【考察】BUMP OF CHICKEN『アリア』が伝えたいこととは?
どうも、ToRoです。
昨日に引き続き、今回もBUMPの楽曲を考察します!
今回は、ドラマ『仰げば尊し』の主題歌となった楽曲「アリア」。
約1年前にリリースされた楽曲ですね。
アップテンポで魂の震えのような、力強く歌い上げられるこの楽曲。
涙腺を刺激された方も多いのではないでしょうか。
2016年にTBS系で放送されたドラマです。
放送前から予告CMにて、BUMPの「メーデー」や「66号線」が使用され、一部ファンの間で話題となっておりました。
(「66号線」は大好きな楽曲なので、ものすごく興奮していたのを覚えています笑)
ドラマ『ROOKIES』のような、不良少年と先生の絆を描いた物語で、とあることをきっかけに吹奏楽部に入部して、全国大会を目指す笑いあり、涙ありの作品です。
※考察はあくまでも僕が感じた内容です。受け取り手それぞれの解釈があります。
この楽曲の最初の印象は、「切ないけど、なんか温かい楽曲だなぁ」でした。
切ないと感じたのは、夕焼けの描写や「何も言えなかった」などの後悔から、温かいと感じたのは、主にサビの「心の奥が繋がった気がしたよ」でしょう、恐らく(笑)
さて、今回もAメロから最後まで歌詞を考察していきます。
長くなると思いますが、お付き合いくださいませ。
(歌詞はこちら)
Aメロ
あの日の些細なため息は ざわめきに飲まれ 迷子になったよ
ありふれた類だったから どこに転がったって その景色の日常
「ため息」が出たということは、この歌詞の主人公は、何か嫌なことがあったり、上手くいかなかったり、後悔するようなこと、何かしらの悩みがあったからでしょう。
そのような状況のとき、一人ではなかなかどうしたらいいのか、答えが出ないで路頭に迷うことがあると思います。(=迷子)
そのような答えの出ない、自分にとって大きな問題であったとしても、周りからみたら(特に大人)当たり前の悩みだったり、それが普通で当たり前のことで、真剣に話を聞いてもらえなかったりします。
なので、吐き出したため息に対して「些細な」と表現しているのでしょう。
また、タイトルの「アリア」は「叙情的、旋律的な特徴の強い独唱曲」を意味しますが、主人公は悩みを相談できるほど仲のいい存在がおらず、孤独な存在だったのでしょう。
A'メロ
言葉は上手に使ったら 気持ちの側まで 近付けるけれど
同じものにはなれない 抱えているうちに 迷子になったよ
ここは本当に表現が巧みだと思いました(笑)
気持ちというカタチの見えないものは、どんなに上手な言葉を使っても表現できないのです。
だからこそ、正確に悩みをカタチにすることが出来ずに、悩んでいたのでしょう。
Bメロ
「僕ら」とは、僕を含めた不特定多数の人間のことでしょう。
例えば学校のように同じ制服を着たって、中身は別々の生き物なんです。
何をしたって、僕たち人間は一つでは無くて、別々なんです。
ひとりがふたつだったから、出会うことも出来るし、見つめる強さも生まれるのです。
サビ
見つけたら 鏡のように 見つけてくれた事
触ったら 応えるように 触ってくれた事
何も言えなかった 何を言えなかった
「見つけたら」と歌っているので、恐らく主人公は、同じような悩みを抱えた人と出会えたのでしょう。そしたら、相手も主人公の悩みに気付いてくれた。
「触ったら」というのは、心とか気持ち、悩みでしょうか。
(イメージ的に「メーデー」と近い感じがしますね!)
2A
最初聴いた時、「夕焼けとサイレン」をパトカーのサイレンで連想しちゃいました・・・(笑)
ドラマ『仰げば尊し』の主人公が不良少年だったこともあり、マッチしすぎました。。。
これはあれですね、田舎とかでよくある、夕方に町中に流れるアナウンスやメロディのこと。
「曲がって落ちた紙飛行機」の下りは、主人公の目線を表現しているのでしょう。
つまり、大切な人と喧嘩をしてしまって、顔を合わすこともできなかった。
(殴り合い傷かどうかはおいておいて)、喧嘩したことによって心が痛んで、もう治ったけれど、喧嘩したことは一生治らない傷(想い出)なのでしょう。
と、最初は思ったけど、「(相手の)まっすぐな瞳」を見つめ返せなかったということなので、喧嘩と言うわけではなく、相手から何か告げられたのでしょう。お別れに関わるような。
2A'
冒頭Aメロの時点とは異なり、些細なため息でも見つけてくれる大切な人が出来たことを歌っているのでしょう。
2B
僕らの間にはさよならが 出会った時から育っていた
「supernova」でも歌っていたことですね!!
別れまでの時間は、出会った瞬間に削られ始めるんです。
2サビ
笑うから 鏡のように 涙がこぼれたよ
一度でも 心の奥が 繋がった気がしたよ
見つめ返せなかった 忘れたくなかった
翌日、落ち込んでいるだろう君に笑顔で挨拶をしたら、君も笑顔で返してくれて、思わず涙がこぼれてしまったのでしょう。痛みを共有出来たことで、心が繋がった気がしたのでしょう。
うーん、ここはちょっと強引すぎた考察や・・・(笑)
3C
君とは一度でも心が繋がったから、どんなに離れたあとでも、心に君がいる。
君を思い出したら、心の中(想い出)の君も、僕を見つけてくれた。
つまり、君は親友だ!と歌っているのでしょう。
BUMPの楽曲は特にですが、「この曲はこういう曲です」とは言えないんですよね(笑)
言えてしまえたら、そもそも歌にならないというか。
なので、少なくとも僕がこの曲から感じ取れたことをまとめます。
仲間、親友という存在は、外面だけの関係ではなく、喜びや痛みを共有できる、心が繋がると思える存在であること。
人間は一人一人別々の存在であったから、お互いに出会うことが出来た。
そんな存在は、離れていたって繋がっていられる。
ということを歌っているのではないでしょうか。
歌詞のキーワード、舞台などが「記念撮影」、「メーデー」、「友達の唄」、「真っ赤な空を見た
だろうか」を、どことなく匂わせますよね(笑)
もしかしたら、同じ人に対して、同じ思い出を唄にしているのかもしれませんね!
早く、ツアーで生歌を聴きたいです!!!
それでは、またね!!
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ぜひ一度動画をみてください、そして気に入って頂けましたら…