Ameba Ownd

アプリで簡単、無料ホームページ作成

kanagawa ARTS PRESS

山本理顕の 街は舞台だ「横浜中華街」

2017.07.13 15:20

中華街は橫浜の誇りである

横浜中華街

 「日本はこの先どうするのか。移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか、難民を含めて外国人に門戸を閉ざし、このままゆっくり衰退していくのか。どちらかを選ぶ分岐点に立たされています。

 移民政策について言うと、私は客観的に無理、主観的にはやめた方がいいと思っています」(「中日新聞プラス」2017年2月11日)。

 社会学者の上野千鶴子さんの文章である。厳しい目で過去を振り返って未来には希望を持つなと言うのが社会学者の役割だから、立場上やむを得ないとは思うけど、これは違う。移民をうけいれると日本が「社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国」になるというのは、何の根拠もない。確かにロンドンやパリで移民の若者が暴動を起こしたというニュースは日本でもかなりの衝撃で伝えられたが、でも、これは移民問題じゃなくて労働問題なのである。日本でも長時間労働や劣悪な住環境に悩まされている非正規労働者たちは増える一方である。彼らには未来に対する希望がない。もし日本が「社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国」になるとしたら、この労働弱者に対して何の救済もない今の労働環境がその引き金になるだろう。これは決して移民の問題ではない。

 移民を向かい入れるにはどうしたらいいのか、というその本質的な議論がないまま、彼らを単に不純分子と断じて、受け入れを拒否するのだとしたらそれはあまりにも筋違いというものである。移民は都合のいい労働力、日本人よりもさらに安く雇える低賃金労働者だと考えるから、「客観的に無理」というような断定につながってしまうのである。

 橫浜には移民受け入れで世界一成功した街がある。橫浜中華街である。世界一美味しくて、世界一来訪者の多い*中華街だ。中華街の歴史は、1854年の開港と共に始まる。当時、欧米諸国の多くの外国商人が山下町に拠点を構えた。そのとき、マネージャーや通訳として当時買弁(ばいべん)*と呼ばれた中国人も一緒に来日した。商取引斡旋業者である。彼らの周りに様々な職業の中国人が集まり、現在の場所に唐人街が形成されたという。

横浜中華街の成功の秘密は何か。橫浜に住む人びとからの信頼である。なぜ信頼されるのか。中華街は橫浜に住む人たちが、自分の街だと思っているからである。私自身橫浜に住んでいて、子供の頃から中華街は特別な場所だった。特別に美味しいものが食べられる街だと思ってきた。地方から親戚が来ると必ず中華街に連れて行った。どう、おいしいでしょ?本物の中国人がつくっているんだよ。自慢だった。中国人は最高に洗練された食文化で橫浜に住む人たちを魅了したのである。食文化だけではない。中国の様々な地方の文化を持ってやってきたのである。今や本国の四川とも広東とも台湾とも香港とも違う、そうした文化と橫浜の文化が混じり合って彼ら独自の地域社会をつくって、橫浜だけではなく、日本中に大いなる刺激を与えてくれているのである。その刺激が橫浜を活性化させている。

 横浜中華街は、中国人と日本人が共存する街である。レストランの多くは中国人経営者がほとんどだが、それを支える八百屋、肉屋、魚屋、雑貨屋、食器屋などの多くは日本人だ。中華街に残る「市場通り」という名前は、そんな日本人店舗の店舗と住居が集まっていた通りの名残なのである。橫浜中華街発展会には日本人メンバーも多い。

移民は決して単なる低賃金労働者ではない。彼らに固有の文化と共にやってくるのである。日本にやってきて、それまでにそこに無かった、全く新しいことを始める人びとなのである。

 少子高齢化の日本が、それでも豊かな地域社会をつくるためには、こうした多様な文化と共にやってくる人びとを迎え入れるためにどのような都市空間をつくるのか、建築家の役割も問われると思う。


*世界一来訪者の多いチャイナ・タウン=年間来訪者数2300万人

*買弁とは外国の貿易業者との仲立ちをする業者。彼ら専用の金銀鑑定士、会計係、集金係、倉庫係、料理人などを雇うことが認められていた。


取材協力:

横浜中華街「街づくり」団体連合協議会会長 林 兼正

横浜中華街発展会協同組合


住所:神奈川県横浜市中区山下町一帯

交通:みなとみらい線 「元町・中華街」 駅下車 徒歩1分

    JR京浜東北根岸線 「関内」 駅下社 徒歩7分

    「石川町」 駅下車 徒歩5分


横浜中華街のこれからのイベント:2017年関帝誕

横濱 関帝廟 に祭られている神様 関聖帝君の誕生を祝う神事と神輿巡行)7月17日(月)


竜舞

中華街、そこは食事をするだけの街ではない。上海や北京に行くより中国情緒が楽しめる街だ。建築、祭り、行事、文化、日常の習慣を守らなくては中華街が中華街でなくなってしまう。そこを訪れる観光客だけでなく、住民が中国の伝統や文化を知り、誇りを持って伝えていくことが街を発展させることなのだ。


提供:横浜中華街 「街づくり」 団体連合協議会 


横濱 媽祖廟

かつて中華街にマンション建設が計画されたことがある。ごく普通のマンションが出来れば、その一角の魅力は失われ、ドミノ倒しのようにその影響は広がり、街全体の魅力が失われてしまう。そこで中華街の住民たちは資金を出し合い、開発業者からマンション予定地を買い戻し、現在の媽祖廟(まそびょう)を建立したのだ。中華街全体に魅力があるからこそ、自分の商売・生活が成り立つ。そのことを彼らはよく知っているのだ。


媽祖祭

2006年に落慶開廟した道教寺院・媽祖廟は、航海を護る海の神であり、かつ自然災害や疫病、戦争、盗賊から人々を護る神・媽祖を祀る。華僑・華人が住む世界各地で信仰されている。

提供:横浜中華街 「街づくり」 団体連合協議会 


企画・監修:山本理顕(建築家)

1945年生まれ。71年、東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻修了。東京大学生産技術研究所原研究室生。73年、株式会社山本理顕設計工場を設立。2007年、横浜国立大学大学院教授に就任(〜11年)。17年〜現在、横浜国立大学大学院客員教授。