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酵素で生きる。

悔しいという叫び。

2015.10.28 15:44


悔しい。
悔しい。


そう叫びながら、その人は闘病記の中で綴っていた。


家族の叫びだ。



その人は、がん告知からの10ヶ月を葛藤とともに綴られていた。


告知されることに慣れている人など居るはずもない。


誰だってうろたえる。 パニクって当然だ。


その人は、闘病記の中でこう述べている。


” ブログを日々アップしていて、知らない人からの数多の応援メッセージ、


  様々な情報提供(食事から治療法まで)によって、救われましたと。 ”



そこに嘘偽りはない。

どんなに心強く感じたことだろう。


すばらしい世界だ。

無責任極まりない発言や誹謗中傷、真実味に欠ける情報などが

溢れているネットの中で、このような誠実さのリレーってスゴイ!



冒頭に記した ” 悔しい ”という叫びは、

いかにガンという病と対峙してきたかということだ。

病院や医師に任せるのではなく、自ら対処方法を探り、

生活面から先進医療情報など、ありとあらゆる実践を踏まえて

きたからこその叫びだ。


これがだめなら、こっちで!と、試行錯誤しながら購ってきた叫びだと。

負けないように、負かされないようにと。 踏ん張ってきたんだと思う。


「ガン」に対して、家族として出来ることはすべてやってきた。

なのに、結果(腫瘍マーカーなどの数値)に現れない。

その悔しさ!

そう。これは、負けられない真剣勝負だから。

悔しい!


200ページに及ぶ闘病記の一言一言に涙が止まらない。


悔しい!という怒り。

不安で怖いという怯え。

日々の葛藤。

焦燥感からくる感情爆発。

家族ひとりひとりの生活。

社会や職場とのしがらみ。

弱さや恐怖を曝け出す。

しっかりしなきゃという自責。

じれったさ・もどかしさ。


現実は、想像していなかったことばかりだ。


神様を恨みたくもなる。



その人の闘病記は、


「皆様へのご報告」というタイトルで丁寧な謝意を記してある。


悲しい報告の後も、継続して家族ひとりひとりの成長を、

ココロの葛藤・心情などを綴っている。


ブログを介して支援・応援してくれた方々、

口に出して叫べなかったことを受け止めてくれた方々。

そんな方々へ、感謝のキモチの表現でもあると思う。



このような闘病記を記されている方は多い。

それらを拝読することで、助けられる人も大勢居るはずだ。

直面しないとわからなかった事が記されているのだ。


継続して闘病記を記すということも大変な作業だと思う。

辛い思いを綴ることは、その瞬間と綴る瞬間の二度も同じ

辛い思いをするの等しいと思う。


何度も使ってきた言葉を用いると、

「誠実さの伝達」ということになる。


ひとりひとりの症状や治療法など異なるものだが、

数値の変動記録や、投与した薬物名・期間、症状の変化など

これから対峙する立場からすると、実に貴重な情報なのだ。

(不適切な表現かもしれません。ご容赦願います)


広義の医学界(国・医師・製薬)では、

EVIDENCE(エビデンス)=立証可能なデータの開示。

これを最優先する。


されど、個々人が体験してきた「闘病記」などの記録は

なんらエビデンスにはならぬと一蹴する。


思い違いであったり、個人の感覚の違い、意図的な創作。

確かに、そのようなものを排除していく術がないのも事実だ。


「誠実さの伝達」。


なんとか活かせる術はないものだろうか。



悔しい!


その叫びはすべてを物語る。



従来のガン三大標準治療から第四の新しい治療法まで、

治療技術も著しく発展している。

治療法を選択していけるようになってきている。


葛藤・苦悩とともに綴られた闘病記は、

1:治療方針の理解

2:治療投薬の理解(種類や副作用も)

3:治療方針の選択(意思)

4:メンタル支援の必要性

5:情報データの可視化


という観点からも、役立つ情報の宝庫といえるはずだ。


なんとかしなきゃ。



悔しい!

ひとりでもこの叫びがなくなる事を祈る。