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ZIPANG TOKIO 2020「 巨大燈籠山が能登に舞う 能登半島『飯田町燈籠山祭り』」

2017.07.13 17:00

山車が地域の町を中心に細かく曳き廻されますので、小路へ入っていきます。大きい山車が小路を行く様は迫力満点です!観光客の方は危険ですので、山車と一定の距離をとって楽しむことをおすすめします。


飯田町燈籠山祭り(いいだまちとろやままつり)の歴史

ルーツ

寛永年間(1624~1643)の初期、土用入り暑気甚だしい頃、春日神社の七柱の神々に町へ夕涼みをお出まし願ったのが始まりと言われています。
町の人々は賑々しくお迎えし、山車を造って町内を曳き廻り、神々の神慮慰め奉ったのが燈籠山祭りの始まりです。
飯田町での神様のおすずみの場所(御仮屋)は、海辺に近い町の中心部の十字路と決まっており、青竹を立てしめ縄を張り、榊神輿で渡御していました。
燈籠山人形のルーツは形や作り方も酷似していることから、青森県立ちねぶたとされています。他にも諸説あり、北前船が通っていた歴史から、いろいろな文化が取り入れられていると考えられています。また、独特の形から、燈籠山がオリジナルで、「飯田型」として発展していったのではないか?という考え方もあります。


祭りの由来

「燈籠山祭り」は、珠洲市飯田町「春日神社」のお祭りで、その起源は、江戸時代・寛永初期に遡ります。春日神社に祀られえる神々たちに、町内へ「夕涼み」にお出まし願ったのが始まりで、神事としての名称は「お涼み祭り」といい、毎年七月二十日に執り行われています。
神々は当日早朝より氏子の担ぎだす「榊神輿」に移られ、町内に設けられた御旅所へとお出ましになられます。この「榊神輿」の御伴として行燈をつくりだしたのを期に、挙って自分達の元気な姿を見せようとしていた町民達が競い会うようになり、「燈籠山」が形成されてきました。

「燈籠山」とは、下から地山(ジヤマ)・屋台(ヤタイ)・枠障子(ワクショウジ)・小台(コダイ)・大台(オオダイ)・人形と重ねあげた曳山を称したもので、高さは約16メートルにもなります。大正初期の電柱架設工事が始まるまでは、この大きな燈籠山7基が勇壮に曳き揃えらたものでした。 以後、地山・屋台だけを残し高さ約6~7メートルとなりましたが、戦後を経て昭和40年代には各町競って金箔・漆塗りをほどこした装飾豪華な曳山となり8基曳き揃えられるようになります。そんな中、昔の勇壮な燈籠山を復活させようと有志達により昭和58年に「燈籠山」一基を復元させました。そのときからの念願だった幹線道路に跨る架線の撤去も実現。平成24年には、春日神社を基点に飯田町をぐるり1周曳きまわせるようになりました。


毎年七月二十日・二十一日の両日が珠洲飯田の「燈籠山祭り」! 燈籠山や各町曳山「キャアラゲ」と呼ばれる木遣りを合図に、笛、太鼓、鐘の三音と曳き手の合いの声の調和をもって各町を巡行していきます。


燈籠山詳細

全長・・・約16m/人形のみの高さ・・・約5~6m/幅・・・約5m/総重量・・・約5.5トン

人形だけでは約5~6m。全長にして約16mにもなります。電線の地中化により、曳きまわし可能な距離が増えました。曳きまわされている燈籠山人形がゆっさゆっさと揺れる様は迫力と見応え充分。燈籠山祭りでは7月20日のみの運行します。7月21日は飯田わくわく広場で展示されます。


【公式】お祭り体験 -オプショナルツアー- 2017/7/20(木)

燈籠山祭り1日目夕刻より例年曳きだされる「燈籠山」。誰でも曳き手参加OKです♪ でも、誰でもと言われても、参加しにくい。。。という方のために、公式「お祭り体験」開催しています。

            お祭り体験の様子


見処

日本最大級の曳山「燈籠山(とろやま)」

一番の見処は 全長約16m、重さ5,5トンの「燈籠山(とろやま)」です。
平成8年 7月 8日 (1996年)珠洲市指定無形民俗文化財となりました。
平成に入ったころから、正式に2年に1度飯田町民により制作しております。往時のように町全部の山車に掲げることは難しい為、飯田町全体で1基の山車を持ち、「燈籠山」として親しまれています。近年は往時の祭の姿に近づけようと地域住民が協力し、全部で3基の燈籠山が掲げられています。

燈籠山は誰でも曳くことが可能です。曳く際は、山車と距離をとって曳くことをおすすめします。

               吾妻橋に並ぶ山車の様子


飯田町燈籠山祭り(いいだまちとろやままつり)とは

          神様に命をあずけ、祭に向かう男たち


奥能登珠洲市飯田町で行われる370余年歴史のある春日神社の神事です。
燈籠山を含め、全9基の山車(やま)の町内曳きまわしと榊神輿の渡御があります。
なかでも、高さ約16mをほこる「燈籠山(とろやま)」が最大の見物となります。


19日に前夜祭・宵山運行が一部の町内で行われています。
20日夜は花火大会を開催しており、平成24年より天候を考慮して悪天候の場合は次の日に開催されます。
21日最終日は深夜まで行われ、解散式典はほぼ朝となる場合が多いです。

安全運行のため、経路は毎年検討されており、スケジュールも毎年祭礼委員会にて検討されているため、運行経路は7月初旬頃に公開されます。8基の町内曳山と、高さ16メートルを誇る燈籠山1基が曳き廻されており、往時の祭りに近づけようと取り組んでおり、平成23年度には2基目となる燈籠山(とろやま)が復活し、平成24年度には3基目の燈籠山が誕生しました。8基の山車(やま)を燈籠山にし、往時の祭りを復活させることに一丸となっています。


飯田町燈籠山祭り(いいだまちとろやままつり)

別名 おすずみ祭り 飯田燈籠山祭り(いいだとろやままつり)燈籠山祭り(とろやままつり)

開催日 毎年 7月20日 7月21日

開催地 石川県珠洲市飯田町


子供踊り

飯田町に特設舞台が組まれ、舞台の前に山車が通る頃に、地域の子供達がこの日のために練習した踊りを披露します。


往時の燈籠山

往時、飯田町の燈籠山は全町内7基(現在は全部で8町内8基)が燈籠山でした。 

電線の架設により、燈籠山人形の曳きまわしが不可能となり、竹細工の人形だけが屋台の上や山車高欄の前に飾られて当時の名残を残していましたが、次第に燈籠山は影を潜めて行きます。

往時、約10尺~12尺(3~4m)の山車で、竹細工で紙張りの人形を飾りろうそくの明かりを点して町内を曳き廻しており、当時の人形題材:鯉の滝登り・菊水・太鼓の上に鶏等 後になって武者人形が作られたと言われています。


人形を掲げたきっかけ 

「文化11年(1814)5月、春日神社勧請550年式年大祭における神輿渡御の折、大きな木枠(横2間余り)を作り、紙を貼って、天狗にカラスの絵を書きろうそくの明かりを点し、竹竿で担いで供奉した」と文献にも記されています。

同年、町の住人であった文蔵・有助・新兵衛・九平・弥兵衛・儀右衛門・惣五郎・新右衛門という人々が現在の山車では物足りなく感じ、もっと素晴らしい曳山にしたいと度々相談を重ね、当時越中の売薬人であった立野屋丈右衛門の口添えで、越中氷見の山車を参考にして白木造りの屋台を取り付け、枠障子、小台、大台、人形を重ね上げた7~8間(約14~15m)もある大きな山車造り上げました。

当時飾られた人形は加藤清正・新田義貞・那須与一・浦島太郎・金太郎・恵比寿等で、日清・日露戦争当時には兵隊等の軍事色豊かな人形が飾られたとされています。


いにしえの燈籠山

各町内の人形に評議審査がなされ、順位が発表されたことも見物人の楽しみの一つとなり、各町内は競って工夫を凝らしていました。後に自動的に作動するものも作られていたそうです。更に工夫が重ねられ、白木造りの屋台・高欄・枠障子等に細やかな彫刻を施し、金箔漆塗りの極めて豪華絢爛たる曳山に仕上げられていきました。 

大正に入り電線の架設工事がはじまり、竹細工の人形だけが屋台の上や山車高欄の前に飾られて当時の名残を残していたが、これも昭和の初め頃より子供たちの手踊りが盛んになり、影を薄めるに至りました。昭和末頃より、それまで記念や大祭の際のみ作られていた燈籠山が作られるようになり、平成に入るころには、燈籠山は2年に1度の制作され、毎年掲げられるようになりました。

 その後、大きな祝い事があるときだけ、作られるようになった燈籠山は、地元有志の力と、祭りにかける想いが背景にあったのでしょう。そんな燈籠山は現在も地元有志に支えられ、観光資源として往時の大燈籠山1基を保存会、祭礼委員会が中心となり運行しています。 平成21年には、春日通り飯田側が電柱無柱化道路整備完成したため飯田わくわく広場を中心とし吾妻橋から飯田港湾線・春日通り・燈籠山通りをへて、栄町交差点まで曳くことができ、町民の永年の悲願が叶いました。

しかし、中央通りを廻り1周できることと、著しい人口減少に伴う人員確保が、祭礼を運営していく上での、今後の目標であり課題です。 2012年(平成24年)より、電線の地中化が進み、飯田町を一周することができるようになりました。

昔と変わらない文化継承はされつつ、新しい文化に応じて変化していく飯田町燈籠山祭り。 毎年少しづつ燈籠山祭りは進化し続けています。



春日神社の神事

平成3年に榊神輿を修復、町内の中心部に御仮屋を仮設し、榊神輿渡御が復活した。
おすずみ祭りが元の姿に戻りつつあることは誠に喜ばしい限りである。
また、榊神輿の渡御も交通の頻繁と神輿台の破損が甚だしく、昭和初期より中断されていました。

春日神社としての正式名称は「おすずみ祭り」と言います。別名という言い方をしますが、実はどちらも正式名称と言えます。「おすずみ祭り」はどこの各地でも行われていますので、わかりやすくするための名前が飯田町燈籠山祭りです。 飯田町でのおすずみ祭りは、7月20日に海のそばで神様がお涼み(禊)をされ、汚れを祓い、また神社へ戻っていくという、夏越しの神事です。

飯田町の山車には五平が付けられています。御幣も20日の朝にお祓いとともに神様がうつり、飯田町全体 の春汚れを祓いながら日運行しています。神社は天児屋根命神社(あまのこやねのみこと)をはじめとした七柱の神々が祀られています。当日は「御仮屋」という海に近い場所にて祭り当日はお祓いを受けます。御仮屋は、1日目の運行表に掲載されいます。御仮屋ではお祓い・お参りを受けることができ、いわば「神様の出張所」ともいえます。


飯田町燈籠山祭りの灯り

日時 2017年7月15日(土曜日)~2017年7月21日(金曜日)

場所 石川県珠洲市飯田町吾妻橋周辺


LEDソーラーライト3,000個の灯りが若山川河口を彩ります 

飯田高校生生徒+奥能登国際芸術祭に参加するアーティスト「スズプロ」+飯田町祭礼委員会が設置する、飯田町吾妻橋河川敷にてLEDの設置時期は7/15から7/21を予定しています。毎年、各町でも飾られているぼんぼりも見どころです。

交通アクセス


珠洲市イベント案内一覧


協力(順不同)

飯田町燈籠山祭り保存会・飯田町祭礼委員会
〒927-1214 石川県珠洲市飯田町16-21-1 TEL 0768-82-7890

珠洲市役所 観光交流課
〒927-1295 石川県珠洲市上戸町北方1の6の2 TEL(0768)82-7776

文化庁 〒100-8959 東京都千代田区霞が関3丁目2番2号 電話番号(代表)03(5253)4111



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