ZIPANG TOKIO 2020「 世界の宗教史上に残る劇的な 『信徒発見』 の舞台 国宝・大浦天主堂をはじめとする世界遺産登録について 」
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国宝 大浦天主堂の敷地内には、新たな展示施設が設置される。
※ご注意 世界遺産候補の教会見学は、事前連絡が必要です。
※お願い 教会は信者の皆さんにとって大切な祈りの場です。 訪問される際には 教会でのマナーをよく守り、 お互いが気持ちよく過ごせるように心がけましょう。
原城跡(ハラジョウアト)
原城は1496年、東肥前までも勢力を延ばし当時26万石ともいわれた
領主・有馬貴純によって築かれたといわれ、周囲4キロの三方を有明海に囲まれ
難攻不落の天然の要害で、本丸・二ノ丸・三ノ丸・天草丸からなり、
別名「日暮城」とも呼ばれた美しい城であった。
晴純の代に至り、有馬氏の全盛時代となったが、次第に衰退
義直時代には、佐賀の龍造寺により再三侵略されたが、
島津氏の救援で島原沖田畷にて勝利をおさめ、
島原半島の南部をかろうじて維持できた。
有馬晴信が1612年に岡本大八事件に連座し配流・切腹となり、
子直純が再度有馬の地をおさめたが、2年後日向に転封となった。
その後、1616年大和五条より松倉重政が入封、
一国一城の令によって島原城(森岳城)を築城したので、
日之江・原城は廃城となった。
1637年、この廃城となっていた原城に一揆が籠城した。
世にいう「島原の乱」である。
昭和13年5月30日、国の史跡文化財に指定。
原城本丸には南島原市出身の彫刻家・北村西望による
祈りをささげる天草四郎像や、西有家町の民家の石垣に埋もれていた
天草四郎の墓石が移されている。
また、この台地は約9万年前に起こった阿蘇火山の大噴火による
火砕流がつくったものであり、この地層の中には、
雲仙火山のものとは全く性質が異なる白い軽石が含まれている。
平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)(ヒラドノセイチトシュウラクカスガシュウラクトヤスマンダケ)
春日町は、かくれキリシタンの伝統文化をもつ地域で、平成22年2月には国の重要文化的景観に選定され、その文化的で豊かな景観の価値が認められています。
また次期世界遺産候補「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産「平戸島の聖地と集落」を担う重要な地域となっています。
町内で一際目を奪われるのが、海から山間部まで連なる美しい棚田です。
急斜面に耕作されているため、高石垣が一面に広がっており、見る者を圧倒します。
平戸市最高峰の安満岳から流れる豊かな水に育まれた緑映える棚田を見ると当時のかくれキリシタンが営んできた暮らしを思い起こさせられます。
平戸の聖地と集落(中江ノ島)(ヒラドノセイツトシュウラクナカエノシマ)
中江ノ島は平戸島北西岸の沖合2キロに位置する長さ400m、幅50mの無人島です。
この島では禁教時代初期に平戸藩によるキリシタンの処刑が行われた記録があり、現在の生月のかくれキリシタンにとって聖水を採取する“お水取り”の重要な聖地として「サンジュワン様」などと呼ばれています。
“お水取り”はかつては平戸の西海岸の信者も行っていた記録があり、禁教時代には生月・平戸における共通の聖地であったとされています。
次期世界遺産候補「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」の構成資産「平戸島の聖地と集落」を担う重要な資産となっています。
天草の﨑津集落(アマクサノサキツシュウラク)
禁教期に潜伏キリシタンが組織的に信仰を続ける中で、アワビやタイラギの貝殻内側の模様を聖母マリアに見立てて崇敬するなど漁村独特の信仰を育み、在来宗教と信仰空間を共有した集落であり、キリスト教解禁後は﨑津諏訪神社の隣に教会堂を建築した。禁教期の固有の信仰形態とその終焉を示している。
外海の出津集落(ソトメノシツシュウラク)
禁教期に小規模な潜伏キリシタンの信仰組織が連携し、聖画や教義書、教会暦などを密かに伝承し、自分たち自身で信仰を続けた集落である。解禁後は、段階的にカトリックへ復帰し、集落を望む高台に教会堂が建てられた。禁教期の固有の信仰形態とその終焉を示している。(出津教会堂)
外海の大野集落(ソトメノオオノシュウラク)
禁教期に潜伏キリシタンが自分たち自身で組織的に信仰を続けている中で、氏子となった神社に密かに自分たちの信仰対象を祀り、オラショ(祈り)を唱えるなど在来宗教と信仰の場を共有していた集落である。禁教期の信仰の場であった神社近くに、解禁後、教会堂が建てられた。禁教期固有の信仰形態とその終焉を示している。(大野教会堂)
黒島の集落(クロシマノシュウラク)
禁教期に外海などから移住した潜伏キリシタンが、仏教寺院から信仰はを黙認されつつ、自分たち自身で組織的に信仰を続けた。解禁後はカトリックへ復帰し、禁教期に宗教儀礼が行われた指導者の屋敷を仮御堂としていたが、後に島の中心に自分たちの教会堂を建てた。禁教期の固有の信仰形態とその終焉を示している。(黒島天主堂)
野崎島の集落跡(ノザキジマノシュウラクアト)
禁教期に移住した潜伏キリシタンが、表向き海上交通の守り神である沖ノ神嶋神社の氏子を装うことで在来宗教と並存しながら自分たち自身で組織的に信仰を続けた。解禁後はカトリックへ復帰し、禁教期に宗教儀礼を司った女性指導者の屋敷の側に教会堂を建てた。禁教期の固有の信仰形態とその終焉を示している。(旧野首教会)
頭ケ島の集落(カシラガシマノシュウラク)
禁教期にそとめの潜伏キリシタンが、仏教徒の開拓指導者のもと、無人島に移住・開拓し、自分たちで組織的に信仰江を続けた。解禁後、カトリックへ復帰し、海に近い谷間の奥にある仮御堂跡に自分たちの教会堂を建てた。禁教期の固有の信仰形態とその終焉を示したいる。(頭ヶ島天主堂)
久賀島の集落(ヒサカジマノシュウラク)
禁教期にそとめから移住した潜伏キリシタンが、仏教集落と互助関係を築きながら自分たちで組織的に信仰を続け、「信徒発見」後の厳しい弾圧を乗り越えてカトリックに復帰し、海辺に教会を建てるに至った。禁教期の固有の信仰形態とその終焉を示している。
奈留島の江上集落(ナルジマノエガミシュウラク)
禁教期に外海の潜伏キリシタンが、海に近い谷間に開けたわずかな平地に移住して固有の信仰形態を続けた。解禁後はカトリックへ復帰し、禁教期以来の指導者の屋敷を家御堂としていたが、やがて、湧水があり防風に優れた場所に木造の教会が建てられた。禁教期の固有の信仰形態とその終焉を示している。(江上天主堂)
大浦天主堂(オオウラテンシュドウ)
幕末の開国にともなって造成された長崎居留地の中に、在留外国人のために建設した中世ヨーロッパ建築を代表するゴシック調の国内現存最古の教会。聖堂内を飾るステンドグラスには、約100年前のものもある。 直前に列聖されたばかりの日本二十六聖人に捧げられた教会で、正面は殉教の地である西坂に向けて建てられている。 設計指導者はフランス人宣教師のフューレ、プティジャンの両神父で、施工は天草の小山秀之進(のちに、「秀(ひいで)と改名」)。1864年末に竣工し、翌年2月に祝別された。この直後の3月に、浦上の潜伏キリシタンが訪れ、信仰を告白したことにより、世界の宗教史上にも類を見ない「信徒発見」の舞台となった。 1875年と1879年の増改築により、平面形式と外観デザインも変容し、外壁も木造からレンガ造に変更されたが、内部空間の主要部には創建当初の姿が保存されている。 また1933年に国宝となるが原爆で被害を受け、1953年、日本最古の現存教会建築として国宝に再度指定された。
「写真撮影・掲載に当たっては大司教区の許可 をいただいています。」
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