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ゆとりらYOGA

「ユダヤ人の私」(映画感想)

2021.12.12 12:37

先日、上京した際に岩波ホールでこのドキュメンタリー作品を観てきました。

「ホロコースト証言シリーズ」 第2弾。


第1弾は3年前に公開された「ゲッペルスと私」。

当時、観終わった後すぐに原作本(というか映画の書籍版)を読みました。

今回インタビューを受けたのは、撮影当時106歳の、ホロコースト生存者、マルコ・ファインゴルド氏。

この方は、オーストリアのユダヤ人。第二次世界大戦中は4つの強制収容所に収容されて、終戦後はオーストリアのユダヤ人協会代表を務た方だそうです。


第1弾と同様、全編モノクロ。

正面からのインタビュー映像と、戦時中のアーカイブ映像や戦意高揚映画が交互に流れ、じわじわと当時の閉塞的な空気に呑まれていく感覚がありました。

この、マルコ・ファインゴルド氏の風貌や喋り方があまりにも若く明晰で、106歳なんてとても信じられない(2019年に死去)。

背筋は伸び、首も肩もがっしりしていて、いかにも偉丈夫!という感じ。こういう屈強な人が、語り部として長生きしてくれることって、きっとそういう運命なんだろうなあ、なんてぼんやり考えていたのですが…

「私を生かしているのはあの時の怒りだ」という意味の言葉が出て、命を長らえる程の怒り、怒りからくる今生での使命感、みたいなものを改めて感じました。

ホロコーストの悲劇を思う時、大雑把にヒトラー(ナチス政権)を悪魔に例えて、すべては彼らの所業、と括ってしまいがちだけど、この作品の中では、収容所の設計図が示され、「効率的に多くのユダヤ人を処理できるよう工夫された大量虐殺の工業施設だった」ことと、それを熱意をもって設計した建築家がいたことが語られます。

「ゲッペルスと私」でも出てきたように、当時の大半のドイツ人は、温度差はあれど、何かに加担し、それを、指示されたこと、自分の義務だったこと、という理由で責任から回避してきたのではないか、と。

そして、80年経った今、自分にもそんな風な責任転嫁の気持ちが、絶対に巣食っていると感じます。自分の行動が何かを変える力になどなる訳がない、と、勝手に決めつけてしまっている気がします。


自分の微々たる力をどの方向に使うのか…後から言い訳や後悔をしなくて済むように、世の中の流れよりも、自分の内なる判断を信じられるようになりたい。


岩波ホール、すごく久しぶりだったのですが、椅子が昔と変わらず背もたれが低いタイプ😌

座った瞬間、ああ!これこれ!と思い出しました。


大阪では、第七藝術劇場でやってます。