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「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 物語として独立しまた連続モノとして過去の伏線を大事にした物語の構成に感嘆

2021.12.14 22:00

「宇田川源流」【大河ドラマ 青天を衝け】 物語として独立しまた連続モノとして過去の伏線を大事にした物語の構成に感嘆


 水曜日は大河ドラマ「青天を衝け」について書いている。最近では少ない時代劇であり、また明治時代をうまく描いている内容に、なかなか面白さを思ってみているが、最近の大河ドラマは、最終回まで今回入れて残り3回であるということもあり、「歴史を追う」というよりも「過去の伏線を総括する」というような感じになっている。今回は日清戦争終戦から日露戦争という時代を書いており、戊辰戦争から西南戦争にかけて時代をかけた児玉源太郎や小村寿太郎が出てきている。ちょっと気になるのは、この時代は日露協商派の重鎮であり、桂太郎などの主戦論派から疎まれた伊藤博文が活躍していることであるが、まあ、NHKもそこまで細かくキャストを付けることができなかったと考えることにする。そのような歴史を追うことよりも、今回はなかなか興味深いのが徳川慶喜と渋沢栄一、そしてその息子渋沢篤二の会話ではないか。そのことは後半に詳しく書いてゆきたい。

 さて、ドラマというのは、基本的には歴史物語であっても歴史学者の語りではない。そのことは、そのまま歴史そのものにそったかたちであるひつようはなく、それ以上にその人となりをうまく表現することによって、現在の人々に様々なメッセージを伝えるということが重要なのではないか。

 さて今回一つ目の問題は「挙国一致」ということであろう。渋沢栄一が行ったのは日露戦争における戦費の調達であり、そのための国債を広めることになった、その最中に病に倒れるということになるのであるが、しかし、その病の床の中でも篤二に対して「日本はどうなった」と聞いている。

 さて、幕末や新撰組に思いを馳せる現代の人は少なくない。尊皇も攘夷も佐幕も様々な考え方があり立場があったと思うが、私が常々、幕末の小説を書くときに気を使っているのは「幕末は、すべての人が日本国の将来のために考え、行動していた」ということであり、「幕府側も、薩長新政府側も愛国者であり、どちらもが正義であった」ということである。どちらもが正義であったことから、どちらもが折れることができなくなり、戊辰戦争になる。そのことは、徳川慶喜はよくわかっており、今回「戦にしてはならないと思ったが、最後に勝手にしろといってしまった。後悔している。といっている。このことが、この後、まあ、対象と昭和初期の渋沢栄一の生き方に大きく影響するということになろう。

 さて、現代の人々は、自分の行動が「国のため」というように言える人が何人いるであろうか。「国のため」といっている人こそ、私利私欲に走っていたり、国ではなく会社や自分の個人のために動いている人がいるのではないか。そして、そこに正義はあるのだろうか。正義があるところに、運命が動く。そのことを今回強く示唆した内容ではなかったか。

青天を衝け:まさか、ここで… 慶喜から栄一へ「尽未来際」に視聴者涙 「これほどうれしい言葉はない」

 俳優の吉沢亮さん主演のNHK大河ドラマ「青天を衝(つ)け」(総合、日曜午後8時ほか)第39回「栄一と戦争」が12月12日に放送され、栄一(吉沢さん)の見舞いに訪れた慶喜(草なぎ剛さん)の口から、未来永劫(えいごう)を意味する言葉「尽未来際」が飛び出し、視聴者の涙を誘った。

 第39回では、栄一は、ホワイトハウスでルーズベルト大統領と会談。日本の軍事面のみが注目され、経済への評価がまだまだ低いことを痛感する。やがて、日露戦争が勃発。財界の代表として戦争への協力を求められた栄一は、公債購入を呼びかける演説をするが、その直後に倒れてしまう。

 見舞いに訪れた慶喜は、病床に伏す栄一の手を握りしめると、「そなただけは、どうか、尽未来際……生きてくれ。生きてくれたら、何でも話そう。だから死なないでくれ」と勇気づける。

 「尽未来際」とは、かつて慶喜が、家臣の平岡円四郎(堤真一さん)と「尽未来際さえ共に」と交わした約束の言葉。SNSでは「『尽未来際』がここでまた…」「ここで『尽未来際』慶喜公」「だめだ、泣いちゃう…」「『尽未来際』……(涙)」などと視聴者は反応。

 さらに「まさかのフレーズで視聴者の息の根を止めにかかる!」「栄一さんには分からんだろうが、視聴者にはぐっさりですよ」「こんなんプロポーズじゃないですか」「これほどうれしい言葉はない」といった感想が次々と書き込まれた。

 「青天を衝け」は、“日本資本主義の父”と称される渋沢栄一が主人公で、連続テレビ小説(朝ドラ)「風のハルカ」(2005年度後期)、「あさが来た」(2015年度後期)などの大森美香さんが脚本を担当。「緻密な計算」と「人への誠意」を武器に、近代日本のあるべき姿を追い続けた渋沢の生きざまを描く。

2021年12月12日  マンタンウエブ

https://mantan-web.jp/article/20211212dog00m200026000c.html

 さて、前半に書きかけてやめた「徳川慶喜」「渋沢栄一」「渋沢篤二」のことについて見てみよう。

 渋沢栄一が病の床に伏しているときに、渋沢篤二は、徳川慶喜に対して「逃げて、なおこのように隠遁して生活している」というようなことを言う。世上巷間、様々な事を言うが当事者の尾身伊などは関係なく、無責任に「逃げた」などといい不名誉なレッテルを張り続けることがある。徳川慶喜を演じた草彅剛氏の縁起がかなりうまいと思ったのは、それを言われた時の悲しみ、そして、理解されない自分を悟った表情は、なかなかできないのではないか。個人的には、草彅氏がSMAPというアイドルグループを脱退し、なおかつジャニーズ事務所という大手事務所を対処し、巷間様々な興味本位の噂や、本人のことを全く思わないコメントなどに振り回されながらも、耐えて今日がある経験からくる、渾身の演技ではなかったかと、これも私の勝手な推測でしかないが、そう思う。

 身近であると思った人、そして、この人々は理解してくれているに違いないと思っているにもかかわらず、その人々が理解してくれていなかったときの落胆は、悲しみよりもあきらめに近いものであったに違いない。脚本の大森美香さんは、その辺の感情を引きだすセリフが非常にうまいし、また、そこにうまく過去の映像やセリフを重ねることにたけている。

 このような思いから、病床の渋沢栄一に対して「尽未来際……生きてくれ。生きてくれたら、なんでも話そう。なんでも話す。そなたと、もっと話がしたいのだ。だから、死なないでくれ」という言葉になるのである。人間はその時に罵られることがつらいのではなく、最も自分を理解してくれる人にその理解を得られないとき、最も悲しみが深くなるはずである。その思いの撮ろが、このセリフに入っている。

 そして記事にある言葉だ。「尽未来際」は、まさに徳川慶喜がもっとお便りにした平岡円四郎が徳川慶喜との間に使った言葉である。ここで徳川慶喜はこの言葉を使うということは、まさに、「平岡円四郎と同様に渋沢栄一を頼りにしている」ということに他ならない。そして「生きてくれ」という言葉は、そのまま平岡円四郎に対して言った言葉でもあるのかもしれない。

 その後徳川慶喜に関する内容の執筆の場面になる。この内容は、大正7年(1918年)に『徳川慶喜公傳』として龍門社より刊行されることになる。その中にあるとおりであるが、まさに「人間は、戦争をするとなれば、だれが何といっても戦争に向かってしまう」という趣旨の事が書いてあり「自分にはそれを止めることができなかった」ということが、自分の責任と失策として書かれている。「人は好むと好まざるとにかかわらずその力に引かれ、栄光か破滅か、運命の導くままにひきずられていく。」このセリフを徳川慶喜にしっかりといわせていることが、やはりこのドラマの素晴らしいところであろう。戦争は誰かの責任ではなくその国の人々がすべてその雰囲気で起こしてしまうということであり、それが、日露戦争後の講和条約反対暴動(日比谷暴動事件)などと合わせて、見られることになるのである。この同じことを、歴史著述家の半藤一利氏は、大東亜戦争に関する内容として「国民的熱狂」という表現をしているが、まさに、戦争を間近に控えたところというのは、そのような雰囲気になるのではないか。これも、現代の米中冷戦に関する一つの風刺なのかもしれない。

 ある意味で「明治時代に幕末青語る場面」であるにもかかわらず、現在の日本の状況を語っているようなドラマになっている。そして、それを聞いている渋沢篤二が、複雑な、そして反省する面持ちで徳川慶喜を見る。まさに、その視線こそ、現在の人々に必要な視線なのかもしれない。