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キリスト教で読む西洋史ー聖女・悪女・聖人・皇帝・市民

ユスティニアヌス大帝3-アヤソフィアの目的

2017.07.04 01:02

もちろんユスティニアヌスも強圧はダメだということもわかった。皇帝は新たなものを代わりにする。「パン」は公共事業、「サーカス」は華麗なるミサ。つまり現在までこの都市の象徴となるアヤ・ソフィア大聖堂の建造である。この建設は532年から537年まで5年11カ月を要した。

そしていよいよ西方攻略に移る。533年キリスト教に寛容な王が倒されると、艦隊を率いて北アフリカのヴァンダル王国へ侵攻した。12月にはカルタゴを奪回し、北アフリカ沿岸を、ジブラルタルの対岸であるセウタまで回復。翌年にはアフリカを属州に復活させた。

そして535年、イタリアを治めていた東ゴート王国の内紛に乗じ、まずシチリア島を占領、536年12月にはローマを奪回した。しかし540年には、西方攻略の隙にペルシアが東ローマ内に侵攻を開始し、ユスティニアヌスは軍を返さざるを得なくなった。

東ローマが軍をひくと、イタリアはまたたく間に東ゴートが奪回。545年にペルシアとの和平が結ばれると、35000の兵で再びイタリアに進攻。552年、軍は東ゴートの首都ラヴェンナを陥落させ、その年東ゴートを滅亡させた。ユスティニアヌスのローマ再興の夢は実現したが、東ゴートの追討は560年までかかり、長期にわたる戦争は、民を疲弊させた。