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中国生活 1991年

2017.07.05 09:00

 1991年1月24日 CA930、約2時間遅れで東京から北京へ到着。約3年前、初めて北京を訪れた時と到着はほぼ同じ時刻だ。

 3回目の中国、そして北京訪問だ。初回はこれから始まる留学への期待と不安感、2回目はあの事件で北京がどう変わったのかという不安と興味、今回3回目はアジアオリンピックを終えて、急激に発展が進み始めた事への期待と興味、過去2回の思い出を引き出し、それとの比較をしながら空港から学校へ向かった。

 宿泊先は、語言学院の学校内にある「友誼楼」、短期の留学生で一人部屋を希望する人たちが泊まっていた所。その友誼楼が改装されて立派になっていた。聞く所によると、97年に香港が正式に中国に返還される事が決まり、香港の役人関係が「普通語=国語」を学ぶために語言へやってきた。宿泊先に友誼楼が選ばれたが、「このぼろい宿泊先は何だ!」とクレームが付き改装されたという事だ。

(写真-改装された友誼楼)

 今回の中国は、勉強が目的ではない。目的は、中国の農村を訪れる事だ。 1回2回の訪問で、色々な人と出会い、経験し、帰国後は中国関連の書籍(特に中華人民共和国が成立する前から改革開放が始まるまで)を読んだ。 その興味から中国の農村へ興味を抱いた。 北京、上海、蘇州の農村への訪問が今回の目的。北京は、学校の先生の紹介、上海、蘇州はオーストラリアで知り合った上海人の紹介だ。