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7/2:6日目 西村真里子【QREATOR CAMP TOKYO-新しい未来を担う、クリエイターのための「修行場」】

2017.07.02 06:00

6日目のクリエイターズキャンプは西村真里子さん。彼女の職業は、講義の中で教えてくれたけど、ポリネーター(pollinator)。ミツバチのように花粉を媒介する、つまりいろんなアイディアと人を受粉させるお仕事。


西村さんは今回の講師の中で唯一の女性。

そしてテーマは『多様性の未来を考える』。


はじめこのテーマを提示したら、西村さんは私でよいのか?と思ったそうだ。

でも僕の想いを直接会ってお話ししたら、すごく同意してくれて、是非このテーマで話してくださることになったのだ。


多様性。

ダイバーシティ。

すごく大事なことだと思う。

でもこれを題材にすると、なんていうかすごく人権闘争的、あるいは文化教育的な、物腰になってしまう。

だからって、それをおざなりにすると、世間はいつも

「いつまでも若々しく」

だの

「女性らしく」

だのの女性ターゲット的な商売話になってしまう。

男性だってそうで、

結局ビジネスのマーケティング話になると、

「男はいつも女のオッパイを気にする生き物」で、

「女はいつも自分の肌荒れを気にする生き物」

って通り一遍の括りで商売の餌にさせられてるんだと思う。


なんか僕はそこに滅茶滅茶違和感を感じているのだ。


僕はこのキャンプをやるにあたって、ぜひこの話をしたかった。

なので、あえて“女性”に講師をして欲しかった。


でも、ここで、“唯一の女性”とか西村さんを“女性”でくくってしまうと、結局僕のやりたいことの本意とズレてしまうのだが、

強いて言えば、その“ズレ”をテーマに話したかったから、なので女性の講師なのだ。


僕の想い、それは簡単に言っちゃうと(簡単に言っちゃうと誤解も招きやすいが)、もういちいち何かを女性とか男性とかで区別するのとか、いらないんじゃないか?ってこと。


何かを作り出すクリエイターは、そのクリエイトした産物で云々言われるべきで、それを作った人がどんな人かなんて、性別はもとより、年齢や、国籍や、それこそ宗教とか趣向とか学歴とか肩書き等で、判断するのはナンセンスなのだ。

でも、僕らは、判断してしまう。

というか正確に言えば、判断を促すようなキャッチコピーやレッテルでその個人をグループ分けして評価する。


でもね、例えば思うのだ。

歴史の教科書見てると、名前の出ている歴史上の人物はほとんど男性だ。で、芸術家になると、もうほとんど女性はいない。

だけど、今の新人の美術展とか行くと、出品者の7割くらい女性だ。


ということは今、人類のアートは、有史以来一番女性が活躍してる時代なのだ!

印象派やキュービズム等々、現代アートが進んできたなかで、さらに次の潮流を作り、芸術を新たに覚醒させるのは女性なんだって思うと、これから見たことない作品が産まれてくるんじゃないかって、ドキドキするのだ。


この僕のドキドキは、性別で区別するな!って言ってることと矛盾するドキドキだ。

だって女性が活躍する新たな世界の到来へのドキドキだから。

でも、このドキドキこそが次の人類の時代を作ると思っている。

だから、そんな矛盾やズレについて、あえて“女性”の西村さんと話したかったのです。


実際やってみて素晴らしい講義になりました。西村さんが素晴らしいヒトだから。


聞いていた方も熱くなってたと思う。

それこそ女性も男性も、老いも若きも、熱く。


講義の内容は、受講した方がまとめたくださってます↓

『多様化とは"「本当の自分」で選択すること"かもしれない』