#天皇 #日本書紀 - #古代相撲 #デスマッチ の #歴史
「世界のニュース トトメス5世」様より
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2018年03月09日17:00
古代の相撲 ルール無用のデスマッチだった
歴史・できごと・謎日本
相撲の起源は5世紀ごろ?
日馬富士の事件や白鵬の品格騒動など、
相撲と倫理を結びつけた議論が盛り上がった。
だが元々相撲はルールあるスポーツや、紳士の格闘技だったかというと、
昔は何をしても良かったようです。
日本書紀によると
垂仁天皇七年七月七日、
天覧相撲で野見宿禰(のみのすくね)が當麻蹶速を倒し、
蹴飛ばして踏みつけて相手は亡くなったと記されています。
垂仁天皇は11代天皇で140歳以上生きて、
古事記をそのまま読むと紀元前23年頃の出来事だそうです。
現実的には天覧相撲が行われたのは
西暦300年代以降であり、
垂仁天皇の寿命は30代からせいぜい50代だったでしょう。
相撲がいつごろから行われたのかは諸説あるが、
はっきりした物証としては力士型の土器が存在しています。
力士を表す土器は弥生時代には存在せず、
古墳時代中期以降、
松江市の石屋古墳の力士埴輪は5世紀後半と推測されています。
松江と出雲は島根県で距離が近く、
垂仁天皇が戦わせた野見宿禰は出雲出身だったと
日本書紀に書かれている。
すると西暦400年代の力士埴輪は、
この時代に相撲が盛んに行われていたのを推測させる。
日本書紀が完成したのは西暦720年なので、
既に300年ほど経過しているが、
当時の相撲のようすを記録している。
書記によると
奈良県當麻村に蹶速(けはや)という勇者がいて、
並ぶものなしと豪語していた。
そこで垂仁天皇は蹶速に並ぶものは
居ないかと呼びかけたところ、
ある大臣が出雲の野見宿禰の名を挙げた。
骨を砕き止めをさした
當麻村に野見宿禰を呼び寄せて、
7月7日に天皇や大臣立会いで最初の角力が行われた。
両者はキックボクサーのように足蹴りを繰り出して、
野見宿禰のキックが蹶速のあばら骨を砕いて倒れた。
倒れた蹶速を野見宿禰は踏み潰し、
腰の骨を砕いて後日蹶速は
なくなったと書かれている。
現代なら社会問題だが、
垂仁天皇は大いに喜んで野見宿禰を家来にし、
一族は豪族となって栄え今も大阪には
土師(はじ)という氏族の地名が残っている。
21代雄略天皇の時代、
おそらく西暦470年前後に、
女相撲を開催したとも記されている。
もっと前の神話としては
建御雷神(タケミカヅチ)と建御名方神(タケミナカタ)が、
投げ合ったり刀を持って戦ったと書かれている。
ずっと後の西暦734年に
聖武天皇の天覧相撲が主催され、
この頃にはスポーツ的な要素が強くなり、
見て楽しむ宮中行事になっていた。
相撲が一躍脚光を浴びるのは武士の時代で、
武将の鍛錬として相撲が行われ、
相撲興行も盛んに行われた。
江戸時代になると相撲は大衆スポーツになり、
現代に近いルールになり、明治から現代に至る。
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日本書紀に書かれていた古代相撲のルーツは、
古代ギリシャのパンクラチオンだった!?
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古代相撲とパンクラチオンについての長い長い物語、
これにて大団円です(^▽^)/
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世界のニュース トトメス5世
2018年03月09日17:00
古代の相撲
ルール無用のデスマッチだった