いざ、アウシュビッツへ・・・
またちょっと間が空いてしまいましたが、2週間前、ベルギー生活最後の旅行に行ってきました。
行き先は、ヨーロッパにいる間に絶対に行かないといけないと思っていたアウシュビッツ強制収容所。 ポーランドは去年一度行ったことあるのですが、その時は首都のワルシャワメインだったので、今回はアウシュビッツに近い、ポーランドの古都、クラクフの空港を利用します。
週末の旅行を少しでも長くすべく、金曜日はなんと朝5時半、シャルロワ発の便。タクシーの方が高くついてしまいました(航空券25€、タクシー1人当たり40€)。アウシュビッツはクラクフから近く、車だと50分ほどで行けてしまいます。効率を優先して、今回もレンタカーで。
以前アウシュビッツに行った会社の先輩から、唯一の日本人の公式ガイドである中谷さんという方がいるので、絶対その人のガイドで行った方がいいよとアドバイスをもらいました。インターネットで連絡先を調べ、アポイントを取って、金曜日の14時半から見学を開始。参加者は全部で26名でした。
所要時間はアウシュビッツとビルケナウ(アウシュビッツから3キロほど離れたところにある別施設)の2箇所で4時間ほど。かなりハードな見学となりました。人間の負の歴史を見るというのはとても疲れます。同じ人間が、同じ人間に対してどうしてこんなにも残虐なことをしてしまったんだろうと、怒り、悲しみ、そして疑問など色んな感情が沸いてきました。
中谷さんは、当時の状況だけでなく、なぜドイツ人がこのようなことをしてしまったのか、なぜユダヤ人だったのか、ということをとても強調してお話してくれたように思います。今から考えると、特に私たち若い世代にはだいぶ昔に起きたように感じますが、私たちはまたこのような残虐なことをしてしまう可能性を秘めていて、世界がまた同じことを繰り返さないように、同じ状況が来たときに選択の目を養っておかなければいけません。中谷さんのガイドで見れたおかげで、しっかりと自分の母国語で、そして自分のいる状況に置き換えて、このことを考えることが出来たのは、とても貴重な経験でした。もしも、難民が日本に押し寄せたら、もしも、北朝鮮の人たちが戦争など、何らかの結果、日本に来ることがあったら、私たち日本人は当時のドイツ人と同じような選択をしてしまわないだろうか。昔のことと思っていましたが、何処にでも何時でも起こりうることかもしれません。歴史を学ぶということは、過去を繰り返さないというなんだなということを強く感じました。
実際にそこにいた人たちの気配を感じたときは、本当に息の詰まるような気持ちがしました。大量の靴が積み上げられた部屋では、思わず涙が出てしまいました。限られた財産をトランクに詰めて、一番お気に入りの靴を履いて皆さんやって来たそうです。また、自分たちの運命を分かりつつも、子供には悟らせないよう、食器も沢山持ってきていました。これは自分たちの生活がまだ続くよという意味だったそうです。ガス室や、収容所よりも、私は一人一人の当時の思いが溢れてきそうな、身近なものの展示室がとてもショッキングでした。
見学は、言語別に行われており、私たちの近くにはドイツのスポーツチームらしき若い男性が沢山いました。中谷さん曰く、ヨーロッパでは、プロのスポーツ選手になると、アウシュビッツの見学が義務づけられているそうです。
<ここが最終地点。ヨーロッパ各地からここへ連れてこられました。>
当時の生活については、比較的最近見た、「シンドラーのリスト」とという映画のおかげでだいぶイメージが掴めました。他にも、アウシュビッツを理解する上で中谷さんにおすすめされた作品があるので、ここに書いておきます。夜と霧は難しいイメージがありましたが、新版だと読みやすかったし、2時間強で読めました。精神科医によるアウシュビッツでの体験記です。
まだ自分が見たこと、聞いたことをうまく消化出来ずにいますが、関連作品を読みながら少しずつ噛み砕いていこうと思います。
<ちょっと時間があったのでクラクフでシナゴーグへ。初めて中に入りました>