蛙の雲見
雲間より雲居を照らす西日かな 高資
ひたすらに翔る烏や雲の峰 高資
西日ならではの光景でした。雲は見ていて飽きませんね。あの雲の中で氷晶が激しくぶつかり合っていると思うとほんとうに不思議な気がします。
夕焼ける鉄床雲や天の原 高資
ゆく夏や水銀灯の地に点る 高資
細波の寄る山の端や秋の雲 高資
有明の海の逆巻く秋時雨 高資
水天に秋の雲湧く筑紫かな 高資
腕(かいな)にて漕ぎゆく秋の夕焼雲 高資
蛙穴に入りて弥勒の御代を頼むかな 一茶
穴に入る蛙の仰ぐみそらかな 高資
Before hibernation
frogs are taking a farewell look
up into the heavens Taka Goto
曼珠沙華そのなかいまにかんがえる 高資
伊奈良沼(万葉集・歌枕の地)ー 場所: 雷電神社
落とし穴から抜け出るための決め手は発想の転換
https://ranyokohama.amebaownd.com/posts/7053707 【自分の人生の主人になる】
facebook・西尾仁さん投稿記事【我思う、故に宇宙あり】
まず目を閉じ、大の字になって床に寝ましょう。
次に、私は今大宇宙の真っただ中に浮いている、とイメージしましょう。
私は今、上下左右真っ黒な大宇宙の中に浮いている。
ものすごく気分が良い・・・。体の感覚が無いくらいリラックスしている。
・
ではリラックスしたところで、
・
まず、目を取ってしまいましょう・・・もう私は何も見えません。
次に、耳を取ってしまいましょう・・・もう私は何も聞こえません。
次に、鼻を取ってしまいましょう・・・もう私は何も臭いません。
次に、舌を取ってしまいましょう・・・もう私は何も味わえません。
最後に全身を捨ててしまいましょう・・・もう私は何も感じません。
・
さて、すべてを捨て去った私に残っているのは、「私」の意識のみ・・・。
・
そう、大宇宙に「私」の意識が浮いているだけです。
私は身軽です。自由そのものです。どこへでも飛ばすことができます。大きくも小さくもできます。
・
では、その意識も捨ててしまいましょう。えっ・・・・??。
・
しかし意識は捨てられない。決して捨てることはできない。
なぜなら、
「私」が意識を捨てたその瞬間、宇宙は消え去ってしまうからです。
・
なぜ消える?。
『私の意識』が宇宙を存在させていたからです。
・
『私の意識』が大宇宙を感じ、地球を感じ、妻や子を感じ、親兄弟を感じればこそ、それらのものは存在できたのです。
・
『その意識』が無くなれば、
その瞬間すべてのものは消え去ってしまうはず・・・!?。
・
そうです。『私の意識』がすべてを存在させていたのです。
『私の意識』がそれらのものと関係を結んでいたから、
それらのものは存在できたのです。
・
その『私の意識』が無くなれば、
関係を結んでいたそれらのものは当然無くなってしまうはず・・・?。
つまり、宇宙は消え去ってしまうことになる・・・。
・
あなたは、『自分の意識』が無くなった後のビジョンが描けますか?・・・。
・
このまま眠りに入り、永久に目覚めない自分を想像することができますか?・・・。
・
できないはずです。なぜなら、『あなたの意識』は絶対無くならないからです。本能的に無くならないと知っているから、ビジョンが描けないのです。
・
宇宙服(=肉体)が『意識(=魂)』を生み出すと考えることが、
宇宙服(=肉体)が亡くなったら『意識(=魂)』が無くなると思うのです。
・
「私(=魂)は絶対無くならない!。」
「私(=魂)は永遠不滅の存在です!。」
・
では永遠に無くならない「私(=魂)」とは、何者なのでしょうか?。
宇宙を存在させていた不滅の「私(=魂)」とは、一体何者なのでしょうか?。
・
そうです。『宇宙そのもの』だったのです。
・
宇宙生命(=いのち)そのものだから、「私(=魂)」は宇宙と共にあったのです。
・
私(=魂)が無くなれば宇宙が消えてしまうのは、「私」(=魂)そのものが「宇宙」(=いのち)のそのものだからです。
・
本当の私は宇宙服(=肉体)では無いのです。
本当の私は意識(=魂)そのもの、宇宙(=いのち)そのものだったのです。
・
名前はどうでも良い!、ただ永久に無くならない意識(=魂)こそが本当の私なのです。
私の意識(=魂)が永遠だから、死後のビジョンが描けなかったのです。
・
宇宙に意識(=いのち)が一つしか無いとすれば、
私達一人一人の意識(=魂)は全体意識(=いのち)になるでしょう。
・
ということは、一人の意識でも無くなれば全体意識も無くなってしまうことになる・・・でも、そんなことは絶対あり得ないわけですから、
私達一人一人の意識(=魂)も決して無くなることは無いのです。
・
意識(=魂)はあくまでも主観的なものです。
宇宙はたった一つの主観的意識(=いのち)で成り立っているのです。
・
主観あるのみだから私は無くならないのです。
この宇宙に客観性というものは無いのです。
私しか無い世界で、どうして客観視できるというのでしょうか?
・
誰も客観視などできないのです。その人の立場になって物を見たり、聴いたり、考えたり、する事などできないのです。客観視できた人など、未だかって一人もいないのです。
想像はできるでしょう。でもその想像しているあなたは、一人しかいない主観者であるあなたではありませんか?。
・
この宇宙には、あなたしかいないのです。
あなたがこの宇宙の主なのです。
すべての全てなのです。宇宙意識(=いのち)そのものがあなたなのです。
・
その意識(=魂)は宇宙服(=肉体)においては多となり、
いのち(=魂)においては一つとなります。
・
つまり、相対(時空)においては多となり、
絶対(いのち)においては一つになるのです。
・
本来一なる意識(=魂)しか無いのですが、
宇宙服(=肉体)を私と思っている人達には沢山の意識(=魂)があるように見えるのです。
・
だから私があり、あなたがあり、とぶつかり合う世の中になっているのです。
私の正体は一なる意識(=魂)そのもの、
大宇宙に一つしか無い意識(=魂)そのもの、宇宙生命(=いのち)そのものだったのです。
・
もう一度いいます。この宇宙は一つの意識(=いのち)で成り立っているのです。一つの意識(=いのち)しか無いなら、どうして客観視できるというのでしょうか?。
客観視できるのは、意識(=いのち)が二つ以上ある宇宙です。
・
しかしそんな宇宙があるわけ無いのですから、客観視できるわけは無いのです。
・
かとう はかる著 『人類の夜明 』より(抜粋)