レポート3 ONAHAMA WALKING TOUR 学歩(まなぼ)~富ケ浦篇〜 岡で起きたこと
ここで「小名浜」という地名を考えてみます。もともとこの地は「小名」でした。「小名」のハマが小名浜、「小名」のオカ(陸、岡)は岡小名となって二つに分かれたといいます。このハマとオカの対応は日本各地に散見されますが、近いところだと、楢葉町の山田浜と山田岡もありますね。正式な地名にならないまでも、同じ地域の沿岸をハマ、その後背地をオカと呼び習わすところも少なくないでしょう。
少しずれますが、久ノ浜も元々は「ヒサ」という地域だったのだと思います。それが「久ノ浜」「大久」「小久」に分かれていく。
行政区分、統治単位としてのこのような呼称はもちろんかなり時代が下ってからのものですが、そうなるに至った素地といいますか皮膚感覚のようなものは太古の昔から延々と受け継がれてきたのではないかと思ったりします。
話は本題に戻りますが、私たちはこのツアーで「富ケ浦」を辿るはずでした。ここには「富」という地域があったのではないかと思うのです。それは「トミ」という音だったのかもしれませんし「富」という文字だったのかもしれません。
浦があれば、そこに突き出した小高い岡に、そこに住む人々の精神世界にとって非常に重要な場所があっただろうことは想像に難くありません。もう一度標高10mの等高線を見てみましょう。
「東北地方太平洋沖地震・東日本大震災関連の標高・等高線・人口等の地図・GISデータ」
縄文遺跡などを辿ってみると、古代の海に突き出した岬は特別な場所であったことが分かります。その意味で私は、「富ケ浦」という呼称があったのかもしれないと考えたとき、この「富岡」という場所を思わずにはいられなかったのです。
さて、いよいよツアーも後半。
チェックポイント⑨ 鹿島神社
鳥居下にあった鹿島神社は立ち退きを食らい、昭和43年、この地「南富岡字北の内」へ移転してきました。こちらはなんと氏子区域外になります。アウェーに飛び出してしまいました。その選択には疑問が残りますが、鹿島神社は諸事情により宮司が二度三度と変わってしまい、また氏子も代替わりしてしまって、結局その決定的な理由は分からなくなってしまったようです。
現在地は神社を建てるために誂えたような場所ですが、明治時代の地図を見るとただの農地のようです。境内を一回りしましょう。
現地での歴史は50年ほどですが堂々たる威風を誇っていますね。本殿の彫刻も非常に手が込んでいます。
見どころが多く紹介しきれませんが、こちら(下図)を一つだけ。
本殿の真後ろに鎮座する小祠ですが、こちらは「丹波不動尊」(または丹波八幡神社)です。かつて小名浜旧西町村には「丹波沼」という大きな沼がありました。今も「丹波沼」という字が残りますが(下図、赤で囲まれた区域)、埋め立てられ、全くその面影がありません。
その丹波沼のほとりに祀られていたという不動様がこちらでして、丹波沼周辺の小野一族約30戸(すべて小野姓)が今も奉斎しているそうです。消滅してしまった沼の信仰が、今もこうして別の土地で祀られているというのもまた感慨深いものがあります。
さて、先に進みましょう。
車の音がうるさいですね。もうお気づきの方も多いでしょうが、この鳥居の下には常磐バイパス(6号バイパス)が走っています。「南富岡トンネル」といえば、いわきの人ならピンとくるでしょう。あの上には鹿島神社の参道、そして鳥居があるのです。
常磐バイパスは昭和41年(1966年)度に事業化され、昭和43年(1968年)度から用地買収に着手しています。
鹿島神社は移転した先で、今度は神社の目と鼻の先を常磐バイパスが横切るということになってしまいました。これには氏子が怒り、揉めに揉めたと聞きます。結果、地下にトンネルを掘ることになりました。
トンネルの上は不思議な風景が広がっています。この草地は県の土地だそうです。
余談ですが、これで面白くなかったのは、同じく大切な神社の目の前をバイパスに通られてしまった下川の出羽神社です。参道は真っ二つ。周辺の様子は一変してしまいました。
6号バイパスは私も毎日のように利用させてもらっている訳ですが、走るたびにそれが踏みつぶしてしまった土地の歴史が思い起こされ、しかもそれがものすごいスピードで車窓を流れていくわけですから、実際クラクラしますね・・・。
ここで「南富岡」という地名について考えてみます。地元の人は「富岡」としか呼びませんし、周辺の地名も「富岡向」「富岡前」となっていることを考えると、もともと「富岡」なのでしょう。古文書を見ると「富岡村」と出てきたり「南富岡村」と出てきたりして安定しませんが、隣接して「北富岡村」がない以上、田人町の「南大平」のような名称であると考えられます。田人町の「南大平」は、遠野町の「大平」と区別するためにそう呼ばれたとされています。
では「南富岡」と区別されるべき「富岡」はどこにあったのでしょう。これは磐城平藩内藤家以前にさかのぼって、今の双葉郡富岡町あたりを「富岡」と呼んでいたことに求めるしかないように思います。ずいぶん距離がありますが、当時は同じ磐城平藩領ですので、区別のためにそのような呼称が生まれることは十分考えられるでしょう。
チェックポイント⑩ 東教院薬師堂
集落の北端まで来ました。近年になって整備された墓地が広がっています。こちらは東教院というお寺です。こちらもトピックが多い場所ですがひとつだけ紹介したいと思います。こちらの薬師様(下図)、ぜひ拝んでみてください。
お参りが済んだら、お堂の後ろにどうぞ。
みなさん「え?」て顔してますね。こちらの薬師如来様はいわゆる「摩崖仏」なんです。この大きな自然岩に仏さまが刻まれていますが、雨風などで摩耗してきた為お堂で囲ったものでしょう。岩の背中が外に出てしまっているのがなんとも魅力的ですね。これを見るともう一度前に回って覗き込みたくなります。
小名浜エリアは特徴のある摩崖仏が意外と多いので、機会があれば摩崖仏ツアーも企画してみたいと思います。車じゃないとちょっと無理なんですが。
では先へ進みましょう。