映画 小さな悪の華
少女という色欲の美しさ
この映画は二人の少女がどういう流れで焼身自殺をするに至ったかのストーリーです。
主人公はお金持ちの黒髪アンヌちゃん。親友の金髪ロールちゃん。
二人ともカトリック系の学校へ通っています。
協会へ行きミサをする。
油断している人って驚かせたくなりませんか?
たとえ後で殴られる可能性があったとしても、大きな悲鳴をあげさせたい!
好奇心ですね。
同じようにたまたま二人が強い好奇心をもった事が
「悪」
だったんじゃないですかね。
受け入れてくれる人が少ない「悪」に対する感情。
それを共有できるロールとアンヌは依存に近い友情を築きあげまず。
子供心にキリストが正義だとすると悪はサタンなのでしょう。
ひっそりとサタン教の儀式(少女オリジナル)を行います。
その映像がまぁ美しい。白のワンピースに花冠をかぶった少女が指を切り、お互いの血を舐め合う。
悪魔的で甘美でエロティック・・・。
少女たちはどっちかと言えば色欲にあこがれがあったのではと思います。
ボードレールの悪の華を官能的は部分を朗読したり、ちょくちょく男を誘惑したり。
またサタンの儀式に携わった庭師(知恵遅れ)がこの儀式のために集めた聖体をこそっと食べるんですよ。
少女たちにとっては重要な儀式でも他人にとってはチープな、本気でない、気を紛らわすごっこ遊び扱いだったんですかね。可愛らしいです。
それとも単にお腹減ってたか。
この物語の舞台になっている時代は1970年なのかはわかりませんが、学校に通えなかった大人がいる時代です。1791年前ですね。
頭が悪くて恵まれていない大人がそこらへんにいる。
いじめてもいい存在。
大人は誰にも泣きつけないし、自己責任ってなっちゃうし。
恰好の的じゃないですか。
悲しんでる!痛がってる!必死な様!
それが見たいから農家の干草に火付けちゃう。
牛飼いを誘惑(キリスト教で色欲は最大のタブー)して拒絶!
終いには牛逃がしちゃう。
庭師が大切にしている鳥を毒殺して悲しむ様を見てキャッキャしちゃう。
両親が旅行の時、ガス欠した男を自分の家に連れて行き誘惑して拒絶、
その結果撲殺しちゃう・・・。
悪になりきったように見える少女たちですが、パンツ脱いだりして誘惑はしても性行は全力で抵抗し処女を守り、鳥を好奇心からか握り殺した時は罪悪感から涙します。
もしかしたら好奇心と悪への憧れは別の物だったのかもしれませんね。
後戻りはできないけれど。
撲殺してしまった男を池に沈め、黙秘。
学校が始まればロールとも会えるし、大丈夫。
授業を受け、学芸発表会の練習に勤しめば過去の事だと思えるはず。
しかし現実は甘くなく、学校に警察が来ます。
確実に疑われてる。しかも農家の干草燃やしたのばれてる。
ロールは泣きじゃくり不安を訴えます。
二人が按じているのは捕まって両親に迷惑をかける未来への不安ではなく、
「捕まったら二人離れ離れになってしまう」という事。
大事な大事なロールの不安を取り除きたい。
過去の行いは取り消せない。
じゃあ、どうする?
学芸発表会当日。
刑事さんも呼んで発表会をします。
二人がステージに立ち、ジュール・ラフォルグの詩を読みます。
美しく、悲しみや悲観的な詩です。長いんでこっちに↓
次にボードレールの詩。
朗読する少女。
美しい。この美しさはなんなのでしょう。
先生が予定が違うと焦る中、観客が「止めるな!」と声をあげます。
少女たちは手に持った瓶の液体を身体にかけ、服に火をつけます。
拍手喝采。
先生達が「これは劇ではない!彼女たちが燃えている!」と叫びます。
大混乱。そのまま幕引き。少女は火の中で抱き合っています。
わーお美しい・・・。死ぬ演出まで美しい。
悪魔的、甘美的、少女特有のエロス。
自分が観客であったとしても先生達を止め、拍手をすることでしょう。
儚い死、尊い生。愚かな行為ではあったのでしょう。
でも、もしかしたら少女たちの人生の幕引きはここで正解なのかもしれません。
ここで焼身自殺をすることによって彼女たちの無邪気な好奇心と悪と美と二人の愛が永遠になるのでしょう。
もしこの映画を観る機会があるとしたら、一人で、音楽と映像美と、死の美しさに注目してみてください。美が詰まっています。