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自分の人生の幕を下ろそうと決めた日

2017.07.02 12:26

「もうこれ以上、自分が生きている意味を見いだせない。生きているのが辛い。」


自分の人生の幕を下ろそうと決めたのは、今から21年前、高校1年生の冬だった。




私は幼少期から、常に心に孤独を抱えていた。

イメージとしては、

母の腕を、私の小さい両腕でギュッと抱き締めるが、母の腕はするっと抜けていく・・・


実際にそんな場面があったのかは思い出せないが、母はとても私を大切に思ってくれている人だった。しかし、私の心の不安は常にこんなイメージだった。



だから私は常に隣に居てくれる人を渇望していた。

そしてその思いは友達に向いていった。

『私だけの友達。いつも二人は一緒。』

そうやって友達を縛っていった。

しかし、当然そんな友達はいるわけもなく、よく友達とトラブルになっていた。


私以外の人と仲良くしないで❗

私の心が不安になら無いように、いっつも一緒にいてよ❗

なんで離れていくの・・・

一人にしないで・・・



私の心はどんどん歪んでいった。

情緒不安定な心。

憎しみに満ちた怒り。

持て余す自分の感情。

生き方が分からない不安。



いっぱい、いっぱい抱え、必死に生きてきた。


人を傷つける事は好きではなかった。

傷ついた心の痛さは、十分に理解していた。 



幼少期の次は小4からの記憶が断片的にある。

小4の頃、クラスで性格の曲がった女子がいた。その子は私の友達をある日から『無視』し始め、クラス中に広めた。彼女の存在は恐いものだったから、みんなは彼女に従った。しかし私はその理不尽さに怒りを覚え、彼女に止めるよう言った。その次の日から、ターゲットは私となった。

状況が子供達だけでは手に終えず、母と一緒に彼女の家に行ったような絵が、うっすらと頭の中にあるが、その先の記憶は全く無く、『ある感覚』だけが残っている。


“この複雑に感情が絡み合った状況を、どう抜け出せば、解消すればいいのか全く分からず、暗いトンネルの中をさまよっている感じ。”




そして小5、6も別の性格の曲がった子と出逢ってしまう。

毎年、性格の曲がった子がクラスに必ず居て、彼女達はクラスの中で一番華やかなグループにいた。

私は『華やかな人』に惹かれる傾向があるようで、どうしてもそういう子に近付いてしまう。しかし性格はきつく、何故か途中から私だけ無視をされ、グループから追い出される。


だいたい夏頃に追い出され、次にどこのグループに入ろうかと周りを見渡すが、既にグループは出来上がってしまっており、申し訳なさげに優しい子達のグループに入れてもらう。

途中から入れてもらったらグループでは、常に気を配っていた。元々いた子達のグループ関係が壊れないよう、なるべく自分の気配は消して後ろから付いていく。


このような感じが、中学生になっても3年間、毎年繰り返された。


一年間落ち着いて一緒に居た友達は、私の記憶の中には居ない。


中学生時代は陸上部で部活を一生懸命やった記憶は残っているが、部活以外の生活で、実際に誰とどうなったのかなど、詳しい状況は全く思い出せないのだ。

ただ、ただ、辛かった気持ちだけが残ってる。


そしてその陸上部も、華やかで性格のきつい子がなぜか集まっていた。だから、記憶が有るといっても、私が陸上と向き合った部分の記憶だけが残っている。



こう改めて記憶を振り返っていくと、性格の曲がった子が必ず近くにいた。みんなはこんなに毎年居るものなのか・・・?

私がその苦しみを体験して理解していく為にセッティングした『運命』のような気がしてならない。




私は、人の目の色、顔の筋肉の状態を素早く感じ取る回路が頭の中に出来上がっていった。

幼少期は、常に母の顔色をうかがっていた。

怒られたくない・・・

嫌われたくない・・・


そして友達の顔色も見るように・・・。

あっ、つまらない奴だと思われたかな?

あっ、私とは話したくないかな?

あっ、これ以上は近付いてはダメなのかも・・・


それが相手の本心と合っているかは分からないが、welcome的ではない、ふとした表情を感じ取ると、もう、前に進めなくなる。恐くなる。

安心して居られる、居場所が欲しい・・・



自分が何処に居ればいいのか分からない状態で修学旅行も何とか乗り切った。

でも、記憶には無い。



そんな中学校時代も終わり、高校生に私はなった。 

高1のクラス発表の日、私のクラスには、同じ中学校の子が一人だけ居た。他は全く知らない人達ばかり。

その同中の子が私に、「一緒に居ようね」と声をかけてきた。

私は今までの経験上、女子の「一緒に居よう」という言葉の信頼の薄さを知っていた。

しかし、私は『一人』の恐怖を知っていたので、その彼女に同じ思いをさせてはいけないと、その言葉を忠実に守った。


そして2ヶ月程経ったある日、次の授業は体育だから体育館の更衣室へ移動しようとしたその矢先、その彼女は私に、「先にいくね~」と言って去っていった。

残された私は、一瞬、状況が分からなくなった。

意味が分からない・・・


仕方なく、残っていた女の子に声をかけ、一緒に行くことにした。そしてそこで私を含め4人のグループができた。

去っていった彼女は、別グループの仲間と居るようになった。


私は楽しかった。

始めて感じた『平和』だった。

そうして平和な時間が半年程続いた。



そんな平和な時が、突如として崩れる事が起こった。

『一緒に居ようね』の彼女が、突然、私のグループに入ってきたのだ。

どうやら向こうでケンカをしたらしい。


まぁ、しょうがないと思っていたのだが、数週間したある日、お昼休みの最中に彼女は、「昨日行ったあのお店良かったよね🎵」と話し出した。

私は何の事か分からず話を聞いていると、どうやら私以外の子達で、学校の帰りに何処かに寄ったらしい。

私は部活をやっていたので別行動だったが、他の子達は部活はやっていなかった。

そしてそれから毎日、私の知らない会話が飛び交うようになった。


もう、ダメだ・・・


私の心はくじけた。



私は身を引くのが昔から早かった。グイグイいけない。

だから、「何の話~?それで、それで~」なんて振る舞うことは、到底出来なかった。



そして一人で過ごすことを決めた。


授業中は天国だ。

決まった席に居ればいい。誰も話していないから、居場所があった。

しかし、チャイムが鳴った瞬間から地獄が始まった。

周りの笑い声。

心にどんどん突き刺さった。

平気なふりをした。

下を向いて、トイレ以外は席を立たず、じっと耐えた。


更に恐怖なのは、体育などでよく先生が言う、「ペアになって~」という言葉。

ドキッとした。

そして心が『惨めさ』で犯されていった。



私はもうこれ以上どうしたらいいのか分からず、先生に相談した。

内容は覚えていないが、先生が言った一言だけは覚えている。


「あなたにも悪いところがあるよね」


その瞬間、

“もう、ダメだ。誰も分かってくれない。誰にも相談できない。”

そう思った。


この言葉は前にも言われたことがあった。

母から言われた。


身体的ないじめではない。

大きないじめ問題ではない。

今なら分かる。

多少の嫌な奴から、無視はされたが、私の心が弱すぎた為に、自分で自分を追い込んでいた。

今なら分かる。

でも、渦中の『私』には、正論は要らなかった。

味方が欲しかった。

心の支えが欲しかった。

一人は辛い・・・



そんな毎日を過ごす中、私は生きる為の『意味』を必死で探していた。



でも、もう見つからない・・・・



“もし、ここから私が消えても、誰も気付かないんじゃないかなぁ~”


大きな大きな運動場に、ただ一人、ポツンと立っている自分の姿が頭に湧いてきた。


あぁ、一人だ・・・・

この大きな空の下に、私一人だけ・・・


もう、生きる意味が分からない・・・


辛い・・・


抜け出したい・・・


もう、楽になりたい・・・ 




ある冬の日、

私は私服を着てその上に学校指定のコートを着て、いつも通り近所の友達と学校へ向かった。

途中で忘れ物をしたふりをして、友達には先に行ってもらった。


母がパートへ行くまで私は時間を潰し、家へ戻った。


すると、母が玄関から飛び出してきて、

「何処へ行ってたの!学校から来てないって連絡があったわよ!」

その瞬間、

“あぁ、終わった・・・”

そう思った。

一番知られたくない人。

こんな惨めな姿を、一番見られたくない人。


私は話すしかなかった。

今の学校の状況を。


母は昔から、私がトラブルから解放されるようにと、ああした方がいい、こうした方がいい、とアドバイスをしていた。

私はいつも自分の改善点を言われ、精一杯応えようと努力してきた。

しかし、もう耐えられなくなっていた。

学校でも傷つき、家でも自分のダメ出しをされ・・・・

「自分」という人間の存在価値が0になっていた。



ここで母に話して、なんて言葉が帰ってくるかが恐かった。

もう、私には跳ね返すだけの力は残ってはいなかった。




話終わった後、母はこう言った。

「辛かったね。しんどかったね。」






私は始めて泣き崩れた。





ずっと誰かに分かって欲しかった気持ち。


辛かった、辛かった、辛かった。

私、辛かったんだよ。

苦しくて、苦しくて、しんどかったんだよ。






私は生き続けることを決めた。



あの日、母の言葉が違うものであったなら、私はここに存在していなかっただろう。



『正しさ』なんて要らなかった。

欲しかったのは、『辛かったね。しんどかったね。』その言葉だった。