、まず「奈良七重」と奈良の都路を大きく把握し、「七堂伽藍」と特定の寺の伽藍に焦点を絞り、さらにその中の「八重ざくら」をズームアップする。画面範囲は縮小していくのに数字は七から八へと増殖するので、八重ざくらのボリューム感が濃厚に強調される。
芭蕉が江戸に出てきたころ、彼は神田上水の補修工事の事務方をやって生計を立てていたとされる。工事事務といえば、人工計算、原価管理、金銭出納など計算力が必要とされる業務ばかりであるから、現実的にも彼はけっして数字にうとくはなかったに違いない。
出典:『泊船集』
評者: 四ッ谷龍