喜屋武城跡
2017.06.30 10:27
22日に、うるま市の喜屋武グスクに行ってみた。喜屋武マーブ公園として整備されているよう。グスクのおもかげなないけども、公園の展望台にのぼるとさすがに見晴らしがよい。
安慶名大川按司の四男・喜屋武按司が築き、 子孫三代の居城であったと伝えられるそう。 安慶名大川按司は、今帰仁城を逃れた中北山系の子孫で、伊波城主の伊波按司の息子の一人だという。息子の1人は安慶名グスクに配置して、安慶名大川按司を称したといわれていうことです。
喜屋武按司が築いた喜屋武グスクは、大城賢雄こと鬼大城(おにおおぐすく)が幼年期を過したグスクだともいわれているそうな。 阿麻和利の乱で王府の総大将として活躍した鬼大城賢雄が、どのようにして王府の危機を救ったか等の内容を伝えた『夏姓大宗由来記』によると、 「喜屋武グスクは、第一世安慶名大川按司の四男・喜屋武按司の築いたもので、 その子の喜屋武按司、孫の栄野比大屋子(えのびうふやく)と三代の居城となった」と記されているということです。 栄野比大屋子は、鬼大城の父です。
喜屋武グスクは、 旧具志川市では、もっとも高い場所に築かれ、別名を 「 喜屋武マーブ 」 あるいは、
「 仲嶺マーブ 」 とも呼ばれており、17世紀半ばまで烽火台として設置されていたということ。
残念ながら、石垣などが残っていないので、城跡という雰囲気はないのだけど、立地的なことでいうと、まさにグスクがあった場所なのかなという感じはしました。